44話 終わらないおとぎ話
「シュカ、話がしたい」
宰相邸の門を出て、少し離れた市場まで来たところでラシードが足を止めた。思い詰めたような顔をして、眼差しも真剣そのものだ。
ゴクリと唾を飲みつつ、私は「もちろん」と頷いた。
すると、ラシードは何も言わず、吸い込まれるように目の前の小さなモスクへ入って行った。
「あっ、待って。ラシード!」
見る見る小さくなっていく背中めがけて、私は縋るように言った。
このモスクは実家の荒屋と同じくらいの大きさで、とにかく地味な外観だ。目立つ装飾など一つもない。
でも、私を圧倒するには十分すぎる威厳を持っていたのだ。
「あの、異教徒の私が入っていいのかしら……?」
私が躊躇いがちに言うと、ラシードは宰相邸の地下を出てから初めて「ははっ」と歯を見せて笑った。
そして、エスコートと呼ぶには雑な手付きで、私の手を引っ張る。
「崇める神が違うくらいでヘソを曲げやしない。来いよ」
「……それじゃ、失礼いたします」
「ははは、律義だな」
礼を尽くすのは当然だわ。私が今こうして生きてられるのは、イルファハンの神様のお力添えがあってこそだと思うもの。
恐る恐る足を踏み入れると、いくつものアーチが並ぶモスクの中は、青を基調とした落ち着いた空間だった。ドームの天井を見上げると、幾何学模様のタイルが見事だ。
外観からは想像もできないほど洗練された雰囲気に、私は「ハァ」と息を漏らした。
「綺麗ね……」
「だが、それだけじゃない。礼拝堂は神の御前で己の全てを曝け出す場所だ。もちろん、噓偽りはご法度。だからこそここで、あんたに聞いてほしかった」
ラシードが調子を改めてそう言ったので、私も静かに頷いた。
まるっきり不安がないと言えば嘘になる。
でも、何を聞かされても目を逸らすことだけはするまい。この人自身をきちんと見よう。そう心に誓っていた。
「俺の過去は邸で話した通りだ。母上が毒死してからの俺は、部屋に引き籠り、宰相の怒声と女の悲鳴にただただ怯えてた。生き地獄だった」
私は冷静に、「ええ」と相槌だけ打った。話の腰を折りたくないと言う気持ちが伝わったのか、ラシードも淡々と続ける。
「思春期を迎えてからは、街の連中と喧嘩をすることで身内への憤りを発散した。偉そうなことを言ったが、俺は宰相だけを責められない」
「ええ、そうね」
「だが……事件後、ギュズ村を訪ねた時に心を入れ替えた。おかみさんが、村人達が、俺を救ってくれたからだ」
ラシードはそう言って、愛しそうに目を細めた。
かと思うと、切迫した調子でボソボソと何かを呟き始めたので、私は奇妙な顔をしてしまう。
「あ、あの……?」
「……それなのに俺は、大恩ある村の荒廃を止められなかった。それまで主な収入源だった作物は育たず、備蓄を奪われたことで子供達は飢えた。肥料や苗を買うにも、新しく井戸を整備するにも金がない。だから俺は、若い連中を仲間に引き込んで盗賊を名乗った」
「……ええ」
「もちろん、無差別じゃない。いつまでも真実に気付かない愚鈍な王と、宰相への貢物や物資を運ぶ隊商だけを標的にした。あんたの輿を狙ったのは……宰相が新しい花嫁を迎えると、風の噂で聞いたからだ。大事な人間を奪われる悲しみを味わわせてやりたかった」
かすかに胸が痛んだ。
しばらく間を置いてから重い口を開くと、ラシードが「でも!」と遮った。もしかしたら、私の返事を聞くのが怖かったのかもしれない。
「でも、大きな間違いだった。本当にすまない」
ラシードの顔には、反省の色がありありと見えた。こちらが気の毒になるほど、透け透けだった。
「……ラシード」
私はひょいっと爪先立ちをして、両手でラシードの頬を包んだ。すると、思った通り冷え切っていたので、小さく吹き出してしまう。
「ふふ、あなたって豪胆なくせに意外と小心者よね。……もういいのよ。だって、満月の晩、あなたは正しい道を示して私を止めてくれたじゃないの。お詫びならそれで十分だわ」
「シュカ……」
「『憎しみは次の憎しみを生むだけだ』って、大宰相のお嬢様もおっしゃっていたでしょう?」
「その通りだ…………ああっ、そうだ!」
私は目をぱちくりさせた。
今、この雰囲気の中で、一体何を思い出したと言うのだろう?
