不束者ではございますが
……もういらしたかしら。
いえ、まだ、ですわね。屋敷が静かすぎますもの。
あの方が到着なされば、使用人達がもう少し慌ただしく動く気配が伝わってきますし。じいやも報せに来てくださるはずですし。
わたくし、なんだか落ち着きませんのね。ふふ!
……お部屋の支度は、もう何度も確認済み。
照明の明るさ、香りの控え目さ、グラスの位置、お飲み物の銘柄、夜景の見える窓の角度、座る位置からの視線の通り方。
一つ残らず、わたくし自身の目で確かめましたもの。これ以上いじりようがないくらいに、整っておりますわ。
他のシュヴァ含むお仲間の方達は、こちらへ来ないはず。
どうせ婚約の話となればきっと邪魔してくるでしょう、あの手紙の内容からすれば当然ですわね。だから、到着するなり「もう遅いお時間ですから、詳しいお話は明日にしましょう」とでも言って、各々寝室に案内すれば問題ありませんわ。
そのままヴィクトール様も、個別の寝室に案内するように見せかけて──わたくしが待つ、この応接間に誘導すればいい。道中で事情さえ説明すれば、無下にするような方ではないと分かっています。
皆様が安心してお眠りになられている間、早期に決着を決めますのよ!
だからあとは、お見えになるだけ。
「……ふぅ」
お顔が、軽い。
仮面を外すのは……何年振りかしら? くくく。一日中外して過ごすなんて、いつ以来か思い出せないくらいですわ。
生まれてからずっと顔の半分を覆って生きてきたようなものですもの、外気が直接お肌に触れる感覚は、ちょっとくすぐったくて。
でも、こうしないと。あの方は、お顔を覆うものが嫌いですから。
仮面は今夜、一つもこの別邸に持ち込んでおりませんわ。一つも、ですわよ?
念には念を入れて。万が一にも、あの方の目に触れることのないように。
──コンコン……
あら?
じいや?
なになに、ヴィクトール様がお見えになった?
とうとういらしたのね。お通ししてくださいまし!
「……さて」
切り替えのお時間ですわ。
ここからは、シズィ商会代表ディアマの中に閉じ込めておいた、もう一人の自分を表に出さなくては。
ヴィクトール様という最大の標的。手にする情報の量と質。あちらの取りうる態度、こちらの仕掛ける言葉の順序、選択肢を絞る誘導、揺さぶりのタイミング、譲歩の見せ方、譲歩しないところの境界線。
一つ一つの選択が、次の局面を呼びますの。それを何手先まで読めるかが、勝敗を分けますのよ。
……ええ、ええ。
頭が冴えてきましたわ。
あの方は、嘘がお苦手。それは間違いない情報。
あの方は、誰かに優しくされると断りにくい性分。これも調査済み。
あの方は、損得勘定が下手で、相手の事情を汲もうとなさる。これは利用できますわ。
あの方は、わたくしを「商会代表」として認識した上で、対等な交渉相手として接してくださるでしょう。これも織り込み済み。
あの方の周りには、わたくしを敵視するシエル様方が複数名いらっしゃる。これが最大の不確定要素。けれど今この瞬間は隔離してありますわ。少なくとも今夜は、一対一。
……まだ完璧とはいえませんわね。
完璧だと思った瞬間に詰む、というのが戦場の常。読みの抜けがあるとすれば、どこ?
ヴィクトール様ご自身が予想を超える一手を打ってこられた場合。これだけは、対面の場で対応するしかない。
でも、それでよろしいですわ。読み切れない部分は、現場で読み切る。それが戦術。
──コンコン
……!
さあさあさあ、遂にこの瞬間が!
この度ばかりはいつものわたくしも鳴りを潜め、淑女たる姿を見せるよう意識しますわよ、ディアマ!
「どうぞ、お入りになってくださいまし」
「失礼する、ディアマ……様」
「まぁ。様だなんて、呼び捨てで構いませんのに」
わたくしの全部を使って、この夜を、わたくしの勝ち手で締めて差し上げます。
商会代表として、戦術家として、ディアマという一人の人間として。
……くくく。
楽しくなって参りましたわー!
