第2話 追う男
エマを捜すよう命じた伯爵は、娘の好きな物を一つも答えられなかった。
「仕事の話をしている。好みなど関係がないだろう」
カインは、その返事を調書へは書かなかった。本人から聞けない以上、使用人を一人ずつ呼ぶしかない。
母の櫛が無い、と教えたのは年配の侍女だった。いつも使う靴は二足あり、丈夫な方が無い。娘は舞踏会に出席せず、家計の支払いを確かめていたという。
窓から侵入した痕は見つからず、自筆らしい手紙も残っている。本人が出ていった可能性が高い。それでも、荷物が少ないというだけで、外で誰かに脅されていないとは言えなかった。
「まず会って話す」
カインは若い治安官へ言った。
「伯爵の希望ではなく、本人に何が起きたかを聞く」
部下は頷き、門番の記録を持って来た。
エマは買物帰りの使用人の後ろについて通用門から出ていた。門番は、近所へ使いを頼みに行くのだと思ったという。帰った時刻は残っていない。
屋敷へ運送屋が入って連れ去った、という伯爵の主張には、まだ裏付けがなかった。
カインは娘が向かったという通りを歩いた。
舞踏会の夜には、料理、食器、花、薪を運ぶ車が増える。一台ずつ全部止めれば、逃げた者を見つける前に王都の荷が詰まる。
辻の水売りが、粗末な外套を着た若い女を見たと言った。だが顔までは覚えていない。貸食器屋の回収車が近くを通った時刻と重なっていた。
カインは組合の車の登録を求めた。
轍の幅は、ありふれた四輪車の範囲だった。同じ車輪を使う業者は何軒もある。泥の深さから客の体重まで当てることはできない。必要なのは、実際にその道を通ったかどうかを、一件ずつ消していくことだった。
聞き込みを続けると、深夜の引越しに慣れた業者がいるという話が出た。名前を聞くと、話した者は急に口を閉じた。
本人が選んだらしい少ない荷物。夜の運送に紛れる移動。昔の調書にも、似た事件があった。
ただし、似ていることと、同じ人間がしたことは違う。
カインは手帳に、確かめた事実だけを書いた。
その一方で、記録を残さず人を移す者がいるなら、見つけなければならないと思った。行先が消えた人を探す難しさを、彼は嫌というほど知っていた。
*
月無し運送へ次の客が来た時、ミレイユは前夜の経費を数えていた。
食器屋への車代、宿代、食事代。エマから預かった金は余裕があったが、それでも今後ずっと泊められるわけではない。三日分の約束を、三日後に追い出す口実へ変えるつもりもなかった。
ベルが鳴った。
入ってきた青年は、戸を閉める前に後ろを見た。油と鉄の匂いがする作業着。指の関節が太く、爪の間に黒い汚れが残っている。
「ラウルといいます。錠前工房の徒弟です」
「何を運びたい?」
「俺を」
男は言ってから、言葉遣いを間違えたように頭を下げた。
ミレイユは椅子を引いた。
ラウルは十歳で工房に入り、十二年の徒弟契約を結んだ。二十二になった今年、契約は満了したはずだった。だが、親方の持つ書面には十五年とあり、抗議すると殴られ、食費と寝床代を借金に加えられたという。
「俺が持っていた控えも、親方に預けたままなんです。最近、役所で写しを取ってもらったら、数字が違っていた」
持ってきた紙には十五年とある。これだけでは、昔は十二年だったと証明できない。
「当時の立会人は?」
「いたはずです。でも、十二年も前で」
「思い出せることは後で聞く。今日の怪我を見せてくれ」
袖の下に新しい痣があった。
裁判所へ訴える方法はある。だが、訴えたことが先に親方へ伝われば、結果を待つ場所がない。ミレイユは正規の申立てと、先に安全な場所へ移ることを分けて説明した。
「ここを出たら、すぐ自分の工房を持てますか」
「離籍の問題が残る。隠れて出れば全て終わる、とは言わない」
ラウルの顔が曇った。
「それでも、今日は殴られない所で眠れるかい。それが欲しいなら手伝う」
彼は長く黙り、やがて頷いた。
「欲しいです。寝ている間まで、親方の足音を聞いていたくない」
今は材料の受取に出てきたところだという。戻らなければ、今日のうちに失踪が知れる。
ミレイユは、今すぐ保護の申立てへ向かう方法も示した。ラウルは、工房に残る自分の物を持ち出したいと答えた。今夜は親方が取引先へ行くため、いつもより準備しやすい。
「危なくなったら、荷物は置いて来い。私物を全部選ばないと受けない、という意味じゃないからね」
ラウルは息を吐いた。
荷造りの説明をすると、彼は契約書の写しと、壊れた鍵を机に並べた。
「鍵は親父の形見です。残りは、店に戻らないと」
ミレイユは契約書を返した。
「これは三つに数えない。あんたを守るための紙だ」
ラウルは顔を上げた。好きな物を残り二つ選んでいいと理解するまで、少し時間がかかった。
帰る時の足取りは、来た時ほど急ではなかった。
ミレイユは窓から見送り、明日の回収業者へ連絡を入れた。
店の前を、王都の運送車が何台も通っていく。そのうち何台の記録を、追跡官が今日確かめるのか。今はまだ分からなかった。




