37話 どうか今だけは
「クソッ、やっぱり塞がれてるな」
力任せに壁を叩き、ラシードは苛立たしげに舌を打った。
がむしゃらに二人の後を追いかけてきた私は全く気付いていなかったけれど、どうやらもう目的地に着いていたらしい。
でも、ここにははしごどころか、足をかけられるような僅かな突起すらない。
本当に、ただの真っ暗な行き止まりだ。
「私の落ち度です。申し訳ありません」
スィナーンはその場に膝を付き、沈んだ調子で言った。
舗装されていないゴツゴツとした道をひたすら歩き、やっと辿り着いた場所だっただけに、彼ほどではなかったものの、私もほんの少し肩を落とした。
でも、ラシードは大きく息を吐いただけで、すぐに気持ちを切り替えたようだ。「よし、別の出口へ回ろう!」と張り切り、スィナーンの肩をポンと叩く。
「お前のせいじゃない。宰相の執念深さが異常なんだ」
「恐れ多いですが同感です」
「私も心からそう思うわ。陰湿で最低な性格破綻者よ」
「……ははは、珍しく三人の意見があったな!」
宰相の罠にかかったとなれば、もうコソコソ隠れている必要もない。
私達は、不安や緊張を吹き飛ばすように大きな声で笑った。
腹筋が痛くなるまで笑い、「生きていてよかった」と私は改めて思った。
「さてと。あいつのことだから多分、どこか一ヶ所だけ出口を解放してるはずだ。ありったけの私兵を配備して、俺達を待ってる」
「はい。最悪の場合、地上に出るタイミングで串刺しですね」
「あーー、面倒くせえ。奴の狙い通りに動いてやるのも癪だ。だが、一生地下に隠れているわけにもいかないしなぁ」
ラシードは心底嫌そうに唸った。
それを横目で見ながら、私はごくりと唾を飲む。
「あの……私にも武器をちょうだい。基礎だけだけれど、以前お父様から剣を習ったことが」
「馬鹿、あんたなんか即死だ。相手は戦闘のエキスパートだぞ」
清々しいほどの即答だった。
私は自分が情けなくなったけれど、今度ばかりは懸命に食い下がった。それなりの覚悟がなければ、こんなことを言い出すはずがないのだ。
「私まで攻撃に加わるなんて誰も思わないわ。敵を撹乱できる!」
「だーめ。あんたの仕事は俺から離れないことだ。そして、三人揃って門を出る。任せとけって! 腕には自信があるんだ」
「そんなことは分かっているわよ。花嫁行列の輿が襲われた時、嫌と言うほど見ていたもの。でも、私のせいでこんな窮地に陥っているのに……」
私が俯くと、ラシードは思い出したように「そうだ!」と声を上げた。そして、懐に手を入れ何かを探し始めたので、私は嬉しくなった。
「どんな雑用でも構わないわ。何でもやらせて」
でも、私の期待はあっさり裏切られた。
仕事をもらえると思いきや、口の中に何か固いものを押し込まれたのだ。
「!?」
「さっき牢番からぶんどった塩炒りピスタチオだ。イルファハン産のはコクがあって美味いだろう?」
「お、美味しいけれど……」
「腹ごしらえをして体力を付けろ。腹が減ってちゃ全速力で逃げられないだろ。ほら、もう一個」
緊張のせいか、むしろ吐き気がする。一個で十分だ。
「……今は、食べたくないわ。お腹は空いているはずなのに欲しくない」
「そう言う時はこっちだ。あんたの特効薬」
そう言って差し出されたのは、旅の最中に私がよく食べていた干しナツメだった。
私は思わず目を丸くした。
「ラシード。どうして、これを……?」
「あんたのお気に入りだって聞いたから、買った……。悪いかよ。あーあ! まったく俺もいじらしいよな。こっぴどく振られた相手の好物を用意して、わざわざ迎えに行ってやるなんて!」
投げやりにそう言うと、ラシードは顔を背けた。一瞬だけチラッと見えた顔は、ナツメと同じく真っ赤だった。
「シュカ様、お水もありますよ」
「嬉しい。喉がカラカラだったの」
胸がいっぱいになった私は、ナツメをパクっと頬張った。人肌で保温されていたナツメはほんのり温かく、噛みしめるとスッキリとした甘さが広がった。
間違いなく、今までで一番美味しかったと思う。
「ふふ、美味しい」
「ふん、こんなもんただの気まぐれだからな」
「それでも嬉しいわ。どうもありがとう」
「……っ、も、もう行くぞ。続きは歩きながら食え。お嬢様は食うのが遅すぎるんだ、ぐずぐずしてたら夜が明けちまうぞ!」
ふてぶてしい口調でラシードは言い、くるりと背を向けた。
「あれは、ラシード様独特の照れ隠しですから」
「ふふっ、よーく存じております」
不思議ね。
さっきまであんなに怖かったのに、今はちっとも怖くない。
地上へ出たら宰相に捕まるかもしれない。
また拷問されるかもしれない。
そうして次の朝が来たら、予定通り処刑されるかもしれない。
でも、この先何が起ころうと、私はきっと幸せなままだろう。
あなたが塗り替えてくれたこの記憶がある限り、ずっと……。