*
「さ、こちらにおかけになって。長旅でお疲れでしょう?」
「ああ、失礼する」
ヴィクトール様のお顔を正面から直接拝見するのは、シズィでの交渉以来だったかしら?
あの時はわたくしの仮面に大層怯えられていたけれど……随分、お顔つきが大人びて、いえ、何か別の重さを帯びたような。
もっと切羽詰まった感じで「勇者シエル」について尋ねられると思っていましたが……こう落ち着いておられる感じだと、既にお仲間の何人かから告白を受けたのかしら。
と、なると「勇者シエルの生まれ変わり」という優位性で話を進めるのは難しいかもしれませんわね。もしかすると転生に至るまでの詳しい経緯や、前世での事情などもお聞きになっている可能性があるし、下手に情報を出そうとすればボロが出るのはこちらの方?
少し出方を考える必要がありますわね。一番楽な方法ではいかないと。ふむふむ。
「お飲み物は、わたくしの自宅のものと同じ茶葉をご用意しましたの。香りはお気に召しますかしら?」
「ありがとう。気を遣わせてすまない」
「いえいえ。商会の伝手を頼れば、これくらいは」
ふふ。
ご丁寧に頭を下げてくださって。
でも、お顔の方は相変わらず強張ってますわねー。
お肩のあたり、お背中、お手元、全部に力が入ったまま。
敬語を使っていない辺り、やはりあのお手紙は誰かに書き方を教わったものとみるのが妥当かしら。その上で少し硬くなっていると。
わたくしの応接間は、シズィでも最も上等な品を揃えておりますのよ? もう少しお寛ぎになっても良いのに。
……いえ、違う。
これは緊張という類のものではない?
婚約のお話の前に、何か。
お預かりしているお話が……ある?
「療養は無事終わられたとのことで。本当に良かったですわ」
「ああ。周りにはずっと迷惑をかけたが、おかげで」
「それは何より。この邸宅の様子はいかがかしら?」
「立派なところだな。落ち着くというか……」
「お気に召して頂けたなら嬉しいですわ」
お答えはきちんと返してくださいますのに、お話の合間に、視線が、ちらっ、ちらっと、テーブルの上に落ちますのね。
ご自身の中で、別の話を組み立てていらっしゃる。
……うふふ。
お可愛らしいこと。
わたくしには分かりますのよ。
あの方が今、こちらの話に表向きはお付き合いくださりつつ、内側ではご自身のお話のタイミングを計っていらっしゃることが。お顔のどの筋肉に力が入っているか、視線がどこに落ちるか、お声の張り具合がどう変わるか。それで大体読めますの。
戦術家として、というよりは、商会代表として日頃から人の顔色を読み続けてきた経験ですわ。
「シズィへようこそお越しくださいました、ヴィクトール様。こうしてお顔を見てお話できる機会を頂けたこと、わたくし、本当に嬉しく──」
「──ディアマ。その前に」
……っ。
あら。
「すまない、話の途中で」
「ええ、お気になさらず」
……ふふ。
来ましたわね。
お声の重さが、先ほどまでとは違いますわ。
一段、深いところから出てらっしゃる。お言葉を遮るという形を、ご自身でも珍しいとお感じになっていらしたのでしょう、続けて謝罪のお言葉までくださって。
顔つきまで真剣そのもの。今から告げる言葉が非常に大事なものであると理解しつつ、それを告げることに変な意識をしてしまわれているような。
でも、引かれない。引く気がない。
……分かっておりましたわ。先ほどからの硬さの理由が、これですのね。
「あら、なんでございましょう?」
「結婚の話を進める前に、伝えておかないといけないことがある──俺の、出自に関わることだ」
「……まぁ」
「結婚の話は……俺の話を聞いてから、そこから再度判断してほしい。後から後悔するかもしれないから」
ふーむなるほど?
要は、「超のつくお金持ちに求婚されたけれど、自分の生まれに少し問題があるから釣り合うかどうか不安」みたいな話ですわね?
