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35恥目 寒がらない?そりゃそうだ!

 路地を抜けると大通り。まるで映画のような追走劇。


 地面から踵を離す度に雪道から白い飛沫を上げる。薄らと氷の膜を貼った日陰の道を砂道を足取り不安定に走る男は、とっくに息を切らしていた。

 狭い道も広い道も、見失わないよう追いかける。


 男はまだ追いかけて来ているかと後ろを向いているが、それが命取りだという事を知らない。

 そしてその時が来た。細い路地へ入り込んだ男はヘタリと座り込み喘息のように息を枯らし、ぐったりとしていた。


「お前、どんな、体力、してんだよ!」

 

 観念した男は右手で目を覆った。僕は担いでいた中也さんを降ろして、男に着ていた羽織を被せてやる。 

 僕も寒いが、ワイシャツ一枚のこいつに比べたら幾分マシだ。すると男は力なく羽織を放り投げて「別に寒くないわ」と不機嫌そうにしながら、呼吸を整え始める。


 僕は男の呼吸が整うのを待ってから本題を切り出した。


「なあ、もしかして花持ってるか?」

「ハナァ?」


 太々しい顔で悪態をつく。うーん、と顎に手を当てて如何にも悩むフリをする。花を持っていなければ、ただの勘違いだけど、それなら食い逃げ犯として警察に突き出してやればいい。


「一緒かどうか知らないけど、僕の花はこれだ。アンタもそうか?」


 半分に裂けたムラサキケマンを差し出すと、男は驚いたようだ。


「なんだよ……お前もか?」


  僕はこくりと頷いた。


「冬に咲いているとは思えないくらい生き生きしてるだろ? 見たぞ、あの金」


 すると男は全てを理解したようだ。曲がったメガネをかけ直し、何故か勝ち誇った表情をして僕を見下す。僕よりも20センチくらい背が高いだろうか。 見上げて直ぐに額を人差し指でグリグリとネジを巻くように押し付けてくる。


「お前も死のうとしたって? へえ、こんなクソガキも召喚されるのかァ!」

「なっ、誰がクソガキだ! 食い逃げたやつに言われたかない!」


 思わず喧嘩腰になると、中也さんが「要!」と両腕を押さえつけた。聞きたい事は山ほどある。

 どのくらい昭和に居るか、どうやってここに来たか、その他諸々。なのにこの男はまともに話が出来ないのか、人を見下すことしか考えていない。


「食い逃げだと!? 俺は払ったね! しっかりと! 価値のあるもので!」

「10円だろうが、バカ!」

「昭和の10円はまあまあな金額だろ?」

「硬貨の利用価値がねえっつてんだよ! 理解できねぇのか! ぶっ飛ばすぞ!」


 煽る男に、それをまともに受ける僕。中也さんは僕の腰に手を回して、喧嘩を止めようとしている。僕も単純だから、頭にカーッと血が上る。


 犯罪を犯しておきながら、自分は何も悪く無いと悪びれもしない。人に迷惑かけている自覚もない。煽りスキルだけ高くて、相手にしているこっちがアホみたいだ。 それでもいい、コイツだけは1回は殴らないと気が済まない。


 しゅーさんなんか可愛いもんだ。悪い事をしたら子犬のような声で泣くし、怒られたら大袈裟にしょげる。「虐めないで」と被害者面する事もあるけど、それだってコイツに比べたら可愛い。

 五反田に帰ったらしゅーさんを甘やかしてやりたいと思うくらいだもの。


 そしてこの男は僕の顔をまじまじと見て、吹き出して笑った。


「女みてェな顔してるが、違うな。男1人担いでこの距離をあんなスピードで走る奴はいない。そうだ、まるでチーター足のゴリラだな! なァ、存在感のうっすい後ろの坊ちゃんは、このゴリラの腰巾着かなんかか?」

