勇者失格
……何日、経った。
一週間か、二週間か……もうそれすら曖昧になってきてる。
結局彼を守れなかった。今思えばあの時の僕は分かりやすく自暴自棄になって--その上で華々しく散ることすらできず、結果がこれだ。
ただ「珍しいから」という理由で拉致されて、こんな訳の分からない謎の空間に幽閉されて。彼と一緒にいることすらできずに敵陣営に捕獲されるなんて情けない。
魔力が無いから変形もできずに人型のままだし、そもそも結界みたいなもので縛られて完全に身動きが取れない。この結界は……多分、あの障壁魔法の応用なんだろうな。
そんな状態でもう何日も……ずっとここにいる。
……体内なんだろうな、ここ。
あのプレヴィが使役していた……『災厄ル・マル』の、体内。おそらくこれがヴィクの言っていた「魔王の力を受け継いだ存在」で、僕はプレヴィの指示で災厄ル・マルの体内に取り込まれた。
ずっと前から移動している感覚があるし。プレヴィが頻繁に出入りしていることからしても、災厄ル・マルの内部に僕を放り込んでいるのが一番辻褄が合う。それ以外に説明がつかない異空間だよ、ここ。
かつての魔王はこんなんじゃなかったと思うんだけど。「不完全だ」って言ってたし、転生した時に何か問題でも発生したのかな。世界を脅かす悪であることは変わらないけれど。
『……っ!』
しかもこの空間--外が、見えるんだ。
壁の向こう……いや、壁なんてものがあるのかすら分からないけど。多分プレヴィが外の光景を見せられるようにしている。多分、わざと。
近くに村や街があれば、直接物理的に押しつぶすか、魔力の波動や光線を打ち出して遠くから焼き払うか。この災厄が近づくたびに、村や街から驚き慄く人々の声や逃げ惑う人々の声が聞こえてきて、何人かが防衛に立ちはだかろうとするけど、数秒もすれば勝敗が決して……。
そんな風に人のいる場所を踏み荒らしてもう何回目か。
僕は見ているだけ。止められない。声も届かない。壊せない壁の内側で、世界が壊れていくのをただ見ているだけ……。
勇者シエルが──僕が命を懸けて守った世界が、目の前で踏み潰されていく。
なんだよ、なんなんだよこれ……。
ヴィクは、死んだ。
あの瞬間を見届けてはいないけど、プレヴィに奪われて、結界に放り込まれて、彼がいた場所に凄まじい攻撃が撃ち込まれて……あれで生きている訳がない。
吹き飛ばされた時点でほとんど動けていなかったし。僕を失った丸腰の、満身創痍の体で、あの災厄を相手にどうにかなる道理がない。あれで偶然生きていました、なんてご都合主義だってあり得る訳ないんだ。
分かっていた、分かっていたんだよ!
アザールに着いた時点で、いや、もっと前から。プレヴィがユイヌを発った時点で、僕達は詰んでいた!
なのに。
もっと早く気づいていれば。
ヴィクの真実に──もっと早く辿り着いていれば。
プレヴィに奪われる前に、何か一つでもできていれば。
誓いだけは立派で、結果がこれか。
前世でもそうだった。魔王を倒して、平和を勝ち取って、それで終わったと思っていた。完全に滅ぼしたつもりでいた。こうなったのは、滅ぼしきれていなかったからなんだぞ!?
犠牲者の魂を喰い物にされた。ヴィクみたいな存在を作り出された。壊れた部分を全部押し付けられて、それでも世界を救おうとした彼を──僕は、守れなかった。
『……ル・マル』
お前が許せない。
前世で僕達が命を懸けて倒した──その残骸が、ヴィクをあんな目に遭わせた。
犠牲者の魂を道具にした。恐怖を一つずつ植え付けて、枷にして、壊れた部分を全部一人に押し付けて。それで足りないとばかりに──最後に彼を殺した。
彼は何も選んでいないのに。生まれる場所も、背負わされたものも、何一つ自分で決めたことじゃないのに。彼は──ただ、勇者に憧れていただけだったのに。
……っ、駄目だ。
分かってる。こんな状態じゃ駄目だ。
冷静に考えないと。
いつも通り皮肉の一つでも言って、頭を切り替えて、次の手を--
……次の手なんてないだろう。
結界の中。連絡手段もない。ヴィクはいない。ル・マルは止まらない。
『……っ』
……ああ、なんだ。
また、来たのか。
これで何度目だ。三度目か、四度目か。数える気にもならない。
あの声が聞こえる前に、少しでも思考を整えないといけないのに。
こいつのせいで、ヴィクが。
そう思うと、冷静になれそうな気がしないし……いや、冷静になれる訳がない。
「ご機嫌はいかがですか、聖剣様」
『プレヴィ……!』
*
結界の向こうに。
いつもと同じ位置に、いつもと同じ顔で。
ふざけるなよ。なんなんだよお前。ヴィクはお前にだって優しかったのに……!
