表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れスキル《導き》を授かった俺、辺境の村を最強にする 〜みんなの可能性が見える力で、今度こそ誰かの役に立てる〜  作者: 冬月 しるべ
第九章 写せないもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/65

第61話 合わない場所


 朝、ロッタは桶へ触れる前に、ほんの少しだけ指を止めた。


 昨日から続いている“見える順”は、もう村の中に混ざっている。

 井戸を見る。

 石槽を見る。

 樽を見る。

 最後に桶へ触れる。


 頭ではわかっている。

 理屈でも、もう間違っていない。


 けれど、手だけがまだ時々ためらう。


「嫌のままでやりな」

 母が横で言った。

「慣れた顔をしなくていい」

「……うん」


 ロッタは小さく返し、石槽へ目をやった。


 その時、北東の外れから戻ってきたディルが、井戸の前で足を止めた。


「ノア」


 低い声だった。

 それだけで、ノアは振り向く。


 ディルの顔は、いつもの無愛想なままだった。

 けれど、その目の奥だけが少し硬い。


「見つけた」

「何を」

 ノアが訊く。


 ディルは少しだけ言葉を選んで、それから言った。


「……村みたいなものを」


     ◇


 北東の森は、朝でも少し暗かった。


 倒れた石柱のある場所より、さらに少しだけ奥。

 木がまばらになった小さな空き地で、ディルは立ち止まった。


「ここだ」


 最初、ノアには何があるのかわからなかった。


 ただの枝。

 ただの石。

 ただの窪み。


 けれど、一歩近づいた瞬間、喉の奥がひやりとした。


 地面に細い枝が一本、まっすぐ刺してある。

 その先には、短い麻紐の輪。

 少し離れて、黒っぽい石が三つ。

 さらにその横には、浅く掘っただけの窪みがあり、底に水が薄く溜まっている。

 いちばん端には、口を横へ倒した小さな木の器。


 並べ方が、綺麗すぎた。


「……何これ」

 ロッタが小さく言う。


 母は答えなかった。

 ただ、その並びをじっと見ている。


 井戸の木釘。

 麻紐の輪。

 三つの石。

 浅い水。

 横倒しの器。


 村の中で見せていたものが、そのまま縮められて、ひとところへ押し込まれている。


 でも、違う。


 枝は木釘に似せてあるだけで、何も支えていない。

 石は三つ並んでいるだけで、中身がない。

 浅い窪みの水は、ただそこにあるだけで、誰の手も通っていない。


 村に似ている。

 けれど、村ではない。


 ノアは息を吸い忘れたみたいに、しばらく何も言えなかった。


「……真似してる」


 やっとそれだけ出た。


 ハンスが後ろで短く息を吐く。


「真似というより」

 そこで少し止まり、目だけで枝から石、窪み、器へと追っていく。

「覚えようとしてるな」


 ベルンが顔をしかめた。


「気味悪ぃな」

「うん」


 ノアは答えたが、視線は空き地から動かなかった。


 ロッタもその場で動かなかった。

 視線だけが、浅い窪みの水へ落ちる。


「……これ、井戸のつもり?」


 誰に向けたともつかない声だった。


 母が、ようやく口を開いた。


「井戸の代わりだね」

「代わり」

「見えていたものだけで、置き直してる」


 ディルが地面の器を顎で示す。


「桶もある」

「ある」

 母は頷いた。

「でも、置かれてるだけだ」


 ノアは空き地の並びを見たまま、息を詰めた。


 近い。

 なのに、届いていない。


 それがわかるぶんだけ、余計に気味が悪かった。


     ◇


「壊すか」

 父が低く言った。


 ハンスが首を振る。


「触るな」

「でも」

 ベルンが苛立った声を出す。

「こんなの置かせとくのか」

「見たなら、また来る」

 ハンスは答えた。

「次に何を足すか見た方が早い」


 母はまだ、浅い窪みの水を見ていた。


「ここには、暮らしがないね」


 静かな声だった。


 ロッタが顔を上げる。


「え」

「並びは似てる」

 母は言う。

「でも、使われてない。井戸も、石槽も、桶も、ただ置いてあるだけだ」


 ロッタはずっと黙っていた。

 やがて、小さく言う。


「……練習されてるみたい」


 誰もすぐには答えなかった。


 ロッタはもう一度、今度は少し低く続けた。


「村の外で、私たちの手を並べ直されてるみたいで、気持ち悪い」


 その声は震えていなかった。

 泣いているわけでもない。

 だから余計に、真ん中に落ちた。


 母がロッタを見る。

 でも、すぐに慰める言葉は出さない。


「うん」

 短く頷く。

「気持ち悪いよ」


 ロッタは唇を噛んだ。


「見てたんだ」

「見てた」

「今日のも?」

「たぶんね」

「……そっか」


 それだけ言って、ロッタは自分の手を見た。

 今朝、桶へ触れる前に少しだけ止まった指先。

 その指が、今は何も持っていないのに固く見えた。


     ◇


 村へ戻ってからも、いつもの役目は止めなかった。


 火は生かす。

 水は止めない。

 北は空けない。


 でも、そのたびにノアの頭の奥では、森の空き地がちらついた。


 刺した枝。

 麻紐の輪。

 三つの石。

 浅い水。

 横倒しの器。


 全部、見えていたものばかりだ。

 だからこそ嫌だった。


 それなのに、あの空き地には、喉を潤したあとの桶の重さもない。


 それを思い出すたびに、ノアは背中の奥が冷えた。


     ◇


 日が暮れる前、ハンスとディルはもう一度だけ北東を見に行った。


 戻ってきた時、二人とも顔色は変わらなかった。

 でも、ハンスが最初に言った言葉だけは短かった。


「水、減ってた」


 ノアが顔を上げる。


「窪みの?」

「少しだけな」

「蒸発じゃなくて?」

 ロッタが訊く。

「夕方だけであんな減り方はしねえ」

 ハンスは答えた。

「誰かが触ってる」


 それだけで十分だった。


 向こうは昼のあとにも、もう一度あそこへ来た。

 並べたものを見たのか。

 直したのか。

 それとも、ただ水に触れただけなのか。


 わからない。


 わからないままなのが、いちばん嫌だった。


     ◇


 夜、ノアは井戸のそばに立っていた。


 水面は静かだ。

 風も弱い。

 石槽も、暗がりの中ではただの影に見える。


 村の形は今日も崩れていない。


 それでも、森の外れに置かれた“村みたいなもの”が、頭から離れなかった。


 月が少し高くなったころ、井戸の縁へ置いた手のひらに冷たさが染みてくる。


 ノアは目を閉じなかった。

 閉じると、あの空き地の浅い窪みが見える気がしたからだ。


 井戸に似せた浅い水。

 でも誰の喉も潤さない水。


 村の中では今日も水が回った。

 けれど森の空き地では、置かれた順のまま、使われない水だけが残っている。


 ノアは井戸の縁に置いた手へ、もう片方の手を重ねた。


 冷たい石の感触は変わらない。


 月の下、村の外れの空き地で、いちばん井戸に似せられた浅い窪みの水だけが、今夜も誰にも使われないまま薄く光っている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