実際問題、ガチガチの貴族と一般庶民が結ばれることなんてほとんどありませんし。格差を無視した結婚は家の品格を下げることにもつながって周囲から避難されることも少なくない。あるいは脛に傷を持つ御方であれば、婚姻を結ぶこと自体が相手にとってのリスクとなるでしょう。
そういった「よろしくない過去」が自分にあるから、婚約の話を進める前にそのことを開示していこうと。おそらくそういう心積もりなのでしょう。
自分のイメージを大きく下げる恐れがあるにも関わらず、わたくしへのダメージを考慮して先んじて行動するその精神……見事ですわ!
いきなり「そういう過去があるから断りたい」と言ってこないあたり、向こうとしては「判断はそちらに委ねる」というスタンスを貫こうとしているということ。向こうがこちらに悪印象を抱いていないという状態は継続しつつ、過去を知った上でなお結婚するか否かはこちらの匙加減で決めていいと言っているのです。
わたくしに「後から嘘をつきたくない」という気持ちがひしひしと伝わって来て……非常に好感が持てますわね!
「なるほど。大事な話ですわ、ぜひお聞かせくださいな」
「ありがとう」
ま! ある程度の情報は想定しておりますわ。
何を言われようと、ひらりひらりと躱す覚悟ができておりますの!
「俺は……」
「俺は──魔王ル・マルの転生体なんだ」
「ああそれですわね。存じておりますわよ!」
「えっ」
ええ、存じておりますわ。
存じておりますとも。
わたくしを誰だとお思いですの? シズィ商会現代表ディアマ、ですわよ?
お父様の代から築き上げた商会網は、世界規模で各国の隅々まで張り巡らされておりますの。お父様の代から築いた信頼関係、わたくし自身でも広げた情報ルート、グレーな手段も含めれば、世界中の大抵の情報は手繰り寄せられますわ。
ヴィクトール様のことを徹底的にお調べしないなんて、ありえないでしょう? 婚約のお相手ですのよ? お手紙を送る前に、お手紙を送った後に、二重三重に。
ユイヌの村に伺って、お父上にもお会いしてきましたし、村の方々にも徹底的に『ご挨拶』という名目でお話を伺いましたわ。
ソワン国の上層部にも商会経由で繋がりがございますから、治癒術師たちの内部報告も拝見できますし。対魔王軍の内側なんてわたくしの手の内ですから、シュヴァの指揮下で交わされた会議の記録も一通り目を通させて頂きましたわ。
だから、ヴィクトール様が「魔王ル・マルの生まれ変わり」だなんて、こっちはとっくに承知済み。
その上で、わたくし、ヴィクトール様に婚約のお手紙を差し上げたんですから。
「えっ……いいのか?」
「何か問題が?」
「えぇ……」
だって、元が魔王だからといって──今のヴィクトール様はそれを正直に告白する精神の持ち主じゃありませんの。
で、あれば。わたくしにとって前世が何だったかだなんてどうでもいいことでしかありませんわ。
過去に何をしたところで、ヴィクトール様という方の「商会代表の伴侶としての価値」は何一つ揺らがない。
むしろ裏付けが取れている方が、わたくしとしては安心ですわ。「実は別の正体がございました」と後から発覚されるよりも、こうして全部承知した上で婚約を進める方が、リスクが少ないですし? 商人として、隠し玉のないお相手は、扱いやすくて好ましいですもの。
ね?
「その……商会にとっては大丈夫なのか? バレれば大問題にならないか?」
「そんなものいくらでも隠蔽できますわ。巷の噂を全て操作しているのは誰だと思って?」
「す、凄いな……」
そうでしょうそうでしょう?
それによくよく考えてみればロマンティックじゃありませんの!
かつて前世で憎み合い殺し合った魔王と勇者が来世で夫婦として結ばれるだなんて!
そう思えば、多少の「タブー」なんて、背徳感の材料にしかなりませんわ。
そもそも……。
「そんなこと言ったら、わたくしたち、『従兄妹』ですし。今更ですわ」
「…………えっ?」
ま、兄妹や姉弟に比べれば従兄妹なんて大したことないかもしれませんが。
わたくしのお父様とヴィクトール様のお義父様がまさかまさかの「兄弟」だったのですから、わたくし達もそれに準じて血のつながりがありますのよ?
