第4話 人が歩ける場所
宮殿の外へ出ると、空が赤く染まり始めていた。
「……もうこんな時間か」
アルヴァンへ着いたのは、まだ今日のことだ。
城門の呪いを解き、ルゥを追って死都へ入り、黒いいばらに囚われていたレティシアを助けた。
気づけば、日が暮れようとしている。
しばらく空を見上げていると、隣から声がした。
「どうしたの?」
いつの間にか、レティシアがすぐ隣まで来ていた。
小さく首を傾げ、ちょこんと僕の顔を下から覗き込んでいる。
「もう日が暮れるなって。……そういえば、兵士さんたちもこの近くで一晩過ごすって言ってました」
「そうなの?」
「はい。せっかく近くにいるなら、無事だったことくらい伝えておこうかなって」
「なら、私も行くわ」
「どうして?」
「相棒を一人で行かせるわけにはいかないもの」
レティシアは、さも当然のことみたいに言った。
「気に入ってますね、その呼び方」
「あら。嫌なの?」
「嫌ではないですけど」
苦笑する僕に、レティシアはぷくっと頬を膨らませる。
けれど、深紫色の瞳はどこか楽しそうだった。
***
アルヴァン宮を離れ、大通りへ出る。
街は、来たときと何も変わっていなかった。
石畳には黒い染みがこびりつき、建物の壁にも呪いが這っている。レティシアを縛っていた黒いイバラは消えたけれど、三百年間この街に積もった呪いまで消えたわけではないらしい。
(この子──本当にこの廃墟の中に囚われてたんだね)
隣では、レティシアがあっちを見たり、こっちを見たりと忙しそうに周囲を見回していた。
崩れた家や広場の跡を見つけるたびに小さく顔を向け、そのたびに白銀の長い髪がさらさらと揺れる。
夕暮れの死都を、来た道に沿って歩いていく。
やがて、開いたままの城門が見えてきた。
その向こうには人影がある。
「ノア様!」
城門まで一緒に来てくれた兵士だ。
向こうも僕に気づいたらしく、目を見開いて駆け寄ってくる。
「どうしてここに?」
目を瞬く。
てっきり御者と一緒に、野営場所まで退避しているものだと思っていた。
「護符のおかげで、あれからすっかり調子も戻りまして。ノア様お一人をこんな廃墟に残すのも気がかりでしたので、何かお手伝いできればと――」
そこで兵士の視線が僕の隣へ動き、レティシアのところでぴたりと止まった。
「ところで、その方は?」
「我が城へようこそ、現代人。私はレティシア──この城の主よ」
「レティシア……まさか《七禍》の!?」
兵士の手が、腰の剣へ伸びかける。
「いかにも。ふふ、まさか現代にも私の名を知る者が居たとは嬉しいわね。ならば存分に恐れ──ってノア?」
「レティシア、ちょっと話がややこしくなるから静かにしててください」
僕はレティシアを庇うように、一歩前へ出た。
「この子、人見知りなんです。少なくとも敵ではありません……たぶん」
「んなっ! 人見知り!?」
「そうでもなければ初対面で人を威嚇しませんよ」
僕は、しゃーっと兵士を威嚇しているレティシアに呆れた目を向けた。
三百年ぶりの人間──どう接していいか分からないのも無理はないけど、もうちょっと普通にしてほしい。
僕のときなんか、「いつ、王国を滅ぼすの?」だったしね。
とはいえ、ここで兵士と対立したくはない。
僕が兵士と揉める理由もないし、これからアルヴァンを立て直すなら味方でいてもらいたい。
「……ノア殿がそうおっしゃるのでしたら」
兵士はしばらくレティシアを見つめていたが、やがて剣の柄から手を離した。
ひとまず納得してもらえたらしい。
「ありがとうございます」
僕がそう言うと、レティシアは少し不満そうに唇を尖らせた。
「別に、恐れてくれてもよかったのだけれど」
「話がややこしくなるのでやめてください」
それから、改めて兵士へ向き直る。
「そういえば、御者さんも無事ですか?」
「はい。城門から少し離れたところで野営しております」
「ちょうどよかった。僕も無事だって伝えに行こうと思ってたんです」
空を見る。
太陽はもう、城壁の向こうへ沈みかけていた。
「野営場所はこの近くなんですか?」
「ここから歩いて三十分ほどの場所です。今夜はそこで夜を明かす予定です」
「……でも、馬車の中じゃまともには眠れませんよね」
兵士が言葉に詰まる。
