21話 これを愛と呼ぶのなら
俺達は、かれこれ25年来の付き合いだ。
スィナーンの家は由緒ある名門だが、先祖代々我が家の当主に仕えるのが慣例だった。両家の間でどんなやり取りがあったのかは知る由もないが、年少のスィナーンも例外ではなく、俺が生まれる以前から我が家に出仕していた。だから、俺にとっては頼れる臣下であり、親友であり、家族でもあった。
俺が親に逆らって郷里を出奔した時も、この村に流れ着いた時も、スィナーンは俺から片時も離れなかった。金が必要になり、俺が盗賊になることを決意した時も、真っ先に手を上げてくれた。
俺はもうずっとスィナーンに全幅の信頼を置いているし、村人や盗賊の他の手下達とは比べられないほどの絆もある。
……だからこそ、タチが悪いんだ。俺の性分を隅から隅まで知り尽くしているだけに、こう言う時の気まずさと言ったらない。
「この命令については他言無用だ。いいな?」
俺が一言そう言うなり、スィナーンは空気を切り替えた。俺の前にかしずき、「仰せのままに」と恭しく頭を下げる。
「……スィナーン、お前はシュカと行け」
「と、申しますと?」
スィナーンは俺の言葉を噛みしめ、訝しげな表情を浮かべた。
「都へ向かう隊商に事情を説明し、シュカを拾わせろ。うちとの取引実績があって、信頼のおける奴を選ぶんだぞ。あと、俺の差し金だと分かったらあいつは絶対に乗らないだろうから、決して悟られるなよ。あくまで影として守れ」
「シュカ様の御身に危険が及んだ場合は?」
「その場合のみ、戦闘に加わることを許可する。ただし……」
「いつも通り『女子供は殺すな』ですね。承知しました」
「道中はできる限り鷹を飛ばし、シュカの動向を逐一報告しろ。そして、都に着いた後は、密偵として宰相の邸に潜め。シュカが本懐を遂げられるよう見守ってやるんだ」
「はっ、拝命いたします。ですが……」
スィナーンは珍しく口籠った。
「シュカ様の望みは宰相に嫁ぐことでしょう?」
「そうだ」
「ならば、阻止するべきではないのですか? あなたはそんなにも強くシュカ様を想っていながら、何もなさらないおつもりですか? シュカ様が宰相の腕に抱かれ、ハレムの奥で短い生涯を終えれば満足なのですか?」
「……そんなわけ……ない。あるはずがない。だが」
(ねえ、私があなたに心を許したと本気で思ったの? 全てはあなたに復讐するためよ。最初からずっと、あなたが憎くて仕方がなかったのよ!!)
流石の俺も、アレには正直参った。
俺のしたことを思えば当然の結果だが、精一杯の想いを伝えて求婚した相手から聞かされれば凶器にも等しい。見た目よりずっと繊細な俺の胸を、見事にえぐってくれた。
だが、もっと参っていたのはシュカの方だ。
あの台詞を俺にぶつけた時、顔からは血の気が引いていた。涙こそ見せなかったが、微かに喘ぎ、息も絶え絶えだった。
何より、いつも真っ直ぐに俺を睨みつけていたシュカが、一度も俺の目を見ようとしなかった。
見なかったんじゃない、見られなかったんだ。
あれはシュカの本心じゃない。
あんな上っ面の言葉に騙されるほど、俺は愚鈍じゃない。
シュカの意図ももちろん分かっていて、俺を諦めさせるためにわざと憎まれ口を叩いたことくらい容易に見当がつく。まあ、迫真の演技だったし、多少は本音も混じっているんだろうが……。
だが俺は、引き留められなかった。
咄嗟に掴んだ腕の細さ。指が食い込んだ白い肌の、真っ赤な跡。あんなにも細く小柄な体で、必死になって姉を守ろうとするあいつの気持ちを汲まずにはいられなかった。
たとえそれが徒労に終わったとしても、想いを遂げさせてやりたいと……そう思ってしまった。
だから、シュカ。
納得するまでやればいい。
強情なあんたらしく、思う通りにやればいい。
俺はもう止めないし、亡骸くらいは拾ってやる。もちろん、あんたが最初に望んだ通り、手厚く弔ってやるさ。
「……旅装が整い次第、シュカ様の後を追いましょう」
俺の表情からすべてを察したらしいスィナーンが、口早に言った。
「ああ、気を付けろ。お前も知っての通り、あそこは魔物の棲み処だ」
「ええ、もちろんですとも。ハリド様は容赦のない方ですし、私も命は惜しいですから」
そう言って微笑むと、スィナーンは風のように走り去った。
しかし、坂を下る手前になって意味ありげに振り返り「ああそうだ、ラシード様!」と付け加える。
「先ほども申し上げましたが、寝酒はほどほどに。今夜は見事な満月ですから、酒よりも美しい月を愛でるのが風流かと。きっと今頃は、愛しいシュカ様も眺めていらっしゃるでしょう」
「なっ」
俺の反論を待たず、スィナーンは闇に紛れた。遠くで、あいつの高笑いが聞こえた気がした。
「……チッ、月見なんざしたくもねえよ」
シュカと言い、スィナーンと言い、何が「綺麗」だ。こんなもん、ただの丸じゃねえか。
空気も読まずに人の顔をピカピカ照らしやがって、馬鹿にしてんのかよ。
何の恨みもないはずの月が、今夜は憎く思えてならない。
見当はずれな言いがかりをつけてから、俺は崖に向かって足を投げ出した。そして、大の字になってごろんと寝そべる。
「ちくしょう、癪に障る奴ばかりだ」
……だけど、お前。絶対に陰るなよ。
もっと明るく煌めいて、シュカの足元を照らしてやれ。
きっと、不安で足元も覚束ないはずだから。