「誰が腰巾着だって?」


 中也さんはたった一言、腰巾着と言われるといつになく優しく微笑み、ゆっくりと路地に落ちた酒瓶を右手に握った。

 都合よく落ちてるのか、こんな物。昭和の路地は荒れ果てている事が多いので不思議ではなかった。それでも都合が良過ぎる。


 男はお構いなしに話を続けた。


「なよっちい顔してるもんなぁ! 女に相手にされないからこのクソガキとケツの穴で慰めあってんのか? それとも金でこの猛獣を雇ってるか、それか――」


 男がこれでもかと煽る。それ以上はやめた方が――と言おうか迷っていると、中也さんは一升瓶を大きく振りかぶって、男の頭に叩きつけた。


 ガラスの割れる鋭い音、頭にぶつかる鈍い音。空中に瞬くガラスの煌めき。飛んでいくのは茶色の破片。キラキラと飴のカケラみたいに綺麗だった。あまりに衝撃的で時が止まった気がした。


 男は痛みに悶え苦しみながら、絶息しそうな声を出して倒れ込んでしまった。頭から血が噴水のようにピューと吹き出している。


 そして中也さんは、軽蔑するような眼差しで男にこう言った。


「殺すぞ」


 まるで別人の様だ。足で男を揺さぶり、気絶したことを確認する。僕は足元に転がっていた男のメガネを拾い上げた。原型は留めていない。フレームはグチャグチャ、レンズも両方どこかへ消えている。


 無慈悲だ。手加減という言葉を知らない人の力加減。


 いつもは僕を揶揄ったり、何かあれば助けてくれる優しい中也さんの新しい一面。意外と喧嘩は強そうで驚いた。

 怖いとも思ったが、恋とは盲目。そんな姿もカッコよく見える。はあ、好き。むねがくるしい。


「要、タスキ紐を貸してくれる?」

「あ、これですか? は、はい」


 普段袖の袂を止めている白色のタスキ紐を体から外し、手渡した。それを男の両足首にグルグルと巻き付け、余裕があるように持ち手をつくる。そして泥と雪の混じる今来た道を、背の高い食い逃げ男を引きずりながら戻った。


 中也さんの目は死んでいた。これぞ死んだ魚のような目。泥や雪もおかまいなしだ。


 僕は何も言えずに、ただ着いて行った。



 食い逃げされた喫茶店に着くと、男はタイミングよく目覚めた。引きづられていたから頭に痛みがあるのか、頭を押さえている。


「うあ……」

「正座しろよ」


 ドスの効いた声を出すのは中也さんだ。ソファーに腰をかけ、足を開いて男に言い放った。男は意識が朦朧としているのだろう。ユラユラと頭が左右に動いている。目の焦点が合っていないのが不気味だ。


「早く正座しろっつってんだよ」


 威圧感のある声。怒られているような気分になって、僕まで身震いした。男もやっとガタガタと震え、指示通りに正座。給仕さんや喫茶店の店主のような男性も食い逃げされたことに怒る余裕もなさそうだ。


 中也さんは彼らに「どうぞ、とっ捕まえましたんで好きにしてください」と言った。

 しかし、対応を間違えれば中也さんがまた誰かに殴りかかってしまう気さえする。怒りの後の笑顔とはこうも恐ろしいものなのか。


  案の定、誰も何も言わない。地獄だ。すると「名前」と、中也さんは名を名乗るよう言いつける。


「あ?」

「あ? じゃねえだろ、名前を名乗れって言ってんのが聞こえねえのかボケ」


 めっちゃ怒られてる。僕が男の立場なら漏らしてる。失禁して人を辞めざる得ない。


「糸魚川」


 男は恐る恐る、苗字だけを漏らした。


「聞こえない」


 立場逆転、中也さんがタスキ紐をちらつかせて煽る。もっとハッキリ言え、という意味だろう。


「いといがわ! あやとです! 文に人と書いて、あ、や、と!」


 男は大声で名前を名乗った。そして、チャンスとばかりにスラスラと語り始める。


「ジジィの借金がありすぎて、飯が食えなかったんだよ! 北極に連れてかれて、帰ってきたら満足に生活も出来ねえ! 飢え死にそうだったんだよ!」


 身の上話を語ると、そのまま負けを認めたかと泣き始めた。


 彼の名は、糸魚川 文人(いといがわあやと)


 昭和の冬を寒がらない食い逃げ犯は、北極に行ったんだという。北極に行くような偉人と一緒にいるってことは、どうりで寒がらない訳だ。

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