第26話 聖女のいない診療所
大神殿から、装飾の回収依頼が来た。
延期になった誓約式の椅子と、空いた壇上の天蓋。ミレイユは通常の運送として引き受け、荷札の数だけを数えた。
「これで終わると思わないことだ」
立会いの司祭が言った。
「荷物は、倉庫へ置けば終わるよ。料金は先払いだ」
彼女はそれ以上答えなかった。神殿が受け取った金の精算や、誰が契約を書き換えたかを決めるのは、この運送の仕事ではない。
回収した天蓋は、驚くほど軽かった。金の模様の下には、薄い木が組んである。丈夫なのは飾りより、下で支えていた台の方だった。
アルマの保護は、最初の期限が切れる前に延長された。
審理で本人はもう一度、終身誓約を拒否した。村の代理人からも、娘を保証人にする同意はしていないとの回答が届く。契約の争いが片づくまで、神殿は彼女を連れ戻せない。
その間に働きたい、とアルマは申し出た。
紹介された下町の診療所は、表通りから二本入った場所にある。ミレイユが鉢と小さな棚を届けた時、アルマは既に前掛けを着けていた。
「白い衣装の方がよかったですか」
患者にそう尋ね、年配の医師に叱られている。
「仕事着で十分。ここで服に治してもらう者はいない」
患者の老婆が笑った。
「顔は知っているよ。今日は聖女様と呼ぶのかい」
アルマは少し考えた。
「アルマ、と呼んでください」
「じゃあ、アルマ。膝が痛いんだ」
ミレイユは棚を壁へ寄せた。顔が知られている以上、隠れる場所ではない。勤務時間を限り、騒ぎが起きれば奥へ下がる段取りを決めてある。護衛をつけるため、診療所側にも事情を説明していた。
アルマは患部を診て医師に相談し、手を添えた。わずかな熱が指の下で散る。痛みを少し和らげるだけで、関節そのものが元へ戻るわけではない。
「今日はここまでです。薬も使って、明日また確かめましょう」
老婆は立ち上がり、膝を曲げた。
「全部治らないんだね」
「はい」
アルマの声は震えたが、言い直さなかった。
「じゃあ明日も来る。階段が少ないのは助かるよ」
扉が閉まった後、アルマは壁にもたれた。安心した時にこそ膝が抜けるのだと、最近知ったという。
「正直に言っても、また来てくれるんですね」
「来ない人もいるだろうさ。それでも、嘘の約束をしなくて済む」
ミレイユは空の鉢へ土を入れるのを手伝った。
アルマは故郷の土を、ほんのひとつまみだけ混ぜた。袋を空にしないのを見て、ミレイユは何も言わなかった。持っていたい物を全部、象徴らしく使い切る必要はない。
月無し運送へ戻ると、マヤが食材の納品票を抱えて待っていた。
「何か忘れ物かい」
「いえ。厨房に、返還の書類が届いたんです」
彼女の家籍は既に別になっている。それを覆す新しい根拠があるという。書類の見出しは、窃盗と逃亡幇助の共謀だった。
ミレイユは全てを読んだ。
マヤだけではない。アンナ、ベラ。三人が、ヴォスの預かる財産を持ち出し、証人を脅したとされている。日付の一つは、アルマの保護手続きをしていた日だった。
「そんなことをしていません」
「分かってる。だが、分かっているだけでは止められない」
エマが予定表と領収書を持って来た。三人のその日の居場所を、記憶でなく記録から確かめる。マヤはミナを別室へ送り、震える手で時刻を書き始めた。
カインは夕刻に来た。
「中央の集計から、保護先が引かれた形跡がある」
マヤの件で支局の閲覧を狭めても、中央が監督のために取る写しには、住所が残っていた。照会の名目は、保護先の安全確認。閲覧者の欄には代理処理としか書かれていない。
「止められなかったのか」
ミレイユの言葉に、カインは頷いた。
「仕組みを変える申立てが、処理待ちだった。待っている間も、写しは送られていた」
怒鳴れば少しは楽になる。だが、その時間に次の書類が動く。
ミレイユは三人の申立てを束ねた。
「なら今夜は、これを先に止める。必要な紙を言ってくれ」
カインは受け取ろうとして、手を止めた。
「俺の職務についても調査が始まった。明日から捜査権限を一時制限する、と」
机を挟んで、二人は黙った。
相手は、どの紙を先に動かせばよいかを知っていた。




