第10話 新たな住人
「少し、僕の話も聞いてもらえますか」
僕はレティシアの隣に立った。
「さっきから呪いを消してくれている、この子たち──レティシアの使い魔なんです」
僕は、足元を走り回るくまくまを指差した。
丸っこい身体をせわしなく動かし、道に入りかけた黒い染みの前で立ち止まり、短い前足から白い光を放つ。
「僕が呪いを解いた道を、こうして守ってくれています。この子たちがいなかったら、宮殿まで辿り着くのも大変でした」
年配の男の人が、くまくまを目で追った。
けれどもレティシアを見ると、まだ戸惑った様子で僕に目を向けた。
「……あんたは、怖くないのか?」
「レティシアが、ですか?」
「そうだ。あの悪名高い──《七禍》なんだぞ」
僕は隣を見た。
(確かに最初はびっくりしたけど……)
「少し一緒にいれば分かります。レティシアには、歴史に残る大罪人らしい威厳なんてありませんから」
「ちょっと相棒? それ、どういう意味?」
レティシアがぷくっと頬を膨らませた。
「そういうところです」
「あなたねえ……!」
年配の男の人が、ぽかんと僕たちを見た。
レティシアは、まだ不満そうに僕を見ている。
「……ね、怖くないでしょ? だいたい、さっきまでずっと一緒に居たじゃないですか」
「だが──」
「信じてください。レティシアは、いつも僕が困っていると手を貸してくれる──心強い相棒ですから」
相棒──いつもレティシアに呼ばれているその言葉は、思いのほか口に馴染んだ。
レティシアがこちらを向いた。
「あら、相棒ったらうれしいことを言ってくれちゃって」
「本当のことですから」
「……そう。なら、素直に喜んでおくわ」
さっきまで頬を膨らませていたレティシアが、今度は嬉しそうに笑った。
僕は、門の外で待つ人たちに目を戻す。
「噂に惑わされないでください。今、目の前にいるレティシアを見てあげてください」
年配の男の人は、すぐには答えなかった。
そこに、呪いを払ったくまくまが戻ってくる。
「くま」
足元で見上げられ、男の人が一歩引いた。
くまくまは、その場で首を傾げる。
「……こいつは、噛んだりせんのか?」
「しないわよ。撫でてみる?」
レティシアに言われ、男の人は迷いながら腰をかがめた。
おっかなびっくり手を伸ばし、白い頭に触れる。
「くま~」
「お、おう……」
くまくまは目を細めてから、また道の端に走っていった。
男の人はその後ろ姿を見送り、自分の手を見下ろす。
「……変わった使い魔だな」
「可愛いでしょう?」
男の人が答えるより先に、後ろから嬉しそうな声が響く。
「か、可愛い! ミカも撫でる~!」
小さな女の子が、母親の手を引っ張っていた。
「ダメよ。この子には、道を守る大事なお仕事があるんだから」
「ぶ~、どけち~!」
「こら!」
母親が慌てて娘を引き寄せ、レティシアに頭を下げる。
「す、すみません。騒がしくして……」
「いいわよ。可愛いものね」
レティシアはくまくまを抱き上げ、門の外にいる女の子の前にしゃがんだ。
「優しく撫でてあげてね」
「うん!」
女の子が、白い頭に手を置いた。
小さな手で何度も撫でられ、くまくまが目を細める。
「くま~」
「お母さん、ふわふわ!」
母親も娘の手元を覗き込み、小さく笑う。
周りで見ていた人たちの顔にも、気づけば笑みが浮かんでいた。
***
さて、そろそろ宮殿に案内しよう。
皆には、早く休んでもらいたいからね。
「道から外れず、念のため護符も外さないでくださいね」
僕とレティシアは、門を入ってすぐのところで皆を待った。
オットーさんは首に下がる護符を握り、門の外で待つハンナさんたちを振り返った。
「……まずは俺が先に」
オットーさんが門をくぐり、一歩、灰色の石畳に足を下ろした。
そこで止まり、自分の両手を見つめる。
もう一歩。
さらに進んでから、胸元に手を当てた。
「なんとも、ないぞ?」
オットーさんが門の方を振り返る。
灰色の道を振り返り、もう一度自分の手を見る。
「死都の中なのに……。ハンナ! 何ともないぞ、本当に歩ける!」
門の外で待つハンナさんも、目を見開いていた。
