7巡目
その日の夕方、体調を戻したのか太一からしつこいぐらいに謝罪の文章が載せられた
昨日はゴメンというメールが届きその詫びと称して太一の奢りで2人で食事に出かける事になった。
当然アルコールは抜き。時間を見計らい色々物を見るのも兼ねて出掛けた
デパートのフードコートで食事をする。昨日の今日だというのに食べたくなったからという理由で
ボリュームのある物の代名詞と言っても過言ではないカツ丼を注文した。
駿二もとっくに調子を取り戻しておりそろそろ腹が膨らむ物を食べたいと思っていた所なので
便乗させてもらう。注文が届くまでの間の会話は自然と昨日の事になった。
「昨日は本当にゴメンな。俺のワガママでとんでもない目に遭わせちゃって」
「いいってそれはもう。俺だって酒でも飲んで忘れたいと思っていたから」
それは偽りのない言葉だった。昨日の大会での一連の出来事は駿二の心に深い怒りと理不尽さを
植えつけた。脱落を遂げた者の思っていた以上に惨めな姿にも、それを喜んだ周囲の人間にも、
それがこの街の現実だという事にも、全てに対してやりきれない気持ちで一杯だった。
なまじ現実を受け入れて生活してものだったからショックがより一層大きかったのだ。
いっそ何も知らなかった方が幸せだった。昨日1日で何度後悔した事だったろうか。
そして逃避と呼べるかすら怪しい酒という手段に頼り、挙句醜態を晒してしまった。
太一と蓮には、特に蓮に対しては申し訳ないと思う。それとなくその事を言ってみる。
「ああ、蓮の事か?それなら気にしなくていいと思うぞ?態度はああだったけど、
別に気にしてはいないと思う。俺の友達結構酒でやらかす奴多いし、あいつ自身も『もう慣れた』
って言ってるからなあ」
そう言って太一は明るく笑った。その後も太一の友人語りは続く。明るい者、物静かな者、
話の面白い者、多くの人間が自分の元を訪れ、その全てをこれからも大切にしていくという。
その輪の中に今度は駿二を加えるとも。いきなりそんな事を面と向かって言われては
相当に恥ずかしい思いがある。そもそも昨日の今日で仲間を大切にしていきたい、と臆面もなく
言えてしまう太一の根性に驚いた。いずれはその友人達、そして自分と対峙する日が来る。
駿二はそれを口にした。少々の意地悪と皮肉を込めて。返ってきた太一の答えは意外な物だった。
「ああ、俺は仲間と戦うつもりなんて更々ないぞ?みんないい奴なのに、どうしてそんな事
しなきゃなんねーのよ。時々金賭けてとかならともかく、命脅かすマネなんて死んでもお断りだ!」
そう言った太一の目はとても真剣だった。しかし、それと半比例するかのように駿二の気持ちが
冷えてきていた。それが出来れば苦労はしない。この男は現実が見えていないとすら思った。
誰かを潰さなければ、自分の命が危うくなるこの街でその考えであり続けるのははっきり言って
馬鹿以外の何者でもないと思った。太一には悪いが、これから彼との付き合いは程々にしていこう。
彼と深く関わりすぎると、いずれはこちら側に危害が及ぶかもしれないと考えた。
口には出さなかったが表情にははっきりと出した。ほんの少し軽蔑するような哀れむ目。
ここで自分の思いを少々言葉を選んで伝えておくべきだと思った。
「俺は死神だぞ。そんな人間と関わって、仲間に危害が及ぶとか考えないのか?」
太一と距離を置きたいがために放った言葉だったが、彼を気遣っての思いもその言葉にはあった。
太一はキョトンとした顔で駿二を見つめていた。水の入ったコップを手に持ったままだったので、
その姿はより一層間抜けだった。太一は数秒言葉を探すように虚空を眺めていたがすぐに
駿二に向き直った。
「死神とかそんな事関係ねーよ。てか俺と駿二はもう友達だと思ってるし。でも、死神だろうが悪魔
だろうが俺の仲間傷つけるようなら全力で相手させてもらうけどな」
そう言って指の関節を鳴らす、喧嘩などの前によく行うポーズを太一は取った。
自分の仲間を傷つける者への宣戦布告と取ればいいのか。それを見て、駿二は自分の心の中に
不思議な闘争心が湧き上がるのを感じた。その言葉がどこまで本気なのかを確かめてみたい。
仲間を守ると宣言した男と立ちふさがる人間全てを殺すつもりで戦っている死神。
その死神ですら友達と宣言した男の思いの強さを知りたくなったのだ。
