34恥目 こんなところに10円玉
豆腐屋に遅刻した午後、昼休憩で出された塩おにぎりを頬張りながら原稿用紙を見ていた。
「要、行儀悪いよ!」
「うぃ」
豆腐屋の奥さんに背中を掌でバチンと叩かれる。僕は動じずに文章に目を通した。片膝を立てて座り、口は時々思い出したように動く。僕は集中しているのだ。
この「思ひ出」というタイトルの原稿用紙に意識も目も奪われている。
どっかの誰かさんが恋した話とか。
どっかの誰かさんがお父さんに米蔵で遊んでいたのを怒られてビビっている話とか。
どっかの誰かさんの思春期とか。
どっかの誰かさんが作家を志した話とか。
そういう文章が書いてあった。タイトルそのまま、しゅーさんの「思い出」を読んだんだ。 何故か初めて読んだ気がしなくて、一文一文読むたびに読んだ事があるのだと思い出す。書いてないけれど、文章は言う。
無駄な意地を張るのは辞めて帰ってこいよ、と。
あの晩、なぜしゅーさんが怒ったのかわかった気がする。きっと僕にこれを見せたかったんだ。
――僕に会う前のしゅーさんも、しゅーさんの悲しいも嬉しいも、全部知りたいんだ。
何気ない日常で放ったあの時の言葉を、彼は覚えていてくれた。そういう事だ。しゅーさんがこれまで感じてきたものを渡しに来てくれてたんだ。
僕に直接渡さないのは気不味いのか、それともカッコつけなのかはわからないけれど、帰ってくることを見越してわざと先生に託したに違いない。
「ずるいなあ」
しみじみとしゅーさんの優しさに頬を緩めていると、原稿用紙の最後の一枚を見忘れていた事に気づく。やけに文字がデカい。
『ばーか』
マス目のある原稿用紙の真ん中に、堂々と殴り書きでそう書いてあった。
なるほど、先生の言う通りだ。
五反田に帰ろう。君が書いたこの文章の感想を言いに。五反田に帰ろう。胸ぐらを掴んでグーパンチしにね。
喧嘩は辞めるどころか、続行だ!
*
遅刻してしまったが、8時から15時までみっちり働いた。年の瀬も迫った冬は陽が傾くのも早い。このまま年が明けてもまた事件が起きるだろう。その繰り返しをあと何度繰り返すんだか。
気が休まらないのに、それを楽しみにしてしまってるのが複雑だなぁ。
「お疲れ様」
「中也さん」
豆腐屋を出て先生のアパートに向かう途中、中也さんとばったり会った。いいや、多分迎えに来てくれたんだと思う。
僕の淡い緑色のマフラーを持っているから、きっとそうだ。いつ見てもいい男だな。
言葉も感情も、好きしか出てこない。語彙力を喪失しました。
「その紙の束は何?」
中也さんは僕が左手に持っている原稿用紙の束を指差した。やっぱり聞くんだ。「果たし状です」と返すと「津島か」とすぐに察してくれた。 彼もまた眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をする。
「こんな道のど真ん中で聞くことじゃないと思うんですけど、聞いてもいいですか?」
「それは昨日の夜の続き?」
どこまで察しがいいんだ。こくんと頷くと「やっぱり」と返される。
「夜に話そう。今日も拓実さんの部屋に泊まるだろう?」
「いえ、今日は五反田に帰ろうと思います。喧嘩の続きをしにね」
一刻も早く殴りたい気持ちが、中也さんと居たい気持ちよりほんの少し勝っている。好きな人の前なのにこんなんでいいのかって感じだが「ばーか」の破壊力は類を見ない。
拳を作り、関節をわざと尖らせて思いっきりガツンと行きたい。いろんな感情が抑えきれなくなって中也さんに愚痴ってしまった。いや、愚痴ではないかな。しゅーさんの文章を読めたのは嬉しかったわけだし。
そうすると中也さんは強引に手首を掴んで、手を繋でいるようにも見えなくないような風にくっついてくる。
「もう終わり」
ちょっと不機嫌そうにそう言う。気を悪くさせてしまったのだろうか?眉を顰めて、少し早歩きだし、突然無言になって、手首を掴む力は強いまま。
あの、勘違いでなければなんですが、もしかしてこれってヤキモチですか? よく見ると、中也さんの口がほんの少し尖っている。
僕としゅーさんは兄弟と名乗っていても、性別や苗字は違う。もしかしたらヤキモチを妬いてくれたかもしれない事に嬉しくなって、「今日も泊まろう」と呟くと「よかった」と返ってくる。
けれど幸せに浸っていると何か邪魔が入るのが、僕の性でありまして。
「食い逃げだ! 捕まえて!」
僕らがちょうど喫茶店の前に差しかかった時、ものすごいスピードで誰かが喫茶店のドアから出て行った。
綺麗なフォーム。陸上選手のようだ。反射的に中也さんの前に立ち、右手を横に伸ばして庇う。 走り去って行ったのは、メガネをかけた黒髪ショートヘアの男。身なりは、下がチノパンのようなズボンに、上はワイシャツだけ。かなり薄着に見えた。昭和の冬を舐めくさった格好だ。
「あいつ、変なメダルだけ置いて出ていきやがった!」
「なんなのこれ。銅色に鳥が描いてあるわ」
店の人が追いかけるのを諦め、外で食い逃げ犯が置いて行った何かを囲んでいる。周りのギャラリーもそれに興味を持って囲んでいたが、キラリと光るソレを、僕は知っている気がした。
「それ、見せてもらえますか!」
ギャラリーをかき分けてメダルに触れると、すぐにわかった。これは昭和にあってはならない。僕のリュックの中にも入っている物。
「これ……!」
平等院鳳凰が書かれた銅色の硬貨。平成18年と書かれた、比較的綺麗な10円玉だ。当たり前だが、中也さんや周りは皆目見当も付かないようだった。
周りを混乱させないよう、自分の中だけで呟いた。なぜこんな所に? あの食い逃げ犯はなんなのか。考えると、先生や司の顔が浮かんだ。
間違いない、現代の人間だ!
そう思うといても経ってもいられない。僕は中也さんを担いで食い逃げ犯を追う。
「要!? 恥ずかしいから降ろしてくれ!」
立場逆転、中也さんは顔を真っ赤にしている。しかし、それに構っている時間なんてなかった。




