第23話 隠れないための道
誓約式の前日、月無し運送の机には王都中心部の図面が広がっていた。
「もう神殿の外にいるのに、どうして式へ近づくんです」
ラウルが尋ねた。
「中へ戻るんじゃない。式の広場の隣に、巡回の申立て窓口が出る。そこで本人が保護を求める」
ミレイユは、正門ではなく側道を指した。
神殿はアルマの不在を隠し、明日の式のために人を集めている。本人が違うことを語るなら、その嘘を聞かされた人たちにも届く場所がよい。アルマが選んだのはそこだった。
だが、人が多ければ安全とは限らない。押し合いが起これば、治安官は整理を名目に本人を別の場所へ運べる。熱狂的な信徒もいる。公衆の前へ出す計画には、逃げ道が二つ必要だった。
「一つは窓口の裏手。もう一つは、診療所へ続く回廊。こっちを使う時は、人前で話すのをやめる」
「誰が決めるんですか」
エマの問いに、ミレイユは自分だと言いかけた。
「……客が苦しくなったら、中止だ。私が様子を見て合図する」
結局、判断は自分に集めた。エマは紙にそれを書き、何か言いたそうにして口を閉じた。
ラウルには車の仕切りと避難路の扉の確認を任せる。錠を壊す必要はない。診療所の持ち主の許可を得て、内側から一動作で開くよう金具を修理する。マヤは車に同乗し、アルマが返事を変えた時に聞ける位置に座る。
エマは提出する書類を二組に分けた。公開用には契約の問題だけ。保護先や村人の詳しい住所は入れない。原本の照合は、裁判所の担当者の前で行う。
「大勢に紙を見せても、印章まで読めませんから」
彼女の言葉に、ミレイユは頷いた。
「人に見せるのは、本人が来て、本人が答えたということだ」
アルマは短い話を書いた。
最初は神殿の不正も、村への謝罪も、治せなかった患者への言葉も全部詰め込もうとした。何度書いても、一枚に収まらない。
ミレイユは横から文章を直さず、読み終わるまで待った。
「明日、必ず言っておきたいことは何だい」
「誓約しません。神殿へ戻りません。治療は続けたいです」
「それを先に。説明は、無事に着いてからでも続けられる」
アルマは長い紙を畳み、小さな紙へ書き直した。
「土の袋まで持って出るのを笑われるでしょうか」
「誰に?」
「……神殿の人に。価値のない物だと」
ミレイユは、袋の紐を締め直した。
「客の荷物の値段を、見送りにも来ない人に決めさせるな」
アルマはその言葉を、書きかけの紙の裏へ小さく写した。
夕方、カインから連絡が来た。
当番判事へ事前の申立ては届いた。明日の窓口には裁判所の書記と、神殿から指揮を受けない治安官が立ち会う。暴行や拘束の具体的な申告があれば、七十二時間の保護をその場で開始できる。以後は契約原本を審査し、必要なら保護を継続する。
ただし、王族の署名を必要とする非常令が出れば、その経路まで閉じられかねない。
「普通の行政封鎖と、同じじゃないんですか」
エマが尋ねた。
「別だ。大臣は門の警備を増やせるが、それだけで裁判所の命令を止めることはできない。非常令は、その審査を一時止めるためのものだと聞いた」
ミレイユは伝言の最後を読んだ。
カインは今夜、大臣府へ呼び出されている。
「この時刻に?」
エマが窓の暗さを見た。
ミレイユは地図の上の小さな駒を動かした。カインが来られない場合の道が、まだ一本足りなかった。
「窓口の担当へ確認を入れる。カイン一人を待って出発する段取りにはしない」
伝言を運んだ少年には、帰りの足代と夕食を渡した。危険な見張りを頼むことはしない。
人が去った後、ミレイユは机の前に一人残った。
カインなら、呼出しから帰ってくる。そう思いたい自分がいる。予定表に書ける根拠ではないと分かっていても、紙の端に彼の到着時刻を書く手が止まらなかった。
最後に、その時刻を消した。
隣へ『来なくても、進める』と書く。好き嫌いと段取りを混ぜれば、運ばれる客が困る。
ペンを置いた時、窓の外で神殿の鐘が鳴った。明日の祝福を予告する、晴れやかな音だった。




