第17話 追う側も襲われる
六人を送り届けた翌日の夜。借りた大型馬車を返すため、ミレイユとラウルは倉庫街へ向かっていた。
王都東区の運河沿いに広がる倉庫街を、一台の大型幌馬車がゆっくりと進んでいた。御者席で手綱を握るミレイユの隣には、作戦の要となった錠前職人のラウルが座り、大きく息を吐き出していた。
「……終わりましたね、ミレイユさん。六人全員、無事に送り届けられて良かった」
ラウルの声には、大仕事を成し遂げた達成感と、極度の緊張から解放された安堵が滲んでいた。
「ああ。お前の改造馬車と錠前の下調べがなければ、どうにもならなかった。助かったよ、ラウル」
「俺は、あんたに拾ってもらった恩を返しただけです。……でも、あの人たちの泣き顔を見たら、俺が作ってる鍵や金具が、誰かの人生を縛る鎖じゃなくて、自由の扉を開けるための道具になった気がして、少し誇らしかった」
ミレイユは手綱から片手を離し、ラウルの肩を軽く叩いた。
「職人の腕は使い道次第だ。お前はもう、自分の意思でその使い道を選べる」
霧が濃くなり始めていた。王都の深夜特有の、視界を白く濁らせる深い霧だ。
借りた馬車を返す車庫まではあと少し。ミレイユが馬の歩みを早めようとした、その時だった。
ガシャァァンッ!!
前方の霧の中から、凄まじい音が響いた。同時に、馬車の行く手を遮るように、巨大な木箱の山が崩れ落ちてきて道を塞いだ。
「ヒィヤッ!」
ミレイユは反射的に手綱を強く引き、馬を急停止させた。馬が甲高く嘶き、前足を跳ね上げる。
「な、なんだ!?」
ラウルが御者席から立ち上がり、前方を睨みつけた。
崩れた木箱の山は、偶然倒れたものではない。明らかに馬車の進行を妨害するために、意図的に積まれ、タイミングを合わせて崩されたものだ。
ミレイユは即座に周囲の気配を探った。
「……ラウル、降りるな。荷台の奥へ引っ込んでいろ」
ミレイユの冷たく張り詰めた声に、ラウルは息を呑んだ。
霧の奥から、複数の足音が近づいてくる。前方を塞ぐ木箱の陰から三人。そして、いつの間にか馬車の後方にも、退路を断つように二人の男が立っていた。
揃いの黒い革鎧に、手には鈍く光る棍棒や短剣を握っている。荒事を生業とする私兵たちだ。
「月無し運送の女主人だな」
前方に立つ男の一人が、低い声で言った。
「六人もいっぺんに消すとは、随分と派手な真似をしてくれたじゃねえか。おかげでこっちは、商品をごっそり失った旦那の不機嫌のツケを払わされてるんだよ」
ミレイユは御者席に座ったまま、動じずに男たちを見下ろした。
六人同時の夜逃げ。それが成功した直後に、この規模の襲撃が用意されているということは、相手は月無し運送を単なる「個人の運び屋」ではなく、「市場を荒らす組織的な脅威」として明確に認定し、潰しにかかってきたということだ。
「マレク・ヴォスの犬か」
「ご名答。この前の仕事を取り上げられた旦那が、随分とお怒りでな。てめえの首に懸賞金がかけられた。大人しくついてきてもらおうか」
男たちが、じりじりと馬車との距離を詰めてくる。
ミレイユは外套の裏に仕込んだ煙幕の粉袋に指をかけたが、相手は五人。しかもここは逃げ場のない一直線の倉庫街だ。ラウルを連れて強行突破するのは極めて困難だった。
「ふざけるな! ミレイユさんには指一本触れさせねえぞ!」
ラウルが御者席から飛び降り、持っていた重い鉄のバールを構えて男たちの前に立ちはだかった。
「やめろ、ラウル! お前は戦闘の訓練なんか受けてないだろう!」
「でも、ミレイユさんが……!」
「戻れ! 逃げた昔のあんたは、ちゃんと生き残っただろう!」
ラウルの足は震えていた。だが、彼は一歩も引かなかった。
「威勢がいい若造だ。なら、てめえから腕を折ってやるよ!」
私兵のリーダー格が棍棒を振り上げ、ラウルに向かって踏み込んだ。
ミレイユが煙幕を投げようと手を振りかぶった、まさにその瞬間だった。
「……夜更けに随分と物騒な連中だな」
低く、地を這うような声が、濃霧を切り裂いた。
私兵の動きがピタリと止まる。
声の主は、馬車の後方、ミレイユたちの退路を塞いでいた二人の男のさらに後ろから現れた。
ヨレのあるコートを羽織り、ポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりと歩み寄ってくる大柄な男。
王都治安局の逃亡者追跡官、カインだった。
「なっ、治安官……!?」