「相変わらずお元気そうですね。剣の身でありながら、人の形を保ち続けるだなんて。本当に興味深い存在です」
元気じゃないよ。元気な訳がないだろ。
お前にヴィクを殺されて、こんなところに閉じ込められて、外で世界が壊されていくのをただ見せられ続けて──それで「お元気そう」? 僕が怒りで震えてるのを「元気」と呼んでるなら、まぁそうかもしれないけどね。
本当に嫌だ。
こっちを見据えているその目だって、盲目のはずなのに、やけに嫌な視線を感じてずっと気持ち悪いんだ。その目に視力がないことは分かってるけど、こうして対峙するとどうしても「見られている」感覚が抜けないんだよ。
こいつの前に立つだけで無いはずの頭の中が掻き回されるみたいで。
「さて、今日もいくつかお聞きしたいことがあるのですが」
『断る』
「拒否権があるとお思いですか? 何のために捕まえたと」
またこれだ。何度目かも分からない。同じことの繰り返し。
同じ問い。同じ探り。同じ圧。毎回毎回律儀に来るよね、こいつ。暇なのか?
いや、暇じゃないだろ。進軍しながら片手間で僕を尋問してるってだけで。
僕なんかの何がそんなに気になるっていうんだ。
「貴方は一体何者なのですか? 意識を持つ剣──それだけでも前例がない。自律して変形し、人型を取れる武器など、私の知る限り存在しません」
『……答える義理がない』
「ええ、ええ。それは前にも伺いましたね」
軽い。軽すぎるんだよ、こいつの受け答えは。
こっちの拒絶を予測した上で問いかけなんかして。何度断ろうが態度が変わらない。苛立ちも焦りも見せず、ただ淡々と問いを重ねてくるだけ。本当に腹立たしい。
いや、今の僕にそんな相手と対応できるだけの余裕があるかって話だけどさ。
「では別の角度から。ヴィクトール様にとって、貴方はどのような存在だったのですか?」
『彼の名前を出すな』
「主従の関係ですか? それとも対等な契約? あるいは、友人や恋仲のような?」
『黙れ』
「おや」
……しまった。
つい露骨に反応してしまった。こうして声を出すたびに、こいつに僕の内面を読まれるのは分かっているのに。もうなんなんだよ!
普段の僕ならこれぐらい黙殺できるのに。言葉の裏を読んで、逆にこいつの意図を探って、ペースに乗らないように立ち回れるはずなんだよ。そもそも剣だから喋ることなんてないし、黙ってるなんて一番のお家芸のはずなんだ。
でも今はそれができてない。頭が重いし思考が鈍いし。何日もこの状態が続いて、外の光景を見せられ続けて、大切な仲間を殺されて──精神が削れてるのが自分でも分かる。最悪だ。
「感情的になるということは、やはりただの道具ではなかったのですね。貴方とヴィクトール様の間には、何かしらの深い繋がりがあった。それだけでも十分な情報ですよ」
『……っ、黙れ』
僕はもっと冷静であるべきじゃないのか。
こういう時こそ、冷静に相手から情報を引き出すべきじゃないか。
こいつは敵の親玉なんだ。欲しい情報なんて山ほどあるんだし、ここで冷静に立ち回って逆に情報を抜き取るのが僕の役目じゃないか。
いうなればスパイみたいなもの。かつてヴィクと一緒に、プレヴィの占い小屋へ入って行った時のように……こいつから色々聞きださないと。
目的は何なのか。ヴィクの師匠はどうなったのか。あの障壁を破る手段は。残り魔王軍の数は。ヴィクについて--何も思わないのか。
そういうことを、聞きださないといけないのに。
「ところで聖剣様。一つ、提案があるのですが」
『……何だよ』
……嫌な予感しかしない。
こいつの口から出る「提案」に碌なものがある訳がないだろう。
前回も前々回も問いを投げて終わりだったくせに、今日に限って提案?