僕は背後の城門を見た。
その向こうには、三百年前の街並みが広がっている。
「だったら、中で泊まっていきませんか?」
「……死都で一晩を?」
「はい。泊まる場所ならいくらでもありますよ」
「お気持ちはありがたいのですが……我々は入ろうにも、呪いに耐えられません」
兵士は、廃墟と化した街並みを見回した。
──もっともだった。
黒いいばらが消えたとはいえ、アルヴァンの廃都には呪いが色濃く残っている。
城壁も石畳も、未だに真っ黒なままだ。
「任せてください。だったら、泊まれるようにすればいいだけです」
「……え?」
兵士が固まった。
隣で、レティシアがくすりと笑う。
「どうするつもり?」
「ひとまずアルヴァン宮までの呪いを解きます」
兵士が、今度こそ言葉を失った。
***
兵士は御者さんを迎えに戻り、僕とレティシアは城門の内側に残った。
「さて」
僕はアルヴァンの城門の前に立つ。
ここに来たとき、すでに一度この辺りの呪いには触れている。
宮殿へ続く大通りを見る。
石畳にも、その両脇の建物にも、黒い呪いがびっしりとこびりついていた。
その先を目で追う。
今必要なのは、兵士さんたちが宮殿まで歩ける道だ。
「この量を全部解いていくなんて、本気なの?」
「はい。人ひとり通れるだけの幅なら、どうにかなると思います」
「この膨大な呪いを……正気?」
レティシアが困惑したように大通りの先を見た。
それもそうだ。
ここからアルヴァン宮までは、歩いてもそれなりに距離がある。
石畳を一つずつ解いていては、とても間に合わない。
でも、その必要はない。
「まあ、見ててください」
僕は軽口を叩きながら、城門に触れた。
すぐに呪いが流れ込んでくるが無視。
いつも王都の地下でやっていたのと同じように、ゆっくりと力を流し込んでいく。
呪いには繋がりがある。
ひと続きになっている呪いなら、一か所を解くだけで終わらない。
そこからさらに力を流せば、繋がった呪いを辿って、解呪された範囲を広げていくことができる。
毎朝、王都の地下でやっていたことだ。
少し不安だったのは、城門に残る呪いがアルヴァン宮まで繋がっているかだったけれど──。
(うん、思った通り)
意識を奥へ伸ばしていく。
城門から石畳へ。
大通りを伝って、さらにその先へ。
途切れていない。
黒い呪いは、城門からアルヴァン宮まで一本に繋がっている。
僕は、流し込む力を少しずつ強くした。
同時に、解呪が広がる方向を絞っていく。
いつものように周囲へ広げるんじゃない。
宮殿へ向かって、細く、長く。
人が歩けるだけの幅でいい。
やがて城門の足元から、黒い染みがゆっくりと消え始めた。
最初は僕の手が届く範囲だけ。
けれど、そこから一歩、二歩と、石畳の色が取り戻されていく。
「これは──」
レティシアが目を丸くした。
両脇の家も、街路も、まだ黒いままだ。
その真ん中にだけ、三百年間隠れていた石畳が一本の道になって伸びていく。
「相棒、もしかして化け物なの?」
「どうも。……でも、レティシアにまで言われるのはショックです」
「冗談よ。でも──ちょっと考えられない」
レティシアは、僕の足元から伸びていく灰色の道をじっと見つめていた。
とはいえ、城門から一度に宮殿まで届かせられるわけじゃない。
ある程度まで解呪を伸ばしたところで、僕は手を離した。
できたばかりの道を歩き、その先まで移動する。
まだ黒い石畳へ手を触れ、再び力を流す。
十歩。二十歩。
黒一色だった大通りの中央が、少しずつ元の姿を取り戻していく。
「──あっ」
ふと振り返る。
さっき解いたばかりの灰色の石畳。
その両端から、黒い染みがじわじわと這い戻ってきていた。
まるで、細く開けた道を死都そのものが塞ごうとしているみたいだ。
どうやら、両脇に残った呪いが流れ込んできているらしい。
呪いが繋がっている以上、解呪したところだけ切り離しておくのは難しいみたいだ。
「う~ん、困りましたね。これを一瞬でどうにかするのは、さすがに難しそうですし」
「そうだ」
レティシアが、そこで何か思いついたように笑った。
「もしかすると、あれが使えるかも」
「あれ?」
レティシアは僕の隣にしゃがみ込むと、胸の前で小さく両手を広げた。
「おいで、くまくま」