あの時、お父様が言っていた「親不孝者な昔馴染」が「若くしてシズィを飛び出した兄弟」だったとは長らく気づきませんでしたが……身辺調査でそのことが明らかになった時は大層驚きましたわ!
血のつながりのあるわたくし達が婚約しようと言っているのですから、片方が元魔王だとか、片方が元勇者だとか、どうでもよくありません?
ヴィクトール様はこのことをご存じないでしょうから、多少驚くかもしれませんが……。
……あらまぁ。
「……ヴィクトール様? お紅茶、少しお取り零しになっておられるかも?」
「えっ、あっ──」
……やっぱり。
存じ上げなかったんですのね。ふふふ。
自分が衝撃的告白をするつもりだったのに、それを上から封じられて、逆に反撃を食らう気持ちは一体どんなものなのでしょう。
勇者シエルについて、色々聞きたい気持ちを抑えつつ。わたくしへの配慮として、公にバレれば即刻処刑もあり得るような秘密を開示しようと覚悟までしていたのに。全部あっさり流されて、まるで驚かれない……逆にがっかりするのではなくて?
残念。わたくしはその程度で止まらない! ……というだけのことですわ!
「お紅茶、淹れなおしましょうか?」
「……悪い、頼めるか」
話の続きはその後にしましょう。
いつ嗅ぎつけられるか分からないので、あんまりもたもたしてはいられませんが。
紅茶に濡れたままお見合いだなんて、向こうも恥ずかしいでしょうし、ね?
*
「お紅茶、淹れ直してまいりましたわ」
「悪い。本当にすまない」
「気になさらないでくださいまし。よくあること、ですわ」
んな訳ありませんけど。
よくあること、ではございませんわよ? ぶっちゃけ初めてですわ。
ですけれど、こういう時にこそ大袈裟に騒がない方が、相手の負担を軽くするのが商談の基本ですもの。じいやが手早く拭いてくださって、テーブルクロスもさり気なく取り替えて差し上げたから、もう何事もないのと同じ。
お紅茶も、先ほどよりほんの少しだけ熱めにしてもらいましたの。落ち着いていただくには、少し熱い方がよろしいですから。
ヴィクトール様も……お顔の色が戻られましたわね。
従兄妹のお話で一瞬青ざめておられましたけれど、お紅茶を入れ直す間に呑み込まれたみたい。
つまり、これでようやく本題に入れるということ。
「俺は……シズィに来るまで、ずっとこの婚約のことを考えていた」
「まぁ。光栄ですわ」
「……それで、その。言いにくいんだが、最近、個人的な事情で……フラれて」
「……あら」
あらあら?
あらあらあらあら?
それは……ご存じない情報。
いえ、わたくしの情報網に引っかかっていなかったわけではなくて……シュヴァが彼を「玉砕した」と漏らしているのは聞いておりましたけれど、それが具体的に誰相手だったかまでは掴めていなかった。お相手の見当はついておりますけれど、ヴィクトール様ご自身からお出しになるとは思っておりませんでしたわ。
お話の流れとして、わざわざこの情報を開示なさったのは……ふむ。
なるほど。
「その状態で、すぐに別の女性と婚約を進めるのが、誠実じゃないと思ってた」
「……ふむふむ」
「ディアマに対しても、フラれた直後の人間が婚約を受けに来るのは、その、失礼じゃないかと」
「お気遣い、痛み入りますわ」
真面目ですわねー。
そこで嘘をつかないあたり非常に好感が持てますけど。
普通の男性ならフラれた直後にお金持ちのご令嬢から婚約のお手紙が届いたら、迷わず飛びつきますわよ? わたくしから見れば、それは「美味しい話」以外の何物でもございませんもの。なのにヴィクトール様、ご自身がフラれたばかりだということが、わたくしに対して失礼に当たると思っていらしたなんて。
ええ、わたくしを「ただの婚約相手」としてではなく、「一人の人」として誠実に向き合おうとしてくださっていることが、お言葉の節々から伝わってきますわ。
……商人として見るなら、これは。
扱いやすい、というだけのお相手ではありませんわね。
ま、それはともかく。
「それでも、ここに来ようと思った理由がある……元々、話を聞きたかったというのが主だったが、それどころじゃなくなった」
「……お聞かせくださいまし」
「……皆の、仲間たちの俺に対する態度が、健全じゃない方向に進んでる」
あー……。
そ、そっちですの。そんなに?