僕が頷くと、オットーさんはハンナさんのところに戻った。
娘を荷台から抱き下ろし、腕に抱える。
「……行こう。俺が抱いていくから」
ハンナさんは夫の服をつかんだまま、城門を越えた。
その後ろに、おっかなびっくり手押し車を引く人たちが続く。
「おお。本当に、なんともないぞ」
「俺たち、あの死都の中を歩いてるのか──」
「ここ、本当に入ったら死ぬって言われてるアルヴァンだよな!?」
「すごい、三百年前の建物がそのまま残ってるぞ!」
皆、目を丸くして街並みを見回している。
死都を歩いていることが、まだ信じられないのだろう。見つけたものを隣の人に教える声も、つい大きくなっている。
「まさか、こんな形で人を迎えることになるなんてね」
「ちょうどいいです。人が住める街にしようって、話していたところですし」
「……ちょうどいいで済ますには、ちょっと多いわよ?」
「きっとどうにかなりますよ。次に誰かが来たときは、泊まる場所を選べるくらいにしておきたいですね」
「なら、宮殿だけじゃ足りないわね?」
「はい。街の家も、少しずつ使えるようにしていきましょう」
今は人の住めない真っ黒な街並みだ。
それでも、レティシアが大通りに並ぶ家々を見回して笑った。
「ふふ。忙しくなるわよ、相棒」
***
宮殿に着いて、まずは使える部屋で休んでもらうことにした。
ここ数日で、呪いを解いて使えるようにした部屋も、ずいぶん増えていたのだ──こんなすぐに出番が来るとは思ってもいなかった。
ハンナさんの娘・エルザちゃんは、寝台に下ろされた途端に目を閉じ、母親の手を握ったまま眠ってしまった。
ほかにも、小さな子どもや年配の人が横になっている。
床に座った人たちは、やっと荷物を背中から下ろしていた。
「新しく使える部屋を増やしてきます。ここで待っていてください」
客室を出ようとすると、ハンナさんが顔を上げた。
「あの。こんなに汚れた服で、寝台を使ってしまって……」
「あとで洗えばいいですよ」
「ですが」
「その子、ようやく眠れたんでしょう?」
ハンナさんが、娘を見下ろした。
僕はレティシアと一緒に、隣の客室に向かった。
部屋の入口に手を当て、壁や床に解呪を広げていく。
レティシアも廊下に並んだ魔導灯に雷を流し、使える場所に明かりを灯していった。
(レティシアの雷の権能がなかったら、宮殿の中はずっと真っ暗だったかもしれないね。さすがレティシアだよ)
いくつかの部屋が使えるようになるころには、休んでいた人たちも手伝いに出てきていた。
オットーさんが桶と布を持ち、寝台の埃を拭いている。
「足は大丈夫ですか?」
「じっとしているより、何かしていたくて。子どもたちの寝る場所くらい、自分で整えたいんです」
「そうですか。じゃあ、僕は水を持ってきます」
厨房に戻ると、商人が残っていた食料を運び込んでいた。
「助かります。これで全部ですか?」
「はい。少し心許ないですね──この人数では、すぐに無くなってしまいそうです」
「そうですね。王国の支援に頼り切りだとまずそうです」
「他に、食料を手に入れる当てが?」
僕は運び込まれた食料を見ながら、しばらく考えた。
「食料の問題は、僕に考えがあります。ですが、それが形になるまでは、なるべく多くの食料を持ってきてもらえると助かります」
「お金さえ払ってもらえるなら喜んで」
「──それもなんとかします」
……問題は山積みだった。
ひとまず今は、王都から届いた食料を使うことにしよう。
商人を見送ってから、僕は桶に水を汲んだ。
これからは、使う量もずいぶん増えるだろう。
「ノア様」
ハンナさんと、もう二人の女の人が厨房に来ていた。
「娘さんは?」
「まだ眠っています。あの……料理は、あたしたちに任せてもらえませんか?」
「いいんですか?」
「はい。寝床も食べ物も、全部用意してもらったので。せめて、できることをさせてください」
ハンナさんは、調理台に並んだ食料を見た。
「村で食堂をやっていたんです。大勢の分を作るのは、慣れています」
「それなら、お願いしていいですか? こんなに大勢の分を作ったことはないので」
答えると、ハンナさんの顔が明るくなった。
「はい。任せてください」
