第11話 三百年前の傑作飯
翌朝、商人は宮殿の前で荷車の支度をしていた。
昨夜は、皆と一緒に宮殿に泊まってもらった。これから町に戻るというので、僕とレティシアは見送りに出ている。
「これを、持っていってもらえますか?」
僕は小さな袋を差し出した。
中には、昨夜作っておいた護符が入っている。商人が口を開けると、布に包んだ小石がいくつも見えた。
「昨日、渡したものと同じ護符です。もし欲しい方がいたら、売ってもらえないでしょうか」
「売ってもいいんですか?」
「はい。少しでも食料代の足しになればと思って」
呪いを防ぐ役には立つ。
ただ、見た目は紐のついた小石だ。
王都で、お金を出してまで欲しい人が、どれくらいいるのかは未知数だった。
「僕に用意できるのは、これくらいなので」
「効き目なら、昨日よく分かりました。町でお客さんに見せてみますよ」
「ありがとうございます。売れた分で、保存の利く食料を持ってきてもらえると助かります」
商人は袋をしまい、御者台に上がった。
「では、また食料を積んで来ます。今度は、皆さんの分もたくさん」
「よろしくお願いします」
馬が歩き出し、荷車が宮殿の前から離れていく。
道の端にいたくまくまが、短い前足を上げた。
商人もそれに手を振り返してから、大通りを下っていった。
***
厨房に戻ると、ハンナさんが麦の袋を結んでいた。
調理台には、朝食に使った鍋が置かれている。
底に残っていた煮込みも、今朝できれいになくなってしまった。
「残りは、どうですか?」
「パンは、今朝の分で終わりました。麦と干し肉はまだありますけど……」
ハンナさんと一緒に、袋や木箱の中を確かめる。
昨日は頼もしく見えた食料も、二十人以上で食べるとなれば話が違った。次の荷が届くまで、好きなだけ食べて待つ余裕はない。
「商人さんには、追加をお願いしておきました」
「それなら、残っている分で何日もつか、ほかの人とも相談してみますね」
「お願いします」
ハンナさんは麦の袋を棚に戻し、朝食の器を下げに広間へ向かった。
僕は、残っている木箱に蓋をする。
(やっぱり、早く食料を確保しないとね)
昨日来た人の中に、狩りの得意な人はいないだろうか。
獲物の探し方を教えてもらえれば、死都でも何か捕まえられるかもしれない。あとでオットーさんに聞いてみよう。
「……相棒」
隣で黙っていたレティシアが、僕の袖をつまんだ。
「……あるには、あるのよ」
「何がですか?」
「食べ物」
僕は彼女を見た。
レティシアは、空になった鍋を見つめていた。
「この宮殿にですか!?」
「ええ。まだ残っていれば、だけれど」
「それなら、見に行きましょう。どこにあるんですか?」
「……地下」
答えたきり、レティシアは動こうとしなかった。
何かを諦めるように目を閉じ、長く息を吐く。
「ぐぬぬ。背に腹は代えられないわよね」
「そんなに危ない場所なんですか?」
「場所は、普通の食料庫よ」
「じゃあ、どうしてそんな顔を?」
「……見れば分かるわ」
レティシアは、観念したように厨房を出た。
僕もその後ろについていく。肩の上では、ルゥが大きなあくびをしていた。
***
厨房の奥にある階段を下り、レティシアについて地下の廊下を歩く。
彼女が足を止めたのは、突き当たりにある大きな扉の前だった。
「ここですか?」
「ええ」
僕が重い扉を開けると、レティシアが壁の魔導灯に触れた。
紫色の火花が散り、明かりが灯る。
広い部屋だった。
蓋のついた四角い箱が、壁際の棚を埋め尽くしている。入りきらなかった分は床の上にも積まれていて、奥の壁が見えないほどだった。
「ああ……残っているわね」
レティシアは、ちっとも嬉しそうではなかった。
僕が手近な箱に触れて呪いを払うと、彼女が蓋を外す。
中には、小さな平たい容器がぎっしりと並んでいた。彼女は一つ取り出して、表と裏を確かめる。
「封は破れていないわね。これなら大丈夫」
「え? 三百年前のものが、まだ食べられるんですか?」
「ええ。昔、仲間が作った保存食なの。炎と水と土の連中が集まって、三日も寝ずに大騒ぎしてね」
「それって、《七禍》の……?」
「そうよ。本人たちは大傑作だって喜んでいたわ」
レティシアは、手にした容器を指で弾いた。
「最初は、遠出するときに持っていく保存食を作るつもりだったの。軽くて、長持ちして、お腹がいっぱいになるものをね」
「便利そうですね」
「そこまでは、よかったのよ。ところがヴェラ──炎の子が、百年は腐らないものを作ろうって言い出して」
「遠出のため、ですよね?」
「そうよ。なのに、セレナは千年は持たせたいって言い出して」
セレナ──たしか、水源所へ行ったときに名前を聞いた水の権能を持つ人だ。
「千年!? その頃には、とっくに死んでるじゃないですか……」
「あの子たちにそんな常識を求めないで。……ドロテア──土の子なんて、食事のたびに作業を中断するのが面倒だから、一つ食べれば一食済むようにしようって」
