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つむろぐふたごのものがたり  作者: 燈真
第六章 兄と家族と院と歌人、その再会
66/73

6-11

 院から俺の世話をするように頼まれた定家、いや双子の父親は、わざとらしいまでに大きなため息を一つついた。

「院よ。私は別に、子守でも何でもない、しがない歌人です。しかもうちの家族も決して少なくない。に対して私の身分は高くない。どころか結構ギリギリで家内からはいつもジトッとした目で見られる始末。そこに院から預かってきたと育ちざかり食べ盛りの男子を連れて行ったらどうなると思いますか。家叩き出されますよ」

 あまりに素気ない言い方もさることながら語られた御宅事情に、思わずこちらが申し訳ないと頭を下げてしまいそうになる。だが肝心の院はどこ吹く風だ。

「だったら前のように、俺の呼び出しに毎度毎度顔を出して歌を詠めば良いだろうが。物忌みだの方違えだの何だのって最近付き合い悪ぃの、絶対わざとだろ」

「同じことをつい先刻、ご子息に言われましたよ。生活が懸かっているのだからわざとなわけないでしょう」

 投げ込まれる爆弾を顔色一つ変えずにどかしてしまうおじさんに感動すら覚える。どんだけ腹が据わっているんだろうこの人。

「それで?」

 不意に矛先がこちらを向いた。正しくは、俺の隣の佳乃に。

「佳乃はそれで良いのかい?」

 優しい声だった。気遣うような声だった。けれど、佳乃には定家の声にしか聞こえていないはずだ。こんなに近くに見守ってくれている人がいたことに、佳乃は全く気付かない。

「……テーカが、良いなら」

 俯いたまま、蚊の鳴くような声で、佳乃が答える。おじさんの眉が、ひくりと動いた。

「佳乃、顔をあげてこっちを見なさい」

 少しだけ強めた語調に反応して、恐る恐る顔をあげる。その佳乃を逃がすまいと、おじさんも体の向きを変え、佳乃と対面した。

「“私”が良いかどうかではないだろう。迎えに来てくれた慧一君を、佳乃はどうしたいのか聞いているんだ。本当に、彼をここに留めてしまって良いのかい?」

 佳乃は何も答えない。膝の上で握られた拳が小さく震えているだけだ。そっと手を伸ばして触れると肩が跳ねて、驚いたような怯えたような表情が向けられた。振りほどかれないことを良いことに、掌で拳を包み込んだ。その様子を見ていたおじさんが、ゆっくりと頷く。

「佳乃、もう、良いんじゃないか」

「……え?」

「……何?」

 それは、佳乃にとってあまりに意外な言葉だった。無論、院にとっても。

「慧一君がここまで覚悟をもって来てくれたんだ。孝己だって、今日まで必死に戦ってきた。皆、佳乃が帰ってくるのを待ってる。もう、帰っても、良いんじゃないか」

「な、なんでテーカがそんなこと……」

 動揺する佳乃を前に悟る。あぁ、この瞬間、おじさんは定家を辞めたんだ。もうばれても良いと、思っているんだ。

 衣が擦れる音がした。つかつかと院がやってきて、おじさんの胸倉を掴み上げる。苛立ちに染まった目が、彼を射抜いていた。

「どうもおかしいと思っていたんだ。お前、本当に、テイカか?」

「違うに決まっておろう」

 声は、後ろからした。障子を開け放ったところで仁王立ちしているのは、紛れもなく藤原定家。直後打撃音と共に隣で佳乃の悲鳴が上がった。振り返ると、苦しそうに胸元を押さえるおじさんを、佳乃が愕然として抱えていた。大きく見開いた瞳から、涙がぼたぼたと零れていく。

「お、お父さん!? なんで、なんで、そんな、いつから!」

「……ニ年前からだよ。佳乃がこっちにが来た時に、おじさんは何か取り返しのつかないことがあってはいけないからって、定家に成り代わってずっとそばにいたんだ」

 “つむろぎ”ではなく一般人のおじさん。まさか、護り葉さえ持っていなかったなんて。それこそ、どれだけの覚悟で三カ月間この地にいたのか。定家を演じながら、どんな気持ちで佳乃を見守ってきたのか。

 ゆっくりと伸ばされたおじさんの大きな手に、佳乃の小さな手が恐る恐る触れる。探り当てたかのように確かに握られたその手に同じだけの力を返すこともできず、彼女はただただ与えられる温もりを呆然と、受け止めていた。


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