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28話 籠の鳥

 

 イルファハンの都・グラナバードに到着し、お世話になったマダム・アレキサンドラの一行に別れを告げてから5日目のこと。

 地方視察から無事お帰りになった宰相に、私はやっと謁見を許可された。



 震える足を押さえ、恐る恐る訪れた宰相の邸は旧市街の一角にあった。

「王の政務を補佐するお役目なら、さぞや立派で荘厳な邸宅にお住まいなのだろう」と考えていたが、実際にはそうではなかった。


『噴水のある庭園の中にポツンと置かれた大きな箱』


 邸を見て、私が最初に抱いたのはそんな感想だった。

 でもこの箱は、外観こそすっきりとして飾り気がないけれど、中に一歩入ると印象がまるで違ったのだ。

 建物内の壁面の装飾はどうやって施したのか想像もつかないほど繊細で、幾何学模様をあしらった色鮮やかなステンドグラスやタイルが至る所にはめ込まれている。「万華鏡のようだわ」と、私は息を呑んだ。



 最初に通された広間で、二時間待った。

 場所を間違えたのかと不安になり始めた頃、しかめ面の女官が私を呼びに来たので、私はとにかくホッとした。


「ルリア・セラグラード様、こちらへどうぞ」


 女官は抑揚のない声でそれだけ言うと、中庭に面した長い回廊をぐんぐん進んでいった。

 でも、裾の長いドレスを着ている私はきびきび動けるはずもなく、徐々に上がってくる息を無理矢理抑え、かなり遅れて後に続いた。


「あ、あの、一つおうかがいしてもよろしいですか?」

「旦那様は騒音がお嫌いです。余計なお喋りは慎んでください」

「……は、はい」


 その言葉通り、邸の中はほとんど無音だった。

 更に、半円型のアーチとそれを支える細身の円柱が規則的に連なっているせいか、ずっと同じ所で足踏みをしているような妙な錯覚に陥る。


 ここはまるで迷路だ。

 どこへ行くのか、どこまで行くのか、何をしに行くのか。そんな簡単なことも分からず、不安を紛らわせようとして私は女官に度々質問をした。でも、この女官は極端に口数が少なく、何を尋ねても「私からは何も申し上げられません」の一点張りだ。


 だから私は、訳も分からずに、とりあえず後を付いて行くしかなかったのだった。






「さあ、着きましたよ」


 一際壮麗な細工のあるドアの前で、女官がぴたりと足を止めた。おそらくここが、宰相の居室なのだろう。


「ルリア様、ご準備はよろしゅうございますか?」


 私は唇を「へ」の字に折り曲げ、低く唸った。


 まったく、無茶苦茶を言ってくれるものだわ。全身汗びっしょりだし、息遣いが荒いのも分かるでしょうに。


 ああ、宰相もこんな風につっけんどんで取り付く島もないような人だったらどうしよう。政略結婚とは言え、人生の伴侶がそれじゃ悲しすぎるわ。どうか杞憂に終わりますように……。


「少し身支度の時間をください」


 私はゆっくりと深呼吸をしてから、丁寧な手付きでドレスの裾を直す。


 露店で購入したこのドレスは、値段の割に質の良いものだった。光沢のある薄い布地を何層にも重ねたデザインは愛らしく、華やかに見える。ペチコートでふんわりと広げれば大輪の花のようだ。

 宰相から贈られた花嫁衣裳に比べたら貧相で、縫製も甘いけれど、この状況を考えれば幸運としか言いようがない。


 癖っ毛をごまかすために固く結い上げた髪には、大きな薔薇のボンネットを付けた。これを選んだ理由は、イルファハンの国花が真っ赤な薔薇だからだ。嫁ぎ先の国に合わせたとなれば印象はいいはずだし、私の赤毛のカモフラージュにもなる。


 そして、自分で言うのもなんだけれど、お化粧もこれまでで一番の出来だ。

 獄中生活と長旅で荒れ果てた肌だと言うのに、化粧ノリは悪くなかった。それどころか、頑固なソバカスがあっと言う間に姿を消してしまったから驚きだ。


 私はきっと大丈夫。化粧筆を置いて鏡を見た瞬間、無意識に「ルリアだ」と呟いたくらいだもの。

 あとは、優雅に。上品に。女性らしく振舞うだけだわ。


「……ふふ」

「どうかなさいましたか?」

「いえ、何でもありません」


 皮肉なものね。

 あんなに鬱陶しかったばあやの教えが、こんな所で役に立つなんて。

 二度と会えなくなった今となっては、あの小言すら懐かしいと思うなんて……。


「お待たせしました。もう大丈夫です」

「そうですか。では……旦那様、ルリア様のお支度が整いましてございます」


 ドアの向こうにいるらしい主人に向かって、女官が恭しく言った。

 すると、少し間を置いてから、





「お入りなさい」


 威圧感のある声がした。


 失礼な表現かもしれないけれど、地鳴りのような重低音だわ。たった一言なのに、その重みで足がすくんでしまうぐらい。


 私は少し狼狽え、手を揉み絞った。





「ルリア様。では、どうぞ中へ」


 息を呑むほど美しい細工が施され、いかにも重たそうなドアが、侍従二人がかりで開かれていく。

 ごくりと唾を飲み、私は真っ直ぐに前を見つめる。




 さあ、シュカ。行きましょう。


 最初で最後の、一世一代の大舞台の幕開けよ……!


読んでくださってありがとうございました!

また、沢山のブックマークや評価をありがとうございます。完結までどうぞよろしくお願いします。

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