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外れスキル《導き》を授かった俺、辺境の村を最強にする 〜みんなの可能性が見える力で、今度こそ誰かの役に立てる〜  作者: 冬月 しるべ
第4章 地下に眠る継承

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第28話 盆に触れた指


 外套の男の指先が、中央窪地の縁へ触れた。


 次の瞬間、青白い返し水がびくりと震えた。


 白い石床を巡っていた細い流れが、まるで息を呑むみたいに一瞬だけ止まり、そのあと今までとは逆向きに揺れ始める。


「っ……!」


 ノアは走った。


 前室へ飛び込んだ足の裏に、ぬるりとした違和感が返る。

 さっきまで自分たちの味方だった返し水が、今度は足首へ絡みつくように流れていた。


 父の顔が変わる。


「流れが……逆だ!」

 槍の穂先がぶれる。

 返し水に乗って踏み込もうとした一歩が、逆に足場を奪われたのだ。


 ハンスが即座に半歩下がる。

 カイルも舌打ちしながら床を見た。


「やばいぞ、これ……!」


 外套の男は中央窪地の前に立ったまま、ゆっくりノアを振り向いた。


 表情は見えない。

 だが、その声だけは妙に静かだった。


「遅い」

「そこから離れろ!」

 ノアが叫ぶ。


 男は答えない。


 代わりに、返し石のはまった中央窪地の縁を、指先でなぞるように滑らせた。


 かす、となにかが擦れる音。


 その瞬間、前室の床を走っていた青白い線が、一斉に形を変えた。


 右隠し口を押し返していた流れが細くなり、逆に前室の中央へ集まり始める。

 壁際を巡っていた水路も、ぐるりと向きを変え、中央窪地の下へ吸い込まれていく。


【返し盆】

状態:外部干渉中

危険:高

可能性:返し流向反転


【返し水】

状態:反転兆候

効果:防衛機構の再判定


 再判定。


 ノアの背筋が冷えた。


 こいつ、返し水を止めたんじゃない。

 返しの間そのものに、「誰を通して、誰を返すか」をもう一度選ばせようとしている。


「父さん、下がって!」

 ノアが叫んだのと同時に、床の白い線が父の足元で光った。


 細い水が、輪を描くように父の周囲へ集まる。


「っ!」

 父が咄嗟に飛び退く。

 次の瞬間、さっきまで父が立っていた場所を中心に、白い水の輪が立ち上がった。


 壁――ではない。

 だが、人を押し戻すには十分な、水の柵だ。


「こっちを“侵入者”にしやがったのか!」

 カイルが吠える。


 右隠し口の向こうでは、敵兵たちがざわめいていた。

 押し込まれていたはずの連中まで、その変化に息を呑んでいる。


 外套の男は、返し石そのものには触れないまま言った。


「鍵だけでは足りない」

 低い声だった。

「盆は流れを返す場所だ。なら、どちらへ返すかも決められる」


 ノアは歯を食いしばる。


 見えている。

 だが遅い。


 中央窪地の縁に沿って、青い筋と白い筋が絡み合っている。

 外套の男が触れているのは、ただの縁じゃない。

 返し石を起点に、防衛と選別を切り替える溝だ。


【返し盆】

役割:返し水起点

備考:流向選別機構あり


【外套の男】

状態:盆干渉中

可能性:判定書換え試行


 書き換え。


 その言葉が、頭の奥で鋭く鳴る。


 彼女が言っていた。


 返し石が大事なんじゃない。

 盆そのものが、流れを返す場所だと。


 なら逆に言えば――返し石を抜かずとも、盆の書き換えを止めればいい。


『縁』


 その声は、水の中からだった。


 ノアははっと顔を上げる。


 封印槽の広間の奥。

 白い通路の先、水の中にいる彼女の姿はここからは見えない。

 それでも、声だけがはっきり届いた。


『中央じゃない』

『その人が触っている場所の、反対』


 反対。


 ノアは中央窪地を見た。


 外套の男の指先は、窪地の北寄り、わずかに深く刻まれた細溝へ沿っている。

 なら反対は、南。


 床を走る《導き》の線が、そこだけごく薄く脈打った。


【返し盆南縁】

状態:対向操作部の可能性

