34話 あの日見た光
(ご機嫌よう、囚われの花嫁殿)
突然響いたその声に、私はハッとした。
え?
どこから!?
……あっ……ああ、そう言うことか。
私ったらいつの間にか眠ってしまったのね。おまけに、こんな都合のいい夢を見るなんて、極限状態なのに呑気なものだわ。
「おい、どこを見てる。何とか言えよ」
「……ふふ、それにしてもよくできた夢だわ。小憎らしい口調なんてそのままじゃないの」
「本物だっての。早く起きろ! 薄気味悪く笑うな!」
でも、少しだけ残念。すごく現実味のある夢だけれど、どうせなら優しい言葉を織り交ぜてほしいわ。
そんなことを考えながらも、私はふと気が付いた。
夢にしてはどうも様子がおかしい気がする。本当にすぐ近くで声が聞こえて、視線まで感じるのは一体どう言うわけだろう。
「……ッ!?」
地面にべったりと頬を付けて寝そべっていた私は、慌てて飛び起きた。
ああ、良かった。手も足もちゃんと動く……。
牢番と話をしていた時よりも体が自由に動かせたので、私は心から安堵した。でも、今はそれどころじゃない。
何故なら、
「よう。あんたはつくづく檻の中が好きなんだなぁ」
ここにいるはずのないラシードが、格子の外で悠々と座していたからだ。しかも、横柄な態度で腕を組み、面白くなさそうに眉を吊り上げている。
「……う、そ」
私は狼狽え、これでもかと言うくらい目を見開いた。殴られ過ぎて損傷した脳が、幻覚を見せているのかとも思った。
でも、この幻覚は信じられないほどリアルだ。
「ど……してここに……?」
牢番に聞こえないよう、私は声を殺して尋ねた。
なのにラシードは、私の意図などお構いなしで、「聞こえねえ!」と荒っぽく返してくる。
「しぃ、静かにしてちょうだいよ!」
「牢番なら二人ともそこでのびてる。どう頑張っても朝までは起きやしないから、普通に話せ」
の、のびているって何のこと? いいえ、それよりも……!
「本物なの?」
「見りゃ分かるだろ。試しに頬でもつねってみたらどうだ」
うう、想像するだけでゾッとする。今そんなことをしたら卒倒する自信があるわ!
私は急に痛み出した頬をさすながら、ラシードに尋ねる。
「ねえ、どうしてここにいるの?」
「あんたがペラペラと嘘ばっかり吐くから、制裁を加えに来たんだよ」
「わ、私がいつ嘘を吐いたって言うの!?」
「忘れたのか、この大嘘吐き。嫌いでもない俺に『ずっと憎んでた』だの『復讐してやる』だの、ごちゃごちゃ言ってただろうが!」
ラシードの口調はいよいよ厳しくなった。表情はこれまでにないほど険しく、眼光も刺すように鋭い。
私はすくみ上がって「あれは……」と呟いた。
「あれは……だって、仕方がないじゃない」
「仕方ない? へえ。どんな理由があって人の好意を溝に捨てたのか、是非お聞かせ願いたい!」
きつい言葉とは裏腹に、ラシードの瞳には心配の色が滲み出ていた。それに、格子を掴んだ手も微かに震えている。
私は力なく膝を付き、項垂れた。
精一杯の愛情を注いでくれたこの人を、深く深く傷付けてしまったのだと、今更思い知ったからだ。
私は、自分が発した言葉の重さを見誤っていた。
「さあ、レディ。何なりとどうぞ?」
「だ、だって……ああでも言わなきゃ、私……私……あなたの側を……」
濡れそぼった睫毛から、震える雫が止め処なく落ちていく。
「あなたへの想いが溢れて、自由になりたいと願ってしまったの。ルリアを犠牲にする勇気もないくせに、全部捨ててしまいたいって……。だからっ……嫌いだって言わなくちゃ、『勝手にしろ』って突き放されなくちゃ、あなたの側を離れられなかったの……!」
私は嗚咽を漏らし、みっともなくすすり泣いた。この期に及んで平静を装えるほど余裕がなかったのだ。
「……あーあ、この泣き虫が」
ラシードは慈しむように呟くと、格子の隙間から両腕を差し込んだ。そして、丁寧な手付きで私の肩を抱き込む。
ああ、この手は誰のものとも違うわ。
どんな毒にも侵されない、私を優しく包み込んでくれる手だ。
温かい光に満ちた、
ここは私の大切な場所……。
「その頬、宰相にやられたな?」
「……っ」
「そんなに腫れて……痛かっただろう。可哀相に。俺がもっと早く着いていたら、こんな目には遭わせなかったのに。ごめんな、シュカ」
私は涙の雫を飛ばしながら、大きく首を振った。
「今度こそ守らせてほしい。もう二度と、あんたを傷付けたりはしないから」
ごめんなさい。
小さな約束一つ守れなかった私が、言える立場じゃないことは分かっているの。
でも、弱い私は、この手だけは手離せない。
何を失くしても、この手を握りかえす我が儘を許して。
「……っふ、え……う、わあああッ……!!」




