6巡目
地雷を踏んでしまったのかと思った。試合以外では滅多に見せない太一の真剣な表情と、
その場に流れた明らかに尋常ではない空気。塔や死神のカードよろしくこれから良くない事が
起きる暗示ではないのかと錯覚する程に凍りついた空間がそこには存在していた。
「ご冗談を。死神とかそんなタマではないでしょう」
それだけの言葉を発するだけで、多大なエネルギーを使ったような気がした。呼吸が苦しく、
何か考える事がとても苦痛になり始めた。渋沢太一という人間の闇からようやく解放されると
思った矢先にこの仕打ち。運命の神という物がいるのなら、そろそろ憎しみを向けてもいいはずだ。
太一は歩のそんな気持ちなど全く理解していないのか1人で勝手に喋り始めた。
「誰かを倒さなければ、この街では生き残る事が出来ないという事、最近ようやく知ったんです」
歩の目が点になった。いきなりそんな何かの雑誌かニュース番組のインタビュー紛いの発言を
されても対応に困る。彼の闇は歩の想像以上に深く、理解不能な世界にあるようだった。
不本意だが、もう少しこの時間は続きそうだ。だが、彼の真意を知る事が自分の将来の為になる。
歩の勘がそう告げたのも事実だ。話の流れによっては今後の彼への対応や直接対決した時の
スタイルの変更も視野に入れるべきだった。まずはとにかく話を進めようと思い、歩は口を開いた。
「それはどういう事っすか?」
「恥ずかしながら、この街での人の死に触れたのは最近の出来事なんです。人の死なんて見たのも
初めてで、それがショックでショックで色々な人間に迷惑をかけてしまったんですよ。
自分の友達や仲間にそれが降りかかったら、って言うのを考えて、それで勝手に自爆しただけ
なんですけどね」
その太一の言葉には、少し驚いた。渋沢太一という人間はおおよそ隙などどこにも見当たらない
完璧超人を体現したような存在だと思っていただけに彼が他人に迷惑をかけたという事に
少し興味を持ち始めていた。話を聞いてみたいと思った。
「いやいや、俺も誰かが死ぬのは何度か見た事がありますけど、あれ見てショックを受けるとか
友達にそれが降りかかるとか考えるのは当然の事っすよ。この街で生きている以上、いつか必ず
経験しなきゃいけない事なんで」
本心を隠し、まずは当たり障りのない返事。。完璧超人を地でいく太一の失敗とやらは個人的に
大いに興味があったがそれは今知る必要のない情報だ。いつかまた彼と気兼ねのない
仲にでもなった時に聞こうではないか。その時がいつになるのかは分からなかったが。
「お友達を、守りたいと思ったんすか?」
「ええ。自分を慕ってくれている奴らを、自分の出来る事でいつまでも守るって事をしてみたくて。
それが彼らに出来る、最高の恩返しかなと」
言っている事は納得できた。誰かの死を悲しみ、自分を慕ってくれている人間達にそれが
降りかからないよう自分の力で最大限守り抜く。それは人間として当たり前の感情だ。
仲間達の中心に立ち、リーダーとして活動する人間がそうして動いているというのは組織にとって
非常に喜ばしい事であろう。しかし、東亜の現実はそれを許さない事を知ったようだった。
「いつまでもそれが出来る程、この街は甘くないっすよね」
「ええ。それは僕も分かっています。仲間の前では『いつまでも守る!』とかカッコつけて
いるんですけど、この街のシステム上、それはほぼ不可能なんですよね」
東亜の街のシステム。脱落した人間は放置され、肉体も魂もどうなったのか分からないまま存在
だけが人々の記憶に残る。それが日々、人が1人も増える事なく繰り返されるという異常な
システムがこの街の全てだった。いつまでそれが続くのか、それは誰にも分からない。
最後の1人が決まるまでなのか、そもそも基本4人で戦う事が大前提の麻雀という競技がこの街を
支配している以上、4人が決まるまでなのか。東亜に生きていれば誰しもが抱く疑問を改めて抱く
事になった。
「自分が生き残ろうとか、そんな事を考えた事はないんですか?」