効果:流向拮抗


 いける。


 だが、外套の男もそれに気づいたらしい。


「来るな」

 静かな声だった。


 同時に、右隠し口の向こうから敵兵が二人、板を踏み越えて前へ出る。

 返し水の流れが弱まった今なら、踏み込める。


「させるか!」

 父が槍を振るう。

 板の上へ乗りかけた一人の胸元を、柄で叩き落とす。

 ハンスの矢が二人目の肩口を掠めた。


 だが、それで終わらない。


 カイルが横へ滑り込み、父の死角へ入ろうとした敵の膝を刈る。

 水と怒声が跳ねる。


 前室はまだ持つ。

 だが長くはない。


「ノア!」

 父が怒鳴る。

「やるなら今だ!」


 ノアは返し水の輪を飛び越えた。


 真正面からじゃない。

 中央窪地を挟んで、外套の男の対角へ滑り込む。


 濡れた白い石床。

 青い光。

 中央で静かに鳴る返し石。


 外套の男の指が止まる。


「見えるのか」

 その声には、はじめてわずかな苛立ちが混じった。

「返し盆の“裏”まで」


 ノアは答えない。


 南縁へ手を置く。


 冷たい。

 だが導水盤のときとも、封印槽の支柱とも違う。


 これは“動かす”感触じゃない。

 “選ぶ”感触だ。


 指先の奥へ、二本の流れが同時に伝わってくる。


 返す流れ。

 通す流れ。


 押し返すための水と、奥へ導くための水。

 そのどちらにも偏らない、細い均衡。


「……均せばいい」


 呟いた瞬間、外套の男の目が細くなった。


「お前にそれができるか」


 ノアは南縁の溝へ、指先を差し込んだ。


 右へ回せば、流れは完全にこちらへ戻る。

 だがそれでは父たちまで“返される”。


 左へ切れば、敵を通す。


 違う。


 回すんじゃない。


 合わせる。


 ノアは外套の男の指の位置を見た。

 その反対側。

 同じ深さ。

 同じ角度。


 そこへ、ぴたりと指を沿わせる。


 かち。


 ごく小さな音だった。


 その瞬間、中央窪地の縁を走っていた青と白の線が、真正面でぶつかった。


 ぱき、と乾いたひびみたいな音。


 返し水が、止まる。


 いや、違う。


 一方向へ流れるのをやめて、その場で渦を巻き始めたのだ。


「……!」


 外套の男の指先が、初めてわずかにずれた。


【返し盆】

状態:拮抗開始

効果:流向書換え阻害


【外套の男】

状態:干渉維持中

危険:高

弱点:拮抗により制御低下


 いける。


 だが、その安堵は一瞬だった。


 外套の男が、もう片方の手を懐へ入れたのだ。


 取り出したのは、細長い青黒い鍵。

 主水門下部の非常用経路を開いたときに使っていた、あの非常用起動鍵だった。


 ぞくり、とした。


「まだ持っていたのか……!」

 ノアが息を呑む。


 男は答えない。

 そのまま鍵を中央窪地の脇、白い盆地の縁にあるごく細い穴へ差し込もうとする。


【非常用起動鍵】

状態:使用可能

危険:極高


【返し盆脇穴】

状態:非常用割込口の可能性


 まずい。


 それを通されたら、拮抗ごと割り込まれる。


 ノアが手を離して止めに行けば、今度は流れの均衡が崩れる。

 だが離れなければ、鍵が入る。


 その一瞬の迷いを、外套の男は見逃さなかった。


「選べ」

 静かな声だった。

「均すか、奪われるか」


 次の瞬間、横から影が飛び込んだ。


 カイルだ。


「選ぶのはお前ちゃうやろ!」


 短剣の柄頭が、外套の男の手首を打つ。

 鍵がわずかに逸れ、白い盆地の縁を削った。


 火花みたいな青い水しぶきが散る。


「カイル!」

「五秒!」


 カイルは叫びながら、そのまま外套の男へ体当たりした。

 だが真正面じゃ勝てない。

 男は半歩引くだけで、衝撃を流す。


 それでも十分だった。


 鍵は、まだ差し込まれていない。


 ノアは南縁へ押し込んでいた指先に、さらに力を込めた。


 合わせる。

 押し返さない。

 通しもしない。


 ただ、偏らせない。


 中央窪地の中で、返し石が青く鳴る。


 白い盆地の底に、細い紋がひとつ、ふたつと浮かび上がる。

 水守紋だ。

