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11話 この世でたった一人の

 

「おい、生きてるか?」


 ドスドスと喧しい足音を立てて格子の前にやって来たかと思えば、静かに眠っていた私を叩き起こし、男が言った。

 私の身を案じているのか、それなりに神妙な顔をしているものの、はっきり言って迷惑行為でしかない。


「なあ。おい、本当に変な病じゃないんだろうな?」


 ついさっきまで「見立て違いはないだろうな」「誤診断なら命がないと思え」と、散々お医者様を脅していたくせに……。

 一体どれだけ疑えば気がすむのかしら。


 仕方なく寝返りを打ち、うんざりした調子で私は答える。


「こんなのただの貧血よ。すぐに良くなるわ」

「ならいいが……馬鹿が、意地を張るからだ。毒なんか入れてねえってのに、人を疑りやがって。しっかり寝て、しっかり食ってりゃ病になんかならなかったんだぞ」


 私はぴくりと眉を上げた。


「……あなたね、一度言おうと思っていたのよ。もとはと言えば、あなたが強盗なんかするから悪いんじゃないの。毎度毎度他人事みたいに」

「そ、それはこっちにも事情があんだよ!」


 その一言に、私は更に眉を吊り上げる。


 事情があれば、さらった人間を奴隷市場に売っていいと思うの?


「その事情とやらをこの場で説明できないのなら、反論は棄却します。あと、すぐに怒鳴るところも印象はよくないわ。疑われたくないのなら、野蛮な振る舞いを金輪際やめることね」

「あーーーー、可愛げがねえな! あんたは!」


 何よ。その可愛くない女を、あなたは後生大事に囲い込んでいるじゃないの。


「……まあ。確かに、ね」

「ああ?」

「確かに、可愛げがないのは否定しないわ。でも、怠けていたわけではなくて、ルリアの真似をしてすごく努力したのよ。結局、どんなに頑張ってもお淑やかなレディにはなれなかったけれど……。自分を卑下するのにはもううんざり。私くらいは、私を肯定してあげたいわ」

「……なあ、あんた。名前は何て言うんだ? 他意はないから教えてくれ。呼びにくくて仕方ないんだ」



 『名前を呼ぶ』


 それはきっと、一番簡単な思いやりだわ。

 傍若無人で不遜なあなたから、そんな言葉が出ると思わなかった。


 いいわ、教えてあげる。


 “じゃない方”の私の名前はね……



「……シュカ。シュカ・セラグラードよ。ラシード」


 必死で堪えていたようだけれど、ラシードの口の端がぴくりと持ち上がったのを、私は見逃さない。

 私が俯いてふっと笑うと、今度は驚いたように笑い返してきて、それも意外だった。


「それじゃ、シュカ。ずっと聞こうと思ってたんだが」

「ええ、何?」





「あんた、初めて会った時と顔が違うぞ」



 ……!?



「……っう、ごほっ……うあ、あの……」


 完全に油断していた。


 予想だにしなかったラシードの言葉を聞くなり、私は思いきり咽てしまった。心拍数が急増して、動悸すらしてくる。


 それはそうよね、投獄されてから随分経つんだもの。鏡がないから忘れていたけれど、お化粧が落ちていて当然だわ。


 私が言い難そうにもごもごと口籠ると、気の毒そうに眉をしかめたラシードが言葉を引き取った。


「まあ、俺は別に気にならねえが。むしろこっちの方が断然いいしな」


 え?

 ……気に、ならない?


「むしろ、こっちが……こっちがいい?」

「ああ。精一杯努力してるとこ悪いんだが、化粧が厚い女は好みじゃない。得体のしれない薬をベタベタ塗りたくって汚いし、化けすぎて元の顔が分からねえ。そんなもん、男からすりゃ恐怖以外の何でもない。それに、着飾ってる奴らは、香水だの薔薇風呂だのってなんか臭いしな」


 私はますます驚いた。返事どころか瞬きも忘れ、真っ直ぐにラシードの瞳を見つめていた。

 するとラシードは、私が怒っていると勘違いしたらしく、早口で付け加える。


「おい、気を悪くすんな。あんた限定の話じゃない」

「え、ええ……」

「それよか、そのソバカスな。うちの村の農家のおばちゃん連中とお揃いだ。親しみやすくていいじゃねえか。何だ、その……あー、素朴で……なんか可愛いし」

「………」

「何だよ、その間は。何か言えよ」

「…………ふふ……っ、あはは!」

「ああ?」

「あはは、あなたって本当に変ね! そんな風に褒めてもらったのは初めてよ」


 私は歯を見せて笑い、目尻に溜まった涙をぐいと拭った。


 貴族の社交場でこんなことをしようものなら、次の日の朝には醜聞が立つわ。「あの令嬢はがさつで品性の欠片もない」って。そして、これまで以上に遠巻きにされるのよ。

 でもここは、暗くて冷たい牢屋の中だわ。堅苦しい社交界の常識なんて、こんな地の果てではどうでもいいことよ。


 困惑しきったラシードが目を丸くするのを無視して、私は生まれて初めて「ああ、おかしい!」と笑い転げたのだった。


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