「今度、戦ってみるか?」
「いいぞ。俺も死神の実力、直に拝みたいと思っていたからな。明日にでも蓮ともう1人友達呼ぶ
から、そのメンツでやろうか」
その言葉を聞いた駿二の頭に浮かんだのは自分たちを介抱してくれた男。そういえば彼の麻雀に
関しての話は一切聞いていない。だが、駿二の思いは1つだった。誰であろうと全力を持って潰す。
知らぬ者と戦うという緊張感も、それに伴う喜びも、駿二の中にはなかった。
そんな事を考えているうちに注文の品が届いた。揚げたての肉とバランス良く配置された
それぞれの具材の匂いに腹の虫が鳴った。無心に食事を続けるうちに先ほどまでの気持ちは
不思議と和らいでいった。ちょっとした日常のワンシーンの中で死神がその面を脱いだ瞬間だった。
翌日、その言葉は実現した。太一の部屋に呼び出され出向いてみるとそこには蓮の姿があった。
蓮はソファーに座り雑誌を読んでいる。家主の太一は駿二の飲み物を淹れると言って台所に行った。
蓮の冷たい目が駿二を刺す。その目にどことない強い攻撃性を感じ駿二の背中が伸びた。
何か話でもすればいいだろうか。ガラにもなくそんな事を考えた。真っ先に浮かんだのは、
昨日の出来事。礼を言うのも兼ねて駿二の方から口を開いた。
「昨日は、色々とお世話になりました」
「ああ、気にしなくていいよ。あれぐらいならしょっちゅうだ。流石に190cmの人運んだのは
初めての経験だけどな」
読んでいる雑誌から視線を逸らし、駿二に目を合わせて蓮が言った。体格だけなら駿二の方が
圧倒的に上なのにその気配に不思議と威圧感を感じてしまう。
「今日は、よろしくお願いします」
「こちらこそ。太一から全力で戦うように言われているのでその辺覚悟しておくように」
全力。こちらもハナからそのつもりだ。渋沢太一とその取り巻き。その実力はいかほどなのか。
ここにきて、緊張感が増してきた。握りこぶしに力が入る。その瞬間、太一が戻ってきた。
「蓮、あまりプレッシャーかけるな」
「俺は何もしてないぞ」
太一は苦笑いを浮かべ、ジュースの入ったコップを駿二に差し出した。それから5秒と掛からず
部屋のチャイムが鳴った。
「まあ蓮のこれはいつもの事だから、あまり気にしないでくれ。あっ、俺出てくる」
「おい」
蓮の抗議の声を背に駿二は玄関に向かっていった。すぐに「お邪魔しまーす」の声。足音が
重なって近づいてくる。太一を伴い入ってきた男は駿二に負けず劣らずの大男だった。
「この人が、言ってた死神さん?」
「そっ。黒瀬駿二」
大男はその体型に似合わない少し間延びした穏やかな声で太一に話しかけた。
死神さんという不思議な呼称にどことない違和感を覚える。
「今日は、よろしくお願いします」
「お願いします」
大男2人が頭を下げる少しシュールな光景。それを見届けた太一が全自動卓の電源を入れた。
「駿二、こいつは川口悟。結構強い奴だから、気をつけろよ」
「俺そんなに強くないよ。死神さんって、確かトビ率75パーだっけか。牌譜見たけど怖いね。
このメンバーなら俺なんてすぐ飛ばされるわ」
「まあ、やってみれば分かるっしょ」
会話もそこそこに場決めをする。結果駿二は南家となった。向かいに座るのは太一、
上家が蓮で下家が悟という席順。蓮を中心に牌を取り始める。ドラ表示牌は北。
蓮を警戒するべきだと駿二は考えた。
「決めてなかったけど、レートは?」
「点5でいいだろ。こんなもん練習試合だ」
「俺はいいけど、みんな無茶厳禁って事で。2人とも今日いくら持ってきてる?駿二は隣だから
ともかく、俺悟と蓮心配だわ」
レート。街の全ての試合が監視カメラに覗かれているこの街ではその言葉は重要な意味を持つ。
支払い云々でのトラブル防止をメインに掲げたそのシステムは東亜の街を支配する。
ワーキングプアの年収分の金を半荘1回でやり取りする人間達が毎日のように巻き起こす
騒ぎを沈静化させるシステムがこれだった。カメラの判定は絶対。それがこの街の掟。
牌譜の記録とイカサマ防止を兼ねたこのシステム、ネット中心で麻雀をする駿二は今のところ
世話になった事は1度もないがいつかはそんな日が来るのかと考える。そうこうしている内に
駿二の手は動き出す。
「リーチ」
駿二の手牌は9索の暗刻、同じく678の索子に1から7の萬子が1枚ずつだった。