何を企んで……。
「貴方が一つ、私の問いに答えてくだされば──進行を一日、遅らせましょう」
『……は?』
「言葉の通りです。災厄ル・マルの進路上には、まだいくつかの集落が点在しています。本来であれば、今日中に次の街へ到達する予定でしたが……貴方のご協力をいただけるのであれば、その必要もなくなります」
……何を言い出してるんだ、こいつ。
進行を遅らせる? 僕が答えたら? そんな都合の良い──
「一つの問いに一日。二つ答えていただければ二日。その間は災厄ル・マルを完全に停止させましょう。街への攻撃も行いません」
『……ふざけるな。お前の言葉を信じると思うのか』
「信じる信じないは自由です。ただ、拒否した場合に何が起こるかは、貴方が一番よくご存知でしょう?」
知ってるよ。
嫌というほど見せられたんだ。お前がわざわざ僕に見せ続けたんだろ。こうやって揺さぶるために。あの凄惨な世界を見せれば情に負けて口を開くんじゃないかって。
でもそれをこいつが守ってくれる保証なんてどこにあるっていうんだ。
欲しい情報が手に入ったから約束通り、人類の利益になる行動をとってあげます? まさか。それで済むならどれだけの情報を喋ってたか。
情報を渡せば渡すほど、世界の崩壊へ近づくのは自明だってのに。
でも……。
それが僕に有効なのも……事実。
「次に到達するのは、中規模の交易街です。推定で数千人の住民がいる。夕刻には──」
『やめろ!』
……っ。
やめてくれ。分かってる、分かってるんだよ。
こいつの言葉が真実かどうかなんて確認しようがない。嘘かもしれない。答えたところで進行が止まる保証なんてどこにもない。こいつは魔王だ。魔王の約束を真に受ける馬鹿がどこにいる。
でも、もし本当だったら。
もし僕が一つ答えるだけで、数千人の命が一日でも延びるなら──
「貴方は善良な剣です。それはこの数日で十分に理解しました」
『……うるさい』
「人々が蹂躙される光景を見て、歯を食いしばって、拳を握って──何もできないことに苦しんでいる。その優しさを、私は尊敬していますよ」
尊敬だって? 反吐が出る。
お前が。お前みたいなやつが「善良」だの「優しさ」だの──お前がヴィクにしたことを棚に上げて、よくそんな口がきけるな。
どうせ僕の口から大した情報が出ることなんて期待していないくせに。僕から手に入る情報を、世界を壊す過程の余興程度にしか考えてない。偶然良い情報が手に入ればいいとでも考えてるんだ。
でも、もし……もし、ここで口を開けば。
自分の正体について。それをもう少し具体的に話すだけなら……。
いや、あるいはヴィクとの作戦を曖昧に。「ただの装備だった」とか偽情報を混ぜて……。
……いや。待て。何を考えてる。
何を考えてるんだ僕は。落ち着け。冷静になれ。
偽情報だろうが何だろうが、こいつに口を開いた時点でそこから真実を抉り出してくるんだ。
そしてその情報が、皆を危険にさらす可能性がある。僕がここで何か喋ったせいで今ある安全が崩れたら、シエル達だけじゃなく、魔王に抵抗する力を失ったこの世界にとっても大打撃じゃないか。
「あるいは……もしかすると。人質にした、あのエルフが気になるのでしょうか?」
『……っ』
「お気になさらずとも。ヴィクトール様を殺した以上、もう意味はありませんし。ラ・ヴァアズに処理を命じてあります」
……。
……ああ。
……もう。本当に。
……どう、落ち着けっていうんだ。
ヴィクの師匠は、そうなのか。既にもう……。
さては、この言葉も。
僕を苦しめたいがだけで、言ってるんじゃないか。
「聖剣様? 考えていただけているのなら嬉しいのですが」
『…………』
「……そうですか」
……やっぱりお前に、未来は見えないんだな。
未来が視えていたら、ここで僕が喋らないことは、分かってるはずだもんな。