「グラドールとの国境に面した村でライラが暮らしてるんだが、あんたの侍女も一緒にいるそうだ」
「え!?」
思いがけない一言に、私はぎょっとした。
「輿を襲った後、手下が国境まで送り届けたんだが、あんたを気遣ってか一向に国に帰らねえんだと」
「……っ、ああ、良かった。無事だったのね!」
「今度案内する。元気な顔を見せてやるといい」
私は嬉しさで声を詰まらせ、幸せいっぱいの溜息を吐いた。
「ところで、シュカ」
「ん?」
「次期宰相の地位を捨てた俺は、ただの男だ。まあ、おかみさんと亡くなった村長の間には子供がいないから、跡を継いで村長になるつもりなんだが……」
「いいと思うわ。あなたなら、皆に慕われる素晴らしい村長になれる」
私が太鼓判を押すと、ラシードはポリポリと頭を掻いた。そして「そう言うことじゃないんだが」と言い淀む。
「あのさ……意味、分かんないか?」
私が首を傾げると、ラシードはやや冷ややかに言った。
「再三伝えてきたつもりだし、今更な感じもするが……求婚してるんだ。シュカさえ良ければ、俺のところに来てほしい」
「……!」
「僻地の村長夫人だと不満か? 両親が待つグラドールに帰りたい?」
私は呆然とし、その場に立ち尽くした。
すると、さっさと業を煮やしたらしいラシードが割って入った。
「まあ、今断られても、俺は何度だって申し込みに行くけどな!? 盗賊は狙った獲物は逃がさないもんだ!」
「……私、盗賊の妻にはなりたくないわ」
「そんな軽蔑の目で見るなって。冗談だよ、盗みも殺しももうやらない。俺はもう……かけがえのない宝物を手に入れたんだから」
それは、もしかして……。
ラシードの言葉を噛みしめると、胸が激しく高鳴った。
「……私はこの通り美人じゃないわ」
「今更何だ。愛嬌があって可愛いぞ、そのソバカス。あと、クルクルの髪も」
「それに、お淑やかでもないわ」
「そんなものは捨てておけ。村の生活で一番不要なものだ」
「強情だし、根に持つタイプだし、口も汚いし、本当は性格も悪いのよ。それに」
「ちょ、ちょっと待て。いつまで続けるんだ?」
「まだまだ。後になって詐欺だなんて言われたくないもの」
ツンと顎を上げ、延々と喋り続ける私を見て、ラシードは低く唸った。
そして、次の瞬間。
私の腰を軽々と抱き寄せたラシードが、強引に口を塞いだ。
「んっ、んん――!?」
私は目を見開いた。
鼻先にかかった吐息と、押し当てられた唇の柔らかさで、頭が一気に真っ白になる。
「……っん、はぁっ」
私は必死でもがき、ラシードの顔を両手で押しのけた。
びっくりしすぎて、あのまま触れ合っていたら心臓が止まると思ったのだ。ついでに言うと、息継ぎのタイミングが分からず、窒息しかけていたと言う情けない事情もある。
「急に何なの! はっ、はっ、初めてだったのよ!?」
「謝らねえぞ、煩いから黙らせただけだ。それに、何度も言うようだが、俺の返事は決まってる。俺は、こんなあんただから欲しいんだ」
「でも、私……」
「あんたを愛してる」
ラシードは柔和な笑みでとどめを刺した。
「……はーーーー」
私はとうとう観念して、長く息を吐いた。
そして、緊張した面持ちで返事を待つラシードに背を向け、ぐぐーっと大きく伸びをする。
「おい、シュカ。返事は? またはぐらかすのかよ」
薄情だと思うかしら。
「いつまで焦らすつもりだ?」と怒るかしら。
違うのよ、ラシード。
面と向かってなんて、恥ずかしくて……とても言えないんだもの。
嬉しくて、幸せで、溶けてしまいそう。
「私、ルリアに手紙を書くわ。そして『シュカは次期村長夫人になりました』って伝えて、ご祝儀を弾んでもらわなくちゃ」
ラシードが安堵したように溜息を吐いた。
ああもう。
そんな息遣いを聞くだけで私まで胸が躍るんだから、相当重症だわ。
「もしかして真珠が欲しいのか?」
「どうしてあなたが知っているの? でも、当たりよ。私、普段は宝飾類なんてほとんど身に付けないんだけれど……ルリアとお揃いで持てたらいいなって」
「……ふーん」
「あら、ごめんなさい。何か気に障った?」
「いや……。ただ、俺は金もないし、あげられるもんなんかろくにないからさ」
「なるほど、そう言うこと……でも、別にいいのよ?」
私は勢いよく振り返り、ラシードに駆け寄りながら言った。
「だって、口付けだけで十分なんだもの!」
「むぐっ!?」
さっきのお返しとばかりに、私はラシードの唇にキスをした。
作法がいまいちよく分からなくて、頭突きのような形になってしまったけれど……。ラシードの反応を見る限り、あながち間違いではないのだろう。
「……っちょ、待て。急に何だ!?」
「ふふっ、私は“じゃない方”だもの。これくらいの仕返しはできるのよ!」
私はいたずらっぽく微笑み、きらきらと瞳を輝かせた。
そして、そっと呟いた。
「あなたが大好きよ」
私のことを“宝物”と呼んだ、愛しい人の耳元で。
読んでくださってありがとうございます。
本日中におまけを公開する予定です。
完結までもう一話、お付き合いいただけたら幸いです!




