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一方、どうやらおじさんを蹴り倒して定家の前にやってきたらしい院は、そこで立ち止まっていた。見れば隣から伸びた孝己の手が、これ以上は近づかせまいと彼らの間に置かれていた。俺が見ているのに気付くと、少しだけ目元が和らぐ。きっと俺だって同じ顔をしているに違いない。無事で、良かった。
後鳥羽院はそんな孝己を一瞥して、それでもあえて定家に尋ねた。
「おいテイカ、このガキどもはお前の差し金か」
「そのようなわけがなかろう。むしろ我も散々こやつらに利用された側と言える」
「ならば、切り捨てても問題ねぇな」
「それも叶わぬことと申し上げる。彼らには危害一つ加えることはできぬ」
「面倒なもんだな。……おい小僧。何しに来た」
鋭い眼光を向けられた孝己は、しかし怯まない。表情を険しくしたまま、真正面から彼の視線を受けた。
「当然、そこにいる姉を迎えにきた」
「てことはてめぇが双子の弟か。わりぃな、まだ返してやれねぇ」
後鳥羽院の体がゆるりと動いて、孝己の姿を隠した。ということは、孝己からもこちらの姿は見えなくなったということで。少しだけ、心許ない。
「ここ三ヶ月くらいテイカの様子がおかしいと思っていたら赤の他人が成りすましてた。腹立たしいったらねぇが、こうしてテイカが帰ってきたんならこの際どうでも良い。あとは、俺が一番欲しいもんをあいつを使って取り戻すまでだ」
肩越しに振り返った院の目が確かに佳乃をとらえる。咄嗟に体が前に出た。佳乃とおじさんを隠すように、両腕をわずかに左右に伸ばして、中腰になったまま院に相対する。鼻を鳴らした院は再び正面を向くと、今度は定家に問いかけた。
「で? 帰ってきたんだ。当然、こっち側に来るんだろう? 前みたいに歌を詠んで、俺の歌を評価して、俺に文句たれて、そうやって、仕え続けるんだろう?」
傲岸不遜の上から目線。しかしどこか懇願めいたその問いかけを、定家は沈黙をもって受け止めていた。表情が見えないだけにもどかしい。もしここで定家が頷いてしまったら、俺たちはどうなるのだろう。歪みがさらに進んで、到底正しきれない代物になったら、本当に、今度こそ、帰れなくなるんだろうか。
「……お断り申し上げる」
それは、血を吐くような宣言だった。言葉の端々に苦渋の色が見て取れるような、本当にそれで良いのか何度も確かめたような、一つ大きなものを諦めたような、そんな声音だった。
「……テイカ。今なら聞こえなかったことにしてやる」
「我は、院とは共に歩けぬ。……そう、申し上げたのだ」
先ほどより震える、感情を押し殺したような声が、間髪入れずに返ってくる。
「何故だ! 貴様ら、テイカに何をした!」
ぎゅるん、と音を立てて振り返ったその般若のような表情に、背後にいる佳乃がひ、と息を呑む音が聞こえた。自分の息だって一瞬詰まった。ただ一言、定家の声が間に割って入る。
「何も、しておらぬ」
「……何?」
定家が体の位置をずらしたのか、こちらを見つめる目と目が合った。少しだけ目尻を下げたその表情は、今までの定家からは予想もつかないくらい穏やかで、意表をつかれる。
「こやつらは、ただ、我の本来の誇りと意地の方向性を、示したまで。……多少、強引ではあったがな」
なあ、院よ。静かに語りかける定家に、皆が注目していた。
「我は、堂々と歌が詠めれば良いのだ。歌界の質を高めて歌の素晴らしさを世に、後世まで伝え広めていくことが我が使命と心得ておる。だが、院は、そうはお思いではあるまい。かつての院は歌に親しみ、歌に思いを寄せ、我と喧々諤々に論を重ねながら歌の世をお歩きになった。だが今の院は、憑りつかれたかのように我に縋り、政に縋り、……亡き尾張様に縋っておられる。院よ、先ほど、これからも院の御歌を評価するのだろうとおっしゃったが、この三カ月間……我にとってのニ年間、何度、『これぞ』という歌をお読みになった」
答えはなかった。代わりに沈黙がおりる。ぽつり、と、声が零れ落ちた。