 導水盤、封印槽、彼女の胸元にあったものと同じ円の紋。


【返し盆】

状態:正規応答開始

可能性:正規路選別移行


 外套の男の顔色が、初めて変わった。


「……何」

 低い声だった。

「なぜ、そこまで――」


 最後まで言わせなかった。


 中央窪地の底で、青白い光が一気に立ち上がったのだ。


 返し水が盆地の中心で渦を巻く。

 床を巡っていた流れは、前室の中央から左右へ綺麗に割れ、父たちの足元からすっと退いた。


 逆に、右隠し口の前だけが深く沈むように水を集める。


「滑るぞ!」

 ハンスが叫ぶ。


 敵兵が踏み込みかけた板ごと足を取られ、隠し口の奥へ崩れた。

 父の槍が、空いた間合いへまっすぐ伸びる。

 敵の肩を打ち抜くように押し返す。


 外套の男は一歩下がった。


 カイルが息を荒げながら笑う。


「……間に合ったやんけ」


 ノアは返し盆から手を離さない。


 だが、まだ終わっていない。


 盆の底に浮かび上がった紋は消えず、そのまま中央から一本だけ、奥へ向かう細い光の線を伸ばした。


 前室のさらに奥。

 封印槽の方へではない。


 別の方向だ。


【返し盆】

状態:正規応答中

可能性:第二区画指示


 第二区画。


 その文字を見た瞬間、外套の男がはっきりと息を呑んだ。


 はじめてだ。

 こいつが、見ていなかったものが出た。


「……そこまで残っていたのか」

 低い声だった。

 だが今度は、明らかに予定外を見た声だ。


 ノアは盆の底の光を見つめる。


 この地下は、まだ終わっていない。

 封印槽だけでも、前室だけでもない。

 さらに奥がある。


 そのとき、封印槽の方から彼女の声が届いた。


『触らせないで』

 短い声だった。

『盆を、外さないで』


 外套の男が視線を上げる。


 ノアを見る。

 返し盆を見る。

 そして、奥へ伸びた新しい光を見る。


 その目が、初めて“奪う”ではなく“測る”目になった。


「……なるほど」

 男は静かに言った。

「お前は、返し石を動かしたんじゃない。返し盆に選ばれたのか」


 ノアは答えない。


 答える前に、右隠し口の奥でまた敵の足音が重なった。

 前室は持ち直した。

 だが、まだ押し切られてはいないだけだ。


 父が荒い息のまま怒鳴る。


「ノア! 次はどうする!」


 ノアは中央窪地の底に伸びる細い光を見た。


 外套の男も見ている。

 敵も、まだ来る。

 彼女は盆を外させるなと言った。


 なら、答えは一つしかない。


「父さん、盆から離させないで!」

「お前は!?」

「俺は、その先を見に行く!」


 カイルが振り向く。

 ハンスの目が細くなる。

 外套の男だけが、静かに口元を歪めた。


「行けると思うか」

「行く」

 ノアは言い切った。

「お前より先に」


 次の瞬間、返し盆の奥へ伸びた光の線が、前室左奥の壁際で止まった。


 白い石壁の継ぎ目が、ゆっくりと浮く。


 隠されていた、第二の扉だ。


 ノアは息を呑む。


 彼女が守れと言ったのは、返し石じゃない。

 返し盆そのものだった。

 そして今、その盆が新しい道を示している。


 外套の男が一歩踏み出す。

 父の槍がその前へ滑り込む。

 カイルが横へ回る。

 ハンスの矢が、男の進路の床を打つ。


 ノアは踵を返した。


 白い石壁へ。

 浮き始めた第二の扉へ。

 返し盆が示した、まだ誰も触れていない奥へ。


 背後で、外套の男の低い声が落ちる。


「なら、そこで知るといい」

 その声は、不気味なくらい静かだった。

「何を返し、何を沈めてきたのかを」


 ノアは止まらない。


 白い壁の継ぎ目が、青白い光を帯びて開いていく。

 その奥から、今までとは違う空気が流れてきた。


 冷たい。

 けれど、水の匂いはしない。


 もっと乾いていて、もっと古い。


【第二扉】

状態:開放開始

危険:不明

可能性:第二区画接続


 ノアは唇を噛み、飛び込んだ。


 ――返し盆の先に、まだ知らない区画があった。

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