若干深い場所に踏み込んだ歩の疑問に太一は小さく首を振った。その表情が若干悲しげに
歪んでいる事に気づく。踏み込えてはいけないラインを踏み越えたと思い、慌ててフォローしたが
太一は「別に気にしないでいいですよ」とすぐに笑った。
「それはないですね。他の人達がみんな脱落したら、いつかは自分と仲間を秤にかけなければ
いけないのでしょうけど、そうなったら仲間を生き残らせます。あいつらには、生きていて
欲しいんで」
そう言い切った太一は今までに感じた事のない不思議な雰囲気に包まれていた。強さ、優しさ、
仲間を想う心、戦う意思、その全てが複雑に絡み合い渋沢太一という人間をより素晴らしい人間で
あるかのように思わせる。しかし、その雰囲気の向こう側には、それ以上に強い攻撃性が
隠れていると歩は感じていた。ありふれた言葉で例えるなら邪魔する者は皆殺し。
そう言っているようにも聞こえ、また解釈出来る言葉。邪推であろうが、時が訪れれば太一は
それをやりかねない人間だと思った。
実力を持ち仲間を従える完璧なリーダー。組織に属している人間なら、これほどまでに心強い
存在はいないだろう。だが、その実力が刃となり他の者に向かった時の脅威は他の人間からすれば
たまったものではない。なまじ実力を知っている人間だけに最悪の事態が容易に想像出来てしまう。
「お仲間を生き残らせるために、自分が矢面に立って戦っていくって事っすか?」
「ええ。きっとその過程で自分が直接誰かを手に掛けちゃう事もあると思うんです。でも、
その結果として仲間を守れれば自分にとっては嬉しい事なんですよ。仲間が死ぬのも殺しを
させるのも、僕はさせたくないんで」
その言葉には、確かな力があった。
「それが、死神という答えに行き着くんすね」
「ええ。そのためには、いつかは自分が人を直接手に掛けなければいけないんです。
それがいつになるのかは分かりませんが、生きている限り、その日はいつか来るんでしょう」
ようやく納得が行った。全ては仲間を守るため、修羅の道を踏みしめ生きていくという一人の男の
決意だった。誰かを守りたい。少しでも長く仲間と共に過ごしたい。全てがその終着点へと
繋がっていたのだ。太一が発する異常な攻撃性も、その気持ちが変な方向に向かってしまった
と考えれば合点が行く。歩のような赤の他人からすれば迷惑極まりない話ではあるが、
気持ちは決して分からないわけではなかった。しかし、そうと分かればなおの事彼がここまで
仲間という存在に執着する理由が気になった。戦う理由を知った今、彼を恐れる理由はない。
多少深みに踏み込んでも問題はないと歩は踏んだ。そうして彼の更なる真意を知り、今日の所は
解散。後は自分に矛先が向かないように彼と戦う事をなるべく避け、
近すぎず遠すぎずの程々の関係を維持していけば、彼はこれからもなお自分の知らない所で
完璧なリーダーでありつづけるであろう。戦いに敗れたいくつかの屍と引き換えに。
「そこまで仲間に執着するって、何か理由があるんすか?」
歩の選んだ執着という言葉に太一が反応した。
「執着って…。そんな風に見えてしまいますかね。まあ理由なんてないですよ。気がついたら
そういう風に考えていたってだけで。自分を慕ってくれる人の力になれるなら、リーダーという
立場なんて全然苦痛じゃありませんよ」
「そんなもんすかね」と思わず苦笑いが漏れる。同時に大いに納得が行く理由でもあった。
この人は生まれ持ってのリーダー気質だと歩は思った。上に立つという事を苦痛に思わず、
慕ってもらっているというそれだけの理由で何の抵抗もなく人を導くという立場に立つ事の出来る
彼は、慕われて当然の人間だと思う。しかし、それは同時に形だけで祭り上げられた
リーダーより質の悪い人間であると歩は考えた。それはリーダーが道を誤った時に歯止めを効かせる
人間のいない組織の典型的なケースだった。全てがリーダーの一存で決まり、その指示で
下の人間が何の抵抗もなく非人道的な行為に及ぶ事も珍しくはない。いわゆるブラック企業が