いや、まぁ、その、はい。
勿論その話についても存じておりますわ。わたくしの情報網でも、拠点を中継する度に「あのパーティーはなんかずっとイチャイチャしてる」「えっ新婚旅行中?」「重婚?」などと色々情報が上がってきていますし。だからこそこうして皆様の隙をついてお話している訳ですから。
ヴィクトール様のお手紙からもその旨は再三告げられていましたから、ある程度は想定していましたけれど……でもこの雰囲気から推測するに、どうやら相当に状況は深刻そうですわね。
ただ美少女複数人に言い寄られて困っているというよりは、「周囲の感情があまりにも重すぎて正直手に負えなくなっている」と表現する方が正しいというか……。
じゃなきゃ「健全じゃない」なんて言いませんわよね。あのシュヴァが? 本当に?
「皆、悪い人達じゃないんだ。本当に良い仲間達で、それぞれが俺のことを大事に思ってくれているのは分かる。でも、このままだと、皆にとっても良くないと思った」
「……それは、そうですわね」
「俺がずっと宙ぶらりんでいることが、皆の依存を悪化させてる気がして」
「ええ」
「だから、俺が腰を据える必要があると思った。自分の立ち位置を、はっきりさせる」
「……腰を据える、ですか」
「ああ。だからこそ──婚約の話を受けたいと思っている」
……ふぅん?
「ディアマ、君との結婚を受ける代わりに、こちらの条件を飲んでほしい」
つまり……今の話が、わたくしとの婚約に繋がると?
お仲間達がどんどん自分に集中してしまって、依存気味の不健全な状況から脱却するために、わたくしの結婚を利用させてほしい……ということ?
「俺の仲間達に、新生対魔王軍内で、それぞれの能力に合った役割で独立して動ける環境を作りたい」
「それは……」
「俺からの依存を脱却し、健全な仲間として成長できる環境を整えてやりたいんだ」
……なぁるほど?
本来は断る予定だったけれど、気が変わった。結婚を受けるから、彼女達が望むなら、組織内で各々が独自に働きやすいポジションを準備してくれ、ということかしら?
……ふふ。
ふふふ!
それはそれは。わたくし、心の中で拍手喝采ですわよ?
お仲間方の能力は非常に有用、それぞれを正式な肩書きで取り込めるとなれば、これ以上ない大型契約。
ヴィクトール様は商売のお話ではないつもりでしょうけれど、わたくしから見ればこれ、最上級の商談ですわよ?
商会としての負担は決して軽くございませんけれど、それを上回るリターンが見込めるお話。これは押し切られてもよろしい部分ですわね。むしろ進んで受けるべき。
「勿論、あくまで形だけの夫婦ということになる。夫婦としての関係をすぐに築くつもりはないし、手を出すつもりもない」
「まぁ、わたくしとしてはいつでも歓迎だったのですが」
「いや、それは不誠実だ。だから俺達の関係はまず『友達』から始めて、そこから仲良くなりたいと思っている」
……。
……ふっ。
くくく。
……ふふふ!
あら、あらあらあら。
ヴィクトール様、何を真剣なお顔で、そんな可愛らしいことを仰っているの?
「あら、わたくしの魅力が足りませんでしたかしら?」
「いや……そういう意味じゃない。君はとても魅力的だ、ただ……」
「冗談ですわ。ごめんあそばせ」
お可愛らしい。
ちょっと癖になりそう。
わたくしから見れば、これは最高の条件ですわよ?