私兵の一人が狼狽して声を上げた。
カインは歩みを止めず、前方を塞ぐ五人の私兵を値踏みするように一瞥した。
「家籍局南区支局から漏れた情報の買い手を調べていた。ヴォスの事務所を出た連中を追って、ここまで来た」
カインはコートのポケットから手を出し、手帳を広げた。
「お前たち、何の権限があってこの馬車を止めている。強盗の疑いで全員署まで同行してもらうぞ」
突然の治安官の介入に、私兵たちは一瞬怯んだ。だが、リーダー格の男はすぐに邪悪な笑みを浮かべ、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「強盗だなんて人聞きの悪い。俺たちは、依頼主から委託を受けた、正当な連れ戻し業者ですよ」
男は羊皮紙を広げて見せびらかした。
「ここにいる女と若造は、家籍離脱令に違反した逃亡者を不法に手引きした犯罪者だ。俺たちは、被害に遭った家長たちから正式に発行された『返還令状』の執行代行をしているだけだ。治安局の旦那に邪魔される筋合いはねえ」
それは、法を隠れ蓑にして暴力を正当化する、ヴォス一派の常套手段だった。彼らは常に、自分たちの行動が合法であるという建前を用意している。
だが、カインはその令状を鼻で笑った。
「……返還令状の執行代行、だと?」
カインは令状の対象者欄を指した。
「そこに書かれているのは、六人の洗濯職人の名前だ。目の前の運送人と錠前職人を殴る権限は、どこにある?」
以前止めたK-04ではなかった。印の形が違っても、対象者を勝手に増やせるわけではない。カインは距離を取り、警笛を鳴らした。
倉庫の角から制服の治安官が現れる。ヴォスの事務所を見張っていた班の応援だった。カインは尾行を始める前に、倉庫街へ入る者を追う場合の合流先を決めていた。
「前を見ろ、ラウル。馬を押さえろ」
ミレイユは荷車を壁へ寄せ、男たちとラウルの間に置いた。棍棒が車の側板を叩き、馬が暴れる。カインが一人の腕を止める間に、同僚二人がその男を取り押さえた。残る者は囲まれ、武器を置いた。
側板に深い傷が残った。ミレイユは、あれが誰かの頭でなくてよかった、と手綱を握り直した。
カインは乱れたコートの襟を直し、馬車の御者席に座ったままのミレイユを見上げた。
「……怪我はないな、夜逃げ屋」
「ああ。またあんたに助けられるとはな」
ミレイユは深く息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「私たちを見張っていたのかい。それとも、ヴォスを?」
「今夜は、ヴォスだ。お前の件まで証拠が揃ったわけじゃない」
カインは手帳を取り出し、私兵たちが落とした偽造令状を証拠品として回収しながら言った。
「お前の仕事を無条件に認めたわけではない。だが、いま目の前の暴行を止める理由とは別だ。怪我の確認をする。全員、名前を答えろ」
「いいだろう。こっちも、ヴォスには借りがある。せいぜい協力し合おうじゃないか」
ミレイユが薄く笑みを浮かべた時、部下に指示を出していたカインが、ふと眉をひそめて立ち止まった。
彼は、先ほど同僚と取り押さえた男の懐からこぼれ落ちた、小さな革袋を拾い上げていた。
「……ミレイユ。お前のところの会計係は、ヴォスの資金源を洗っているんだったな」
「エマが何か?」
カインは革袋の中から、一枚の銀製引換札を取り出した。
それは、王都で一般的に流通している貨幣ではない。給与の支払いや、裏の取引の証として使われる特殊な刻印が施された銀製引換札だった。
カインはその銀製引換札を親指で弾き、街灯の光に透かしてミレイユに見せた。
「神殿の支払窓口で換金できる札だ。受取控えも入っている。これだけでは雇い主の指示とは限らないが、どの支払いかは調べられる」
ミレイユの目が、銀製引換札の表面に刻まれた紋章を捉えた。
それは、商業ギルドのものでも、貴族の家紋でもなかった。
三枚の葉が交差する、厳かで神聖な意匠。王国の精神的支柱であり、絶対的な権威を持つ宗教施設。
「……大神殿の、百合の紋章」
ミレイユの声が、微かに震えた。
「どういうことだ。ヴォスの裏にいるのは、家籍局の腐った役人だけじゃないのか」
「分からない。だが、一つだけ確かなことがある」
カインは引換札と受取控えを並べた。
「ヴォスの事務所だけを調べていても、この支払いの出所は分からない」
ミレイユは、控えにある窓口の番号を手元の紙へ写した。