レティシアは、小さな容器を持ち上げて見せた。
「……まさしく深夜のテンションの賜物ね。止める人もいなかったし」
そう言って、遠い目をする。
「……でも、本当に三百年保ったんですね」
「そこは認めるわ。あの変態たち、そういうことには本気だったもの」
彼女は容器の縁をつかんだ。
少し力を込めると、薄い蓋が剥がれた。
中にあったのは、手のひらに収まるほどの灰色の四角い塊だった。
焼き目も、具もない。表面は妙になめらかで、角まできっちりそろっている。
鼻を近づけてみても、食べ物らしい匂いはしない。
パンなのか、肉なのか、野菜なのか。見ただけでは、何も分からなかった。
「……これ、本当に食べ物ですか?」
「食べられるわ。食べるだけならね」
「やけに念を押しますね」
レティシアは容器を僕に押しつけた。
それから、残りの分がきっちり並んでいる箱を見下ろす。
「完成した日に、三人そろって私のところに持ってきたのよ。これで遠征の食料の心配はなくなるって、自慢しながら」
「食べたんですね」
「ええ。……そのあと、残りを全部ここに運ばせたわ」
「結果オーライですね」
「ほんとにね。二度と食べたくはなかったけど──非常事態だもの。仕方ないわよね」
レティシアは、観念したようにそう言った。
──ようやく、ここに来るのを嫌がっていた理由が分かった気がする。
だとしても味がどんなものでも、食料問題が解決しそうなのは大きい。
「でも、助かりました。これで、商人さんが戻ってくるまで食べ物に困りません」
「……ええ。それは、そうね」
彼女も、今度は頷いた。
僕はいくつかの箱に力を届かせ、呪いを払っていった。
***
食料庫に備蓄が見つかったと伝えると、ハンナさんはほっとした顔になった。
けれど、調理台に置かれた灰色の塊を見ると、首を傾げた。
「これ、食べ物なんですか?」
「そのままでも食べられるそうです。お湯で戻してもいいとか」
「じゃあ、お湯に浸してみましょうか」
ハンナさんが器に塊を入れ、お湯を注いだ。
スプーンで崩していくと、角がなくなり、どろりとした灰色の練り物になった。混ぜても混ぜても、具らしいものは出てこない。
「これでいいんでしょうか……?」
「ええ。味は覚悟しておいて」
レティシアは、調理台から一歩離れたところに立っていた。
ハンナさんが、三人分の器に取り分けてくれる。
「レティシアも、どうぞ」
「私は味を知っているから、いいわ」
「でも、作ったときと変わっていないか、確かめてもらえませんか?」
レティシアは僕を見た。
それから、器を見た。
「……正論は時に人を傷つけるわ、相棒」
レティシアは憮然とした顔で、スプーンを受け取る。
僕も灰色の練り物をすくい、口に入れた。
──ねっとりしていた。
舌で押すと潰れるけれど、細かなざらつきが残っていた。噛んでみても、甘くも、しょっぱくもならない。無だ。
想像するに、粘土を口に入れると、こんな感じかもしれない。
「……なるほど、これは──」
「みなまで言わないで」
レティシアも一口食べた。
目を閉じ、黙って飲み込んでから、器を調理台に置く。
「三百年前と、まったく同じだわ……」
保存は、完璧だったらしい。
ハンナさんもスプーンを口から離し、自分の器を見つめていた。
「麦のお粥とも、違いますね。塩か何かを足せば美味しくなりますかね?」
「残念ながら……。諦めてさっさとブロックのまま飲み込むことをおすすめするわ」
レティシアは水の入ったコップを手に取った。
まだお湯に浸していないブロックを小さく割り、苦虫を噛み潰したような顔で口に放り込む。そのまま、感情を無にした顔で飲み込んでいった。
「味の話をしたら、三人とも不思議そうな顔をしていたわ。栄養は全部入っているのに、まだ何か足りないの? なんて」
「強いて言うなら食べる楽しみ、ですかね」
「そうなのよ!!」
思ったより大きな声が返ってきた。
「あの三人、その時間があれば実験できるって、これを食べながら喜んでいたのよ。作るのに三日も寝なかったくせに!」
顔も知らない三人が、灰色の塊を片手に盛り上がっているところを想像してしまった。
レティシアが呆れるのも分かる気がする。
「七禍、変人の集まりなんですね」
「頼むから一緒にしないでちょうだい」
レティシアがため息をついた。
僕はもう一口食べた。
やっぱり、味はしなかった。けれど器を空にするころには、不思議とお腹は膨れていた。
「本当に、お腹はいっぱいになるんですね」
「それだけが取り柄なのよ。栄養もバッチリ」
「助かります。残っている食料と合わせて、皆にも食べてもらいましょう」
ハンナさんが頷いた。
(だとしても、味気ない灰色ブロックばかりを食べていたら気が滅入りそうだね)
そんなことを考えていた、その時。
「相棒! 決めたわ、畑を作るわよ!!」
レティシアが空になったコップを置き、そう宣言した。