それにあたる。時が来れば仲間以外にも牙を向けるかもしれないと太一は言っていた。
彼ほどの実力があれば、いや、彼ほどの実力があるからこそそれは歩いてはいけない道なのだ。
仲間以外の全てを傷つけるだけで済むならまだマシな方であろう。実力の名の下に全ての人間を
蹴散らし彼らが持つ思いや気持ちを一切無視したある種の独裁政治のような事態が、遠くない将来
実現する可能性は小さくはなかった。いっその事太一が本物の独裁者かブラック企業の経営者の方が
まだ良かったのかもしれない。自分のみを信じ、下の人間を駒としか思わず反旗を翻したら
容赦なく叩き潰す。そのような人間ならリーダーだけを叩けば良いだけだ。このご時勢では
この手のリーダーに洗脳された人間は珍しくはないが東亜を生きる以上いつかそういう人間は
裏切られる定めにあると歩は考えていた。いっそ洗脳されっぱなしの人生の方が幸せなのかもな。
洗脳されきった人間を見る度に思う事だった。
しかし太一を慕う駿二や蓮はブラック企業の従業員でも独裁政権下で暮らす市民でもない。
麻雀を糧に、東亜で生活を続けるだけのただの人間だ。
人の死にトラウマを持つ人間が死神を名乗り人を殺し生き続けていくと宣言した皮肉には
いっそ笑いがこみ上げてくる。
実力が全て。結果を出さなければ生きる事は出来ない。開き直りとも取れるその言葉を言われれば
流石の歩もそれは正論だと納得するしかない。いっそそう割り切れればどんなに楽な事であろうか。
しかし、歩の中にある人間としての心はそれに待ったをかけていた。
実力の名のもとに切り捨てる人間とそうではない人間を決める。太一がそういう人間で
あるかはともかく、それが正しい事になりつつあるこの街の現状は歩にとっては脅威以外の
何者でもなかった。
ふいに、太一が壁の時計に目をやった。時刻が10時半近くを指している。歩もそれを追い、
確認のために自らの携帯電話を取り出し時刻を見た。壁掛け時計と全く同じ時刻が表示されている
というのを確認し、太一に話しかけた。
「そういえば待ち合わせいいんすか?黒瀬さんが出て行って30分近く経ってるじゃないっすか」
「流石にもういい加減行かないと怒られますね。香川プロ、今日は色々ありがとうございました」
そう言って太一は頭を下げた。すぐに自分の荷物をまとめそそくさと部屋を後にしようとする。
部屋を出る前にもう1度歩に向かって頭を下げる。少し過剰すぎる気遣いではあったが、
決して悪い気分はしなかった。ようやく太一が部屋から姿を消した時、歩の体に物凄い疲れが
押し寄せてきた。
熱を出した時のようにずるりと体勢を崩し大きくため息をつく。もうすでに癖になっている
物事が落ち着いた時の一服ですら億劫になる状態だった。5分少々その体勢のまま歩の頭は
真っ白になる。携帯電話のバイブ音で意識は現実に帰りノロノロとした動きで内容を確認する。
よく見知った男から届いたメールだった。「なんだよ」と呟いて中身を見る。
from :生駒 龍太
title:(non title)
今回の試合の内容まとめたら帰れるんだけど、そっちはもう落ち着いたのか?
終わったら飲みに行かないか?
随分素っ気ない内容の飲みに誘うメールだった。正直な所疲れはほとんど限界に達していて
あまりそういう気分ではなかったがメールを見て心に変化が起きた。気持ちを吐き出さなければ
やってられないだろ?心の中に住まう酒の神がそう誘惑をした。姿勢を正しほとんど二つ返事で
メールを返す。龍太に気持ちを吐き出した所で相談になるどころか自業自得だと鼻で笑われて
終わりかもしれない。酒に逃げるのも褒められた手段ではないだろう。しかし、
とにかくこの気持ちを1人で引きずるというのは大いに抵抗があった。酒というあまりに安直な
手段で現実を忘れ、何事もなかったかのように翌日を生きる。それは前職の頃から
幾度となく繰り返してきた手段だ。今回もその一環だと自分に発破をかけ歩はようやく
ジーンズのポケットから愛用の煙草を取り出した。