1、4、7のマンズを待つノベタン3面張。リーチ以外に役がない少々強引な手ではあったが
場の全員にテンパイ気配がない事とまだ序盤の6巡目だという理由でリスクを承知でゴリ押し
させてもらった。
「死神が、動き出したのかな」
「いやいや、まだ早いっしょ。この人の牌譜、大沈みした所をトドメってパターンが多かった」
悟の言う通りだった。駿二が死神と呼ばれる所以、それは試合が進み点差が出てきた所で
最下位を狙い撃ちしトバすというスタイルから来ている。先に動くという事は基本せず
誰かが沈むのを待つ。少しでも沈む傾向が見えればいよいよ死神の出番。
点を取り戻そうと動き出すその人物をターゲットに更に点数を巻き上げ死の淵へと追いやり、
ひとしきり沈ませた所をトドメの一撃。それが実に全半荘の3/4で起きるのは我ながら
不思議でならなかったがそれは自分が生き残るために授けられた力だと割り切らせてもらう。
誰かが飛べば自分が上位になる確率も上がるのだ。それがこの街でどんなに大切な事なのかは
身を持って証明出来る。
一発で振り込みとか勘弁だと言わんばかりに全員が現物を切った。合せ打ちのしやすい駿二の河。
それを悟ったのかその後も3人全員が確実にオリていった。
結果は当然流局して 駿二の1人テンパイ。それぞれから点棒を受け取り次の局の準備を始めた。
「全員、手堅いんだな」
「まあ、今回は合わせやすい形だったからね」
「リーチのみで裏乗ってもそれほどでもないな。振り込んでも問題なかったかも」
それぞれの感想を言う太一と蓮。試合は局が進んで駿二の親番となった。2度の鳴きを挟んだ8巡目、
また駿二が動き出す。高めで三色の両面待ち。ドラを頭にし点数も申し分ない手だ。
その手はあっさりツモ和了。ハネ満に化けたその手を全員が驚くような目で見つめている。
「敵ながらお見事です」
若干皮肉のこもった悟の声。中身が増えた点棒入れを蓋を開いて覗き込む。これだけになれば
普通の考えでは十分ではあろう。しかし駿二に限ってはそれで歩みを止めるようなタマではない。
次に直撃を取れば点数によってはいよいよトビが見えてくる。周囲もそれに言及し始めていた。
「誰か、飛ぶのかな」
「まあどうなるかは分からんけどね」
「結構アンタ強いんだな。死神の名は伊達じゃないってか?」
蓮のその言葉に駿二の口元がわずかに笑みの形に歪んだ。真意は分からないが、形はどうあれ
賞賛の言葉を受け取るのは純粋に嬉しかった。3人の顔を見てみると悟がやや気弱な表情に
なっているぐらいで蓮に至っては余裕の笑みを浮かべている。隠し技でも持っているのか、
それともまだ序盤のこの段階だ、逆転は可能だと考えているのか。
死神はそこまで甘くはない。過去の記憶を辿った限りでは、いわゆる波に乗るという段階には
十分達している。46300点を持つ1人と17900点でそれを追う3人。このままパーフェクトゲームの
達成も見えていた。
100点棒を更に1本出し2本場の合図。これがどこまで増えるかによって全てが決まると言っても
過言ではなかった。
6巡目、場に不穏な空気が流れ始める。悟どころか太一ですら渋い顔で蓮の方ばかりを眺めていた。
駿二も訝しげに蓮の捨て牌を眺め、その挙動を見守った。
蓮の捨て牌は最初の赤ドラに始まり2枚目と4枚目の白。その間には6索が挟まれ今度は1萬を切った。
訳が分からなかった。突っ込みどころしか見当たらないその手に駿二は困惑するしかない。
対する蓮は涼しい顔をしている。動きがないのが不気味だった。
そうこうしているうちに7巡目に駿二がテンパイ。2索と4萬の暗刻、2~4のピンズでイーペーコー
が構成された形だ。頭が赤の5索で決して悪くはない手に育っている。
これだけ早い順目でこの手。流れという物が存在するなら今それは間違いなく駿二の物であった。
オカルトを過信するのは経験上よくないと分かっているが今はそれにすがるしかない状況でもある。
蓮の河は警戒対象以外の何者でもないが唐突にベタオリするのも抵抗がありとりあえず攻めて見る。不要牌の8索を切った。
次の瞬間には「ロン」という声。嫌な予感が妄想となって膨らみ鼓動の速度が上がる。
声の主は蓮だった。妖艶とも醜悪とも取れる笑みを駿二に向け手牌を倒す。
蓮を除く全員の顔が凍りついた。