元々わたくしが欲しかったのは「伴侶ヴィクトール様という存在の事実」だけなのですし。これ、わたくしにとっては理想形そのものですわ。すぐに親密な関係になることをわたくしが望んでいないわけではございませんけれど、急ぎすぎて関係を壊すリスクを取るより、ゆっくり積み上げる方が長期的には安全なのですもの。
その上ヴィクトール様ご自身から「友達から始めたい」と仰ってくださるなんて。これ、わたくしが提案する側だったら、向こうから「軽く見られている」と取られかねない条件ですのに、ご本人から差し出してくださるなんて。今日の内に既成事実を仕込む計画もありましたが……その覚悟をするのは、まだまだ後になりそう。
……勿論、ヴィクトール様が望まれるなら、今すぐにでもお相手を務めさせていただきますけれど?
「急な提案で悪いんだが……どうだろう? その条件で」
「ええ。承りましたわ。商会代表として、ヴィクトール様のご提案は全て、了承いたします」
「そ、そうか! 良かった……」
お顔が、やっと、緩まれましたわね。
張り詰めていらしたものが、ようやく解けた、そんな表情。
ここまで来るのに、ご自身でどれだけ考えて、どれだけ重ねていらしたか。それが今、ようやく形になったという、安堵のお顔。
ええ、ええ、お任せくださいな。
仮にもわたくしの前世は勇者シエル。困っている人物を見捨てはしない……というのは建前ですが。少なくとも最高の新提案を提示して頂いた手前、未来の旦那様の言葉を無視するなどあろうはずがありません。
「では、ヴィクトール様。改めて婚約成立、ということで」
「……ああ」
「正式な手続きは後日、書面と共に。今夜は、こうしてお互いの意思を確認できたということで」
「分かった。よろしく頼む」
「こちらこそ、ですわ」
……ふぅ。
成立。成立、しましたわ。
ヴィクトール様を伴侶に迎え入れること、本来断るつもりだった婚約を確定させた。
戦術家としての勝利。商会代表としての勝利。ディアマとしての勝利。
……ふふ。
くくく。
うふふふふふー!
「じゃあ、その、重要な話も終わったし。もっと個人的な話を聞いていいか」
「勿論ですわ、夫婦として一番初めの共同作業として。楽しく歓談に勤しみましょう」
「ありがとう。とにかく聞きたいことが山ほどあったから──」
「──と、その前に」
「お仲間へのご説明は、頑張ってくださいまし?」
──ギィィ……
「えっ……?」
そう。
大事なことを忘れていますわよ、旦那様?
丁度双方の合意が取れたあたりから、扉の向こう側で気配がしていましたの。
大方、寝る前にヴィクトール様のお顔でも見たくなったとか、「明日行われるはず」の話し合いに先んじて釘を刺そうとしたとか……もう少し積極的であれば、「一緒に寝よう」などと言いに来たのでしょう。
そうして、別で案内されたヴィクトール様の部屋までなんとかこぎ着け、いざ入ろうとしたら中から声が聞こえてきて……。
「ヴィ、ヴィ、ヴィク……!」
「……エスクリ? いつの間に……」
そう、ヴィクトール様。
わたくしからの提案ではなく、貴方様からの提案という形になったのですから──お仲間の皆様への説明責任についてはお任せしますわね?
「──ヴィクは絶対にボクのなんだから、絶対にこんな婚約認めないからな〜っっっ!!」
「エ、エスクリ!? ちょっ、待っ……!」
「う、うわああああんっ!!」
ふふふ。
かつて魔王だったヴィクトール様は、自らの仲間達の正体と周囲からの重い感情を受け止め、健全な方向性に軌道修正していく道を選ばれた。
勇者シエルと対になる存在だったヴィクトール様が、現世の勇者シエル達を導く立場へと変化し、今の世代の新しい勇者となったのです。
それが果たして上手くいくかは……分かりませんが。まぁお金になるのであればわたくしもいくらだって協力致しますわ。
夫婦以前にわたくしたち従兄妹ですし。
ね、ヴィクトール様。
「『わたくし』を一番邪魔するのが、同じ『わたくし』だなんて、不思議ですわね」
これで後日談終わりです。
急に血縁要素入れてきたのは私の癖です。あまり気にしないでください。
明日(2026/06/25)に、設定集みたいなおまけを投稿して完全に終わろうと思います。
もしかしたら遅れるかもしれませんが……明後日(2026/06/26)には絶対投稿します。
長くなりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました(´・ω・`)




