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外れスキル《導き》を授かった俺、辺境の村を最強にする 〜みんなの可能性が見える力で、今度こそ誰かの役に立てる〜  作者: 冬月 しるべ
第九章 写せないもの

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第60話 写せない順


 朝、ノアは石槽の前で足を止めた。


 桶の並びが違う。


 昨日、ロッタが水樽を見たあとに仮置きした木桶は、口を手前へ向けて二つ、少しだけ間を空けて並んでいた。

 今朝、その二つはぴたりと口を揃え、間まできっちり同じ幅で並んでいる。


 整いすぎていた。


 ただ直しただけじゃない。

 昨日、自分たちが前へ出した形を、そのままなぞったみたいだった。


 ノアはしゃがみ込み、桶の底へ目をやる。


 乾いている。


 昨日は、水を見たあとで石槽の縁へ寄せた。

 底の片側にだけ、薄い湿りがついていた。

 今朝の二つには、それがない。


 石槽の縁に残るはずの、小さな水の輪もなかった。


 並びだけが、先にある。


 ロッタも遅れて石槽の前へ来て、桶を見たまま小さく言った。


「……これ、昨日の」

「うん」

 ノアは頷く。

「でも、昨日のままじゃない」

「どこが」

「順番」


 その時、母が集会所から出てきた。

 石槽の前へ来て、桶を見た途端に目を細める。


「揃えたね」

「見た?」

 ノアが訊く。

「見た」

 母は短く答えた。

「でも、ここで揃う形じゃない」


 ロッタが桶と母の顔を見比べる。


「昨日と同じじゃないの」

「見た目はね」

 母は桶の底を指で示した。

「昨日は水を見てから触った。これは最初から形だけ置いてある」


 ノアはもう一度、乾いた底を見た。


     ◇


 集会所へ集まったのは、いつもの役目持ちだった。


 卓の上には黒い石。

 布の切れ端。

 昨日まで使っていた麻紐の輪。


「また触ってきたな」

 ベルンが顔をしかめる。

「今度は桶か」


 父が低く問う。


「昨日の見せた形を返してきたってことか」

「形はそう」

 母が答えた。

「でも、中身がない」


 ハンスが短く息を吐く。


「並びだけか」

「うん」

 ノアは頷いた。

「そこへ来る前の流れは、まだ拾えてない」


 ディルが腕を組む。


「気味悪いのは変わらねえな」

「うん」

 ノアは答えた。

「でも、昨日よりズレが見える」


 父が卓の木目を見たまま言う。


「なら次は」


 ノアは顔を上げた。


「順を見せる」


 少しの沈黙のあと、母がそれを受けた。


「見える順を前へ出す」

「本当の順は?」

 ロッタが訊く。

「別に持つ」

 母は短く言った。

「見えていい流れだけ揃える」


 ハンスがわずかに笑った。


「いいな」

「何が」

 ベルンが訊く。

「真似するなら、こっちが見せた方からにさせられる」

 ハンスは答えた。

「でも、当たりは渡さねえ」


 ロッタは黙ったまま、自分の手を見た。


     ◇


 昼前、井戸と石槽のあいだで、母はいつもより少しだけ大きく動いた。


 最初に井戸を見る。

 次に石槽。

 それから樽。

 最後に桶へ触れる。


 ひとつずつ切って、誰が見ても追えるようにする。


 ロッタがそれを受ける。


 石槽を見る。

 樽の口を確かめる。

 桶を動かす。

 母はそこで手を出さない。

 代わりにノアが最後だけ位置を直す。


 見た目には、少し不自然なくらいゆっくりだった。


「芝居くさい」

 ベルンが井戸の前を通りながら言う。

「いい」

 ハンスが返した。

「見せるなら、そのくらいでいい」


 ミリアは途中で二度ほど立ち止まり、ノアたちの動きを見ていた。


「今日は何やってるの」

「順番」

 ノアが答える。

「順番って何」

「どこから見るか」

「ふうん」


 ミリアは半分もわかっていない。

 でも、それでよかった。


 村の者にとっては、少し変な日で足りる。

 全部の意味まで広がる必要はない。


 ノアは井戸の縁に手を置いた。

 水面は静かだ。

 何も返さない。


 けれど、その静かな水の前で、今日は“何を先に見るか”だけが妙にくっきりして見えた。


     ◇


 いちばんきつそうだったのは、ロッタだった。


 桶へ手を伸ばす前に、ほんの少しだけ指先が止まる。

 樽を確かめる時も、目だけではなく肩までこわばっている。


「大丈夫?」

 ノアが小さく訊くと、ロッタはすぐには答えなかった。


 しばらくしてから、喉の奥に引っかかったみたいな声で言う。


