40話 あなたを守る力を
音もなくラシードの背後に回り込んだ刺客は、ぐったりと垂れ下がった頭めがけて勢いよく剣を振り下ろした。
それは、実際には一瞬の出来事だったに違いない。
でも、私は不思議な感覚を味わっていた。
目の前のその光景が、現実の速さよりもゆっくりと見えていたのだ。
どうしてこうなったのかは分からない。
もしかしたら星女神様が……そして、イルファハンの幾千の神々が、ラシードを助けるために力を貸してくださったのかもしれない。
そうでもなければ、私にできるはずがない。
遺体から拝借した鞘を両手で掲げ、ラシードの前に飛び出すなんて……。
――ガキンッ
「……うっ」
鋭い金属音に、私は小さく悲鳴を漏らした。刺客の刃先を受け止めた瞬間、火花のようなものが飛んだようにも見えた。
でも、絶対に目は閉じられない。一瞬でも油断しようものなら、脳天から真っ二つにされかねないのだから。
「うううっ……!」
地面に付いた膝が限界を告げ、私は眉根を寄せる。
「シュカ!?」
「シュカ様!!」
蒼白になったラシードが叫んだ。少し離れた位置で奮闘を続けていたスィナーンも、同時に叫んだ。
本当は私も叫びたかった。
ラシードの名前を呼び、広い胸に飛び込んで無事を確認したかった。
でも私は、目の前の人物から目を逸らさない。
だって、この人は……
「牢番さん、やめて……。剣を引いてください」
重い斬撃を真っ向から受けたせいで、両手がビリビリと痺れている。雷にでもうたれたら、きっとこんな風になるはずだ。
でも、震える手にグッと力を込め、私は絞り出すように言った。
「あなたは……あなたは私を一人の人間として扱い、真剣に話を聞いてくださったわ。あの場で自害せずにすんだこと、本当に感謝したの。あなたを憎みたくない。お願いよ、私の大切な人を殺さないで……」
のっぺりとした顔立ちの牢番は顔をしかめ、一言だけ「花嫁さん」と呟いた。
そして、剣に込めていた力を緩める。
「……手は?」
牢番は躊躇いがちに口を開いた。
「え?」
「手は大丈夫? 僕、こう見えて馬鹿力なんだ。痺れてない?」
ぎこちないその言葉に、一気に胸が熱くなった。
「……っ、大丈夫です。ほら」
私は鞘を捨てて立ち上がり、代わりに牢番の手を握った。
すると、ハラハラしながら私達を見守っていたラシードが、「どうなってんだ」と不服そうに言った。牢の中での出来事を知らないのだから当然だ。
「分かってくださってありがとう」
「お礼なんかいいんだ、僕がそうしたかっただけだから。それより、早くここから逃げるんだ! もう時間が」
「きゃあっ」
私は悲鳴を上げた。矢が私の右頬をかすめて飛んで行ったのだ。
射られた頬ではなく右耳を押さえ、私は地面にへたり込んだ。風を切る音なのか、衝撃のせいなのか原因は分からないけれど、激しい耳鳴りがした。
それに、地面がグニャリと歪むような嫌な感覚もある。
「何をしている、貴様! 早く女を捕らえんか!!」
「!?」
隊長らしき男が、すかさず怒声を上げた。そして、いつの間にか呼び寄せていたらしい弓兵隊に私達を包囲させる。
「ふはは、油断している間に形勢が逆転したな! 馬鹿め!」
「や、止めて。来ないで!!」
私は顔を上げ、満身創痍のラシードを隠すようにして両手を広げた。
「……ほう、女の身で面白い」
何よ、ちっとも面白くなんかないわよ!
弓を引いた状態で目の前に立たれれば、誰だって恐怖にかられる。当然、私だって震えあがっているわ。
でも、今動ける人間は私しかいないんだもの。
私が立つしかないじゃないの!
「小娘。その勇気に敬意を表し、私が直々に手を下してやろう。覚悟はいいな?」
私はぎゅっと目を瞑った。
でも、「覚悟しろ」と凄んだくせに、舌の根も乾かぬうちに隊長は言った。
「おい、そっちの男を引っ立てろ! まずは男共からだ!」
「なっ……やめて!! 殺すなら私をっ」
「シュカ!」
私は咄嗟に反論しようとしたけれど、ラシードが口を挟ませなかった。立ち上がりかけた私の体を押し戻し、歯ぎしりをする口調で言った。
「……多勢に無勢じゃこれまでか。クソッ、名乗り出るつもりなんかなかったのに」
「あーん? 命乞いにも作法があってだな」
「痴れ者! 俺の顔を見忘れたか!?」
「!?」
意味こそ分からなかったものの、その剣幕に目を見張った。
隊長が「はあ?」と嘲笑うと、ラシードの口調は更に憤ったものになった。今にも発火しそうなほど熱を帯びた声で続けたのだ。
「お前如きには、そう何度も目通りを許していないからな。親衛隊隊長、カシム・アッサラーム!」
「きっ、貴様、何故私の名前を知っている!?」
隊長は仰天し、情けないほどに狼狽えた。
弓を構えていた弓兵隊員にも動揺が広がり、難攻不落だと思われた隊列が呆気なく崩れていく。
「ラシード様っ……ご無事ですか? お怪我の程は!?」
「この通り、何とか生きてる。お前は?」
「しばらく休暇が欲しい程度には重症です、とだけ言っておきましょうか」
「却下だ、万年人手不足なんだぞ」
駆け寄ったスィナーンの無事を確かめ、ラシードはケラケラと笑った。
「シュカ、あんたも無事か? この状況で俺を庇って飛び出すなんて、相変わらず肝の据わった女だ。驚いたぞ」
腰を抜かしていた私を引っ張り上げた手は温かく、鬼の形相も消え去っていたので、私は心の底からホッとした。
何が起きたのか分からないけれど、助かったのだわ……。
しかし、弓兵隊の一人が、和やかな空気に水を差すように口を挟んだ。
「……ラ、ラシード……様……。あなたはもしや若君様では!?」




