38話 泡沫の空
「まるで蟻の巣みたいね」
「ん?」
「この地下道のことよ。ねえ、どうしてこんなものがあるの?」
薄暗い地下通路を引き返しながら、私は尋ねた。
「奴は至る所で恨みを買ってる。いつ寝首をかかれてもおかしくないから、奇襲への備えとして隠し扉や秘密の抜け道を作ってるんだ。まともな生き方をしてりゃこうはならなかっただろうに」
「あまり出番もないでしょうし、いざと言う時迷子になりそうね」
「宰相にとっては命綱だからな。きっと毎日予習復習をしてるんだろうよ」
……じじい、ね。
ずっと気にはなっていたのだけれど、随分くだけた呼び方だわ。邸やハレムの内情にも精通しているようだし、何か関係があるのかしら。
「ラシード、あなたは宰相の何?」
「……何の関係もない。俺はどこにでもいる農夫で、盗賊の頭だよ」
嘘吐きね、人のことは牢屋で散々なじったくせに。いつも都合が悪くなる度にはぐらかすけれど、私もそこまで間抜けじゃないのよ。
私は探るような目付きでラシードを見る。
すると、それに気付いたのか、バツが悪そうな顔でラシードが言った。
「お! ここから地上に出られそうだな」
「……そうね」
「おい、そんな目で見るな。待望の出口だぞ?」
はぁ、まったく白々しいったら……。
「一体どこに繋がっているのかしらね?」
「距離からして、おそらく回廊でしょう。伏兵の数も把握したいですし、まずは私が偵察に行きます」
「いや、スィナーン! 俺が先に」
はなからラシードの言葉を聞くつもりがないのか、スィナーンはさっさとはしごに向き直った。そして、一度も振り返ることなく、スルスルと高く登っていく。
「……ったく。おい、気を付けろ!?」
大きな背中を見守りながら、私は祈るように両手を組んだ。二人の会話にあった最悪のパターンが、頭にこびりついて離れなかったからだ。
星女神様。
聞こえますか?
異国の果ての地下からでは遠すぎるでしょうか。
でも、お願いです。どうか、どうか何事も起きませんように……!
「……ラシード様、妙ですね」
私の願いが聞き届けられたのか、しばらく間を置いてから聞こえて来たスィナーンの声は落ち着いていた。やや神妙そうではあったものの、身の危険はなさそうだ。
私はホッと胸を撫で下ろした。
「妙?」
「はい、人の気配が全くありません。目立った仕掛けもないようです」
「ふーん? そんなわけないと思うが……。ま、地下も飽きたしとりあえず出るか」
ラシードは呆気なく言い、はしごに手をかけた。
「シュカ、頭を低くして腹ばいで来い。こっちだ」
まずはスィナーン、その次にラシード。最後に私がはしごを登りきると、穴の出口は回廊脇の茂みの中だった。
「ええ。よいしょ、と……」
体に付いた土や枯葉を払い、視線を泳がせると、周囲はまだ仄暗い。日の出まではもう少し時間がありそうだ。
「……ああ、100年ぶりくらいに外気に触れた気がするわ」
「ふふ。シュカ様、上をご覧ください」
「上?」
心地よい静寂に包まれ、ゆったりと見上げた空は瑠璃色。ひときわ明るく大きな星を筆頭に、これまでに見たことのないような満天の星空が広がっていた。
「綺麗だわ……。言葉も出ない」
「二度目の脱獄記念日にはおあつらえ向きのいい空だな。一度目も見事な満月だったし、ついてる」
「ふふ、無事に逃げられたら伝記にでも書きましょうか」
差し出された手を取り、私は立ち上がった。
踏み締めた土のふんわりとした感触が懐かしく、私はうっとりと目を細める。すぐにでも寝転がってしまいたいくらいの愛しさだった。
「ねえ、ラシード」
極度の緊張から解放された反動で、自分が置かれた状況をすっかり忘れ、能天気な声を上げたその時だった。
「シュカ、伏せろッ!!」
鬼気迫る声と同時に、私は床に雪崩れ込んだ。一瞬目の前が真っ白になったけれど、ラシードに押し倒されたのだ。
そして、その直後。
数本の矢が空を切り裂くように唸りながら、私の頭上をかすめた。
「きゃああっ」
大理石らしい地面に落ちた白い矢を見て、私はブルッと体を震わせる。一気に血の気が引いていくのをありありと感じた。
「ラシード様、早く柱の陰へ!!」
「ああ。お前は距離を保て! 追撃に備えろ!」
肝を潰して立ち上がれずにいた私を担ぎ上げ、ラシードは猛然と走った。そして、回廊の柱に沿わせるようにして私を降ろす。
「相変わらず容赦ねえな。偽物の花嫁を生かしておく必要はないってか」
「あ、あの矢、どこから……?」
「弓兵部隊まで投入してるとなると下手に動けねえな。あー、どうしたもんか……」
「ど、どうしてそんなに落ち着いているの?」
遠くから兵士のものらしき足音が響き始めたと言うのに。それも、一人や二人では出せないくらいの音量なのに、恐怖心はないの?
「戦場において最も危険なことは平常心を失うことだ。俺の経験上、判断力が低下するとあっさり自滅する。だから、あんたもほら! こう言う時こそ笑うんだ」
無茶を言わないでちょうだいよ。狙撃された直後に笑うなんて、とんだ狂人だわ。
脳内ではあれこれ反論しつつも、私は精一杯口角を上げた。口の端がヒクヒクと引き攣って、お世辞にも“笑顔”とは呼べなかったと思う。
でも、それを見たラシードは大きく頷き、妙な手付きでハンドサインを送り始めた。受け手はおそらくスィナーンだろう。
「シュカ、床に這いつくばってじっとしてろ。上体を起こすと恰好の的になる。いいな、絶対に動くな?」
「分かっ」
私の返事を待たず、ラシードは腰に下げていた剣をスラリと抜いた。
そして、私に向けて軽く片目を瞑ったと思うと、一気に回廊へ躍り出たのだった。
「……っ、ラシード!!」
読んでくださってありがとうございました。
いよいよクライマックスです、どうか最後までお付き合いをお願いします。