「……見られるために動いてるみたい」


 ノアは返せなかった。


 ロッタは石槽を見たまま続ける。


「いつもは違うじゃん。必要だから手を出してるだけで」

「うん」

「でも今日は、見せるために止まって、見せるために動いてる」

 そこで唇を噛む。

「自分の手なのに、自分の手じゃないみたいで、気持ち悪い」


 母がその横へ来た。

 すぐには慰めない。

 ロッタの手元を一度見て、それから静かに言う。


「そうだね」

 ロッタが顔を上げる。

「気持ち悪いよ」

 母ははっきり言った。

「見られる形を自分で作るんだから」

「……」

「でも、向こうに勝手に拾われるよりはましだよ」


 ロッタは黙ったまま、ゆっくり息を吐く。


「わかってる」

「うん」

「わかってるけど、嫌」

「それでいい」


 母はそこで初めて、ロッタの手から少しだけ視線を外した。


「嫌だって思ったままやりな。慣れた顔でやる方が危ない」


 ロッタは少しだけ目を細めた。

 それから、もう一度だけ桶へ手を伸ばす。


 今度は止まらない。

 でも、指先にはまだ硬さが残っていた。


     ◇


 エンツも、火床へ戻る前に二度ほど井戸の前を振り返った。


「変な感じ」

 エンツが言う。

「うん」

 ノアは頷いた。

「今日はそうしてる」

「止まるとこ、多い」

「多いね」

「見てると、さっきのと今のがごっちゃになる」


 ノアはそこで少しだけ目を上げた。


「……そうかも」

「違った?」

「いや」

 ノアは小さく笑った。

「たぶん合ってる」


 エンツはそれ以上は訊かなかった。

 薪を一本だけ寄せて、火の赤へ目を戻す。


     ◇


 日が傾くころ、ロッタが石槽の前でふいに足を止めた。


「ノア」


 低い声だった。

 それだけで、ノアは普通の歩幅でそちらへ向かう。


 石槽の縁、その少し下。

 水の飛沫がかかりにくい乾いた部分に、浅い擦れ跡が三つ残っていた。


 一直線ではない。

 少しずつ間がずれている。


 しかも三つ目の傷の先には、ごく小さな水滴の跡がひとつだけ残っていた。

 そこまで手を伸ばして、そこで止まったみたいに。


 母が来る。

 ディルも戻る。

 誰もすぐには触れない。


 ハンスがかがみ込み、石槽の縁を目だけで追った。


「順だな」

 低く言う。


 ロッタが眉を寄せる。


「どこが」

 ハンスは傷を見たまま答えた。

「迷ってる」


 ノアもその跡を見る。


 一つ目は石槽の縁に近い。

 二つ目は少し離れている。

 三つ目だけ、途中でぶれて短い。

 その先に、水滴の跡がひとつだけ残っている。


 今日、自分たちが前へ出した流れ。

 井戸。石槽。樽。桶。

 向こうはそれを追おうとした。

 でも、その先で置き場所を見失った。


「写したかったんだ」

 ノアが呟く。

「うん」

 母が答えた。

「でも、写しきれなかった」


 ベルンが嫌そうに息を吐く。


「来てるな」

「来てる」

 ディルが言う。

「でも、昨日より迷ってる」


 ロッタはその傷を見たまま、指先を握り込んだ。


「気持ち悪い」


 誰もすぐには返さない。


 ロッタはもう一度、今度は少し低く言った。


「見てたんだ。あんなふうに」


 母の目がわずかに揺れる。

 でも、視線は石槽から外さなかった。


「うん」

 短く答える。

「見てた」


 ロッタの喉が一度だけ動く。


「じゃあ今日のも」

「見てた」

「……そっか」


 それだけだった。

 泣きもしない。

 怒鳴りもしない。


 ただ、自分がさっきまで動かしていた手を、今は見ないようにしていた。


 ノアは石槽の縁から目を離せなかった。


 ここまでは来る。

 でも、その先では止まる。


     ◇


 夜、村の形は今日も崩れていなかった。


 火は生きている。

 水は回っている。

 北には見張りが混ざっている。


 ノアは暗い井戸のそばに立ち、石槽の縁を見ていた。


 昼に残された三つの浅い傷は、夜の影の中ではほとんど見えない。

 けれど、見えないだけで、そこにある。


 井戸の水面は静かだった。

 風も弱い。


 何も起きていないように見える夜の中で、目を凝らした時だけ見える傷がある。


 ノアは井戸の縁に手を置いた。


 冷たい石の感触は変わらない。


 石槽の見えにくい傷と、井戸の静かな水。

 そのあいだにある小さなズレだけが、今夜のノアには、まだ持ち去られていない村の形のように思えた。

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