41話 対峙
「あなたはもしや若君様では!?」
兵士の一人が声に驚きを込めてそう叫ぶと、「まさか」「そんな馬鹿な」とヤジが飛んだ。
でも、どこかに思い当たる節があったのだろう。
次の瞬間には、その場にいた兵士達が一斉に跪いた。しかも、どう言うわけか揃いも揃って地面に額を付け、わなわなと震えているのだ。
「迂闊な奴らだ、やっと気が付いたのか。まあ、俺が出奔してから7年経ってるし、こんなもんか……」
ラシードは平然と言い、威厳を持って兵士達の前を通り抜ける。
「し、しかし、あなたはっ」
「無礼者! 誰が顔を上げていいと言った!?」
「ハハッ、申し訳ありません」
兵士が再び平伏したのを確認すると、ラシードは何故か私を振り返った。状況が呑み込めない私は思わず身構えてしまう。
「シュカ。すまないが、こいつらの所業は一旦水に流してくれないか。二回戦が始まらないうちにここを出るのが先決だろう?」
「え、ええ。もちろん構わないわ」
「スィナーン、シュカを負ぶってくれ。袈裟懸けに斬られて力が入らねえんだ」
「私もそれなりに深手を負っているのですが?」
「同じ重傷でも、お前の方が足が速い。もう一踏ん張りしてくれ。門まで一気に走るぞ!」
スィナーンは「相変わらず人使いが荒すぎる」と言いたげに溜息を吐きつつも、素早く身を屈めた。
「……あの、ごめんなさい」
「ああ、あれは冗談ですからお気になさいますな。むしろ、ラシード様が平常運転だったのでホッとしているくらいですよ。さあ、お早く」
「そう簡単に逃げられると思ったか、この愚か者共が」
「……っ!!」
突如、私の背筋に震えが走った。
背後から聞こえて来た重々しい口調には、嫌と言うほど聞き覚えがあったのだ。
それは、もう二度と聞きたくないと願った、凍て付くような硬質の声だった。
「まったく、小賢しい真似をしおって。一体誰が後始末をすると思っている」
宰相は、忌々しそうに吐き捨てた。そして、ゾロゾロと兵隊を引き連れ、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。
血溜まりと遺体の中をあえて踏み分けて進むその姿に、私は吐き気を催さずにはいられなかった。
「……シュカ、下がってろ」
歪めた顔に気が付いたのか、ラシードは私を自分の背中に押し込んだ。そして、何かを覚悟したように息を吐く。
「よう、随分と遅いお出ましだな」
はち切れそうな緊張感の中、口火を切ったのはラシードだった。
宰相と向き合ったラシードの背中は、触れなくても分かるくらい熱をもっている。
「飼い犬の躾など、主人でなくとも事足りる。少しばかり痛い目を見れば己を省みるかと思ったが……とんだ駄犬だったようだな。まったく、いつもいつも私を失望させおって」
「てめえにだけは言われたくねえな、クソったれ」
「口の利き方を改めろ、放蕩息子。7年もの間どこで何をしていた」
放蕩、息子!?
息子って……ラシードが、宰相の息子だって言うの?
これまで一切明かされなかったラシードの素姓を知り、私は仰天した。でも、何より私が驚かされたのは、目の前の二人から肉親同士の情を一切感じないことだった。
「とうに親子の縁は切った。あんたとはもう何の関係もない」
「何を勝手なことを……。私は許していない」
「許してくれなくて結構、あんたの汚いやり口と過干渉にはもううんざりだ。俺は相続の権利を全て放棄する。あんたが兄上達ではなく俺に譲りたがっていた宰相位も世襲しない!」
「恵まれた環境にありながら、この大馬鹿者が!!」
息子の反抗に、今度ばかりは我慢ならなかったらしい。氷のように重く冷たい宰相の声に、初めて熱がこもった。
「ならば、服従するまで躾けるだけだ。拘束しろ!」
宰相は片手を高く掲げ、後ろに控えていた兵隊を呼び寄せた。すると、大軍は一気に戦闘態勢になり、一糸乱れぬ動きで武器を構えた。
「あ、ああっ……」
身震いするほど恐ろしい光景に、私は祈るように両手を組んだ。死を覚悟したのだ。
でも、ラシードは一切動じない。
それどころか、何事もなかったかのように淡々と続けた。
「さっきの話の続きだがな。俺はずっとギュズ村にいたんだよ」
「何!?」
よほど後ろめたいことがあるのだろう。『ギュズ村』の名前を聞くなり、宰相の目の色が明らかに変わった。
「はっ、覚えていたとは重畳だ。なんせ、あんたのくだらん企みのせいで荒廃した村なんだからな」
「何故だ。何故お前があそこへ……」
「あんたの代わりに謝罪をしに行ったんだよ。そこで俺は、あんたの非道な仕打ちと村の実情を知って愕然とした」
牢番から聞いた凄惨な事件を、私は頭の中で反芻した。
胸が、痛い。
「あの日、村人達は潔白を証明するため、あんたの部隊の軍門に下っていた。収穫前の田畑を踏み荒らされ、家畜も兵隊の食料に取られ、貯えも全て押収された。それでも村人達は抵抗せず、神妙に沙汰を待った。それなのに、あんたは……仕損じた大宰相の娘を狙って火をかけたな? 村人達の手足を縛り上げ、体の自由を奪ったまま!!」
え!?
「村の焼死者は、妊婦や赤ん坊を含む35名……。この話を聞いた時、俺は死のうと思った。あんたと血縁があるだけで、悪事に加担したのと同じだと思った。それなのにどうして俺があんたの跡目なんか継げる!?」
ああ、そうだったの。
村にあった大きな墓地は、その時の死者を祀っていたのだわ。子供を抱いた父母の銅像も、火事で犠牲になった人達の……。
「うえっ……うっ、ん……」
あまりの仕打ちに、私は激しく嘔吐いた。吐くものなんか何もなかったけれど、込み上げてくる何かを抑えられなかったのだ。
「……焼死者が多数出たことは承知している。しかし、現王様の治世の安寧のため、私は自分の職務を全うしたまでだ。お前に恨まれる筋合いなどない」
「はっ、王のためが聞いて呆れるな」
「何だと……?」
「王への忠義なんかじゃない。全てあんた自身のためだろうが!!」
ラシードはそう言うと、懐から細身の書簡筒を取り出した。そしてそれを、宰相に向かって放り投げる。
私は心の中で「当たればいいのに」「罰が当たればいいのに」と願ったけれど、それは成就しなかった。書簡を拾い上げた兵士が埃を払い、宰相に恭しく手渡してしまったのだ。
でも、私の願いはすぐに別の形で叶うことになった。
「……こ、これは!?」
私には理由は分からない。
でも、書簡に向き合った途端、宰相が見る見るうちに蒼褪めていったのだ。
それは、蒼白と言うよりも更に病的な色だった。