掃除用の水を客室に届けて戻ると、厨房ではもう、ハンナさんたちが鍋を用意していた。
根菜を選ぶ人、皮をむく人。火を起こすために呼ばれた男の人も加わり、厨房には話し声が増えていった。
レティシアが入口から覗き込んだ。
「私も手伝うわ。何をすればいい?」
「じゃあ、器を出してもらえますか?」
「ええ、任せて」
レティシアは棚から器を出し、調理台に重ねていった。
意外と庶民派の元・王女さまなのだ。
「相棒。足りるかしら?」
「十分です」
振り返ると、ハンナさんが僕たちを見ていた。
やがて鍋に視線を戻し、刻んだ野菜と干し肉を入れる。
鍋が煮立ち始めると、厨房の外までいい匂いが漂ってきた。
***
食事は、廊下に近い広間で取ることになった。
持ち寄った椅子だけでは足りず、何人かは窓際の長椅子に座っている。
子どもたちはパンを配る役を頼まれ、籠を抱えて大人の間を歩いていた。
「お姉ちゃんも!」
エルザちゃんが、レティシアにパンを差し出した。
少し前に目を覚まして、自分も運ぶと言い出したらしい。
「ありがとう」
「くまくま、また触らせてね!」
レティシアが受け取ると、エルザちゃんは、ぱたぱたと走り去っていった。
鍋から、麦と野菜の煮込みがよそわれる。
器からは湯気が立ち、干し肉のいい匂いがした。
「いただきます」
僕は煮込みをスプーンですくい、ふうふうと冷ましてから口に運んだ。
野菜は柔らかく、干し肉のうまみが染みていてとても美味しい。
隣では、レティシアがすごい勢いでスプーンを動かしている。
「おいしいわね」
「はい」
向かいでは、煮込みを食べていた男の人が、感極まったように涙を流していた。
隣の人も「久々にまともな飯だ!」と言って、ご飯をかきこんでいた。
僕たちはしばらく、そのまま食事を続けた。
やがて、オットーさんが席を立った。
僕たちの前に来て、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます。なんとお礼を言えばいいか」
「顔を上げてください。僕も、おいしいご飯を食べさせてもらっていますから」
オットーさんが顔を上げる。
けれど、席に戻ろうとはしなかった。
「それで……申し訳ないのですが。あと何日か、ここに泊めてもらえませんか? 子どもたちも、まだ歩けそうになくて」
近くの人たちが、食べる手を止めた。
ハンナさんも、不安そうに僕の返事を待っていた。
「顔を上げてください。アルヴァンは常に人手不足です──歓迎しますよ」
水は当分、問題ない。
住む場所についても、アルヴァン宮の部屋は余っているし、将来的には街にある家も使えるようにする予定だ。
問題は食料だが、アルヴァンの街並みを見て回っている中で、実はいくつかのアイディアは浮かんでいた。そのためには人数が必要で──やや急だが、ちょうどいいというのは本音だった。
僕はオットーさんに頭を下げる。
「ここはお世辞にも栄えてるとは言えない始まったばかりの街です。……大勢の人が暮らすには今日みたいに手伝ってもらえると助かります」
「それは、もちろん……!」
オットーさんの声が、大きくなった。
「家を直していた者も、畑を作っていた者もいます。俺たちにできることなら、何でも──」
「なら、明日はまず休んでもらおうかしら?」
レティシアが口を挟んだ。
「その足で歩き回られたら、相棒が気にするでしょう。街は逃げないんだから、治してから手伝ってちょうだい」
オットーさんは、布の巻かれた自分の足を見下ろした。
やがて、レティシアにも頭を下げる。
「……ありがとうございます」
レティシアは頷いて、スプーンを手に取った。
それから、僕のほうに顔を寄せる。
「相棒、人が増えたわね」
「そうですね」
僕は広間を見回した。
器を持った人たちが座り、子どもがパンをちぎっている。
ルゥはいつの間にか長椅子に上がり、エルザが膝の上に乗せようとするのを尻尾でかわしていた。
「ずいぶん、騒がしくなりました」
レティシアはその光景を眺めてから、自分の器に目を戻した。
口元が緩んでいるのは、煮込みがおいしいからだけではなさそうだった。




