第24話 命令の余白
カインは、大臣府の廊下で二度身分証を調べられた。
役人は番号を書き、上着の内側まで確かめた。それほど警戒するなら文書で命じればよいのに、と彼は思った。紙を残したくない命令ほど、人を呼びつける。
オルフェン・グラードは机の向こうで、神殿の式次第を読んでいた。
「明日の保護申立てに、君が関わっているそうだね」
「担当部署に届いたものです。本人の意思を確認します」
「本人とは、聖女か」
カインは頷いた。隠す理由のないことまで隠せば、話が別の方向へ進む。
「神殿と村の契約に、君が口を挟む余地はない。内々に返し、誤解を解かせなさい」
「戻ることを本人が拒めば?」
「恐怖に駆られた若い娘の言葉が、熟慮の結果とは限らない」
「だから二度目の意思確認をし、保護下でも続けます。一度の署名で一生を決める方が、慎重な手続きとは言えません」
大臣は式次第を閉じた。
「君は、誰が神殿の施療を支えていると思う。寄進が止まれば、あの娘一人の希望では済まない。秩序は、守られている間ほど見えにくいものだ」
カインはノラの名を口にしなかった。自分の傷を見せても、この机の上で有効な理由にはならない。
「本人の申立てを受ける義務があります。中止を命じるなら、法的根拠と共に書面でお願いします」
しばらく、大臣は何も言わなかった。
やがて彼は別の紙を取った。王都の門と区画門の警備増強案だった。
「君の部下にも、明日は忙しく働いてもらう。広場の混乱が起きれば、責任を取る者が要る」
「配置変更は、所属へ正式に通達してください」
カインは深く一礼した。足の裏が汗ばんでいた。平然と断ったように見えても、仕事も部下の処遇も、この男の影響から自由ではない。
廊下へ戻った後、手帳に時刻と命令の内容を書いた。誰の前で言われ、誰が聞いていたか。それを忘れないうちに残す。
自分を守るためだけではなかった。明日、同じ命令を受けた同僚が、一人で責められないようにするためでもある。
広場の担当詰所には、すでに配置変更の連絡が来ていた。
裁判所の書記を伴う治安官の班だけが、別の門へ回される。カインは上官を起こし、事前の保護申立てがある場所を無人にする危険を説明した。上官は大臣府の指示だと言ったが、裁判所からも既に要請が届いていた。
結局、人数を減らしつつ、窓口には一班を残すことになった。カイン自身は広場の交通整理へ移される。
十分ではない。だが、全てを一人で変えようとして夜を使い切れば、それこそ窓口が開かない。
彼は引継ぎを文書にし、担当者に受領の署名をもらった。
「お前がいなくても、受ける」
同僚が言った。
「そのための窓口だろう」
カインは、肩から力が抜けるのを感じた。
朝、神殿前は旗と露店で埋まっていた。
カインは広場を歩き、柵の切れ目を見た。月無し運送の車はまだ来ていない。代わりに、回廊の扉でラウルが蝶番を確かめていた。許可を受けた修繕仕事らしく、診療所の主人が横で見ている。
ミレイユが用意した裏の出口だろう。顔も歩き方も見なくても、必要な仕事を並べれば、選ぶ場所は予想できる。
カインはそこを塞がず、柵の向きを変えるよう同僚へ頼んだ。客が出口へ殺到した時、狭い角で詰まらないようにする。
自分が今、何を手伝っているかは分かっていた。
法を破る運送屋を、盲目に信じたのではない。今日ここへ来る娘の申立てを、途中で奪わせないと決めただけだ。
それでも、運送屋の姿が見えた時には、胸の奥が少し軽くなった。
彼女は御者席からこちらを一度だけ見た。カインは帽子に触れ、窓口が開いていることを示す。
神殿の大扉が開いた。
聖女の登場を待つ人々が、いっせいに顔を上げる。
その視線と反対側、灰色の幌馬車から、前掛けを着けた娘が降りた。