あの街は……せめて、少しでも多くの人が避難できることを祈るしか、もうできない。
僕が持つ、ヴィクとの作戦や、僕の正体、シエル達の存命を教えることが、どれだけ世界崩壊の足掛かりになるかを考えると……ここで話すことは戦犯行為に他ならないんだ。実際この魔王が約束を守ってくれる保証だってない。
遠目に見ても分かる異常な存在なんだ。既に外の世界では、この災厄がとてつもない危険な魔物としてその名を広げているはず。幸いこの化け物は行動もゆっくりだし、危機管理の上手い人ならいち早く逃げ出すことだって可能なはず。
「では、また今度にしましょう。貴方にも時間は必要でしょうから」
……こんなに言い訳ばかりして。何が勇者なんだよ。
*
……行ったか。
認めたくないけど、かなり揺さぶられた。
もう少しで口を開いてたかもしれない。
あの取引に乗りかけた自分がいたのは事実で、それが怖い。
でも、喋らなかった。それだけが今の僕にできた唯一のこと。
……唯一のことが「何もしなかった」って、笑えないな。
『……皆は、今、どうしてるんだろう』
ユイヌからアザールまでの距離を考えると……もう着いている頃じゃないか。
あの偽装が上手くいって、プレヴィの目を欺けていたなら。サシナが段取り通りに動いてくれていたなら。
でもアザールに着いたところで──あの街はもう廃墟だ。あふれ出る夥しい魔力で大量の魔物が発生するのみで、他には災厄ル・マルが通過した後の残骸しかない。
そしてそこには……ヴィク、が。
彼の死体を、皆……見つけるんだ。
そうなったら、皆はどうなるんだろう。
一番良いのはルメドが問題なくヴィクを蘇生すること。
ただ……あそこまで攻撃を受けたヴィクの体を、再生することができるのか。できたとして、どれだけの時間がかかるのか。ヴィクを蘇らせないことが最適解になる可能性だってあるかもしれない。そのあたりの詳しい魔法は僕には分からないけれど。
そして一番怖いのは……皆が、それぞれの形で崩れるかもしれないこと。
凄くシンプルだ。
ヴィクのことが大好きなエスクリはきっと怒りで我を忘れるよね。
ヴィクに依存しきっているマージュは簡単に立ち直れないだろうし。
ヴィクの顔を立てて着いてきているリュトは今の旅の意味を見失う。
ヴィクの死を受け入れられないルメドは現状にショックを受けて。
ヴィクに共感するシュヴァは人々の平和を優先すべきと主張したり。
サシナは……よく分からないけれど、指示役だったヴィクとエネを失った今、どれだけ主体性を持って動いてくれるかどうか。
皆が一つの集団として集まっていたのは単にヴィクがいたからだった。
皆が皆、性格が別々すぎるから。それを唯一統率できるヴィクトールがいなくなった今……結束できなくなって、バラバラになるかもしれない。それぞれの主義主張がぶつかりあって、凸凹ながら維持できていたパーティーがどんどん崩壊していく可能性があまりにも高い。
ヴィクがいない状態で、あの集団がどこまで本来の力を発揮できる……。
……本当に、勝てるのか? これ。
ヴィクが死んで、僕が捕まって、エネも殺されて。災厄ル・マルはこうして進軍を続けていて、プレヴィは計画通りに動いている。何もかもが向こうの想定内で、こっちには切り札なんて何も残ってない。
そもそもの実力差まで圧倒的。このままじゃ、世界はまた全人類対魔王の構図に逆戻りし、数百年維持されてきた平和は一瞬で元の地獄へと変わってしまう。
『……ごめん』
謝る対象が多すぎて、謝る内容が多すぎて、僕が不甲斐なさすぎて。誰に、何を、謝っているのか分からないけれど。
僕は、何もできない役立たずだ。
勇者シエルの末路が、こんな無能の極みだなんて。
ヴィクと違って、僕は勇者失格だ。
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