5巡目
あの日少しでも家を出る時間がズレていたら、今の生活はなかったかもしれない。
黒瀬駿二はその日は珍しく朝に外に出る準備を整えていた。
必要な物を買いに行く時か気がむいた時にしか外出をしないという引きこもりに片足を
突っ込んだようなライフスタイルだったがその日はネット上でも散々話題になっていた大会の
観戦のために会場となる場所に赴こうとしていた。
その大会ではまず最初にネットで予選が行われ、その予選である程度の上位に入賞した者に決勝への
チケットが贈られるという規模の割にはシンプル過ぎるシステムだった。
入賞が出来なければ予選会への参加は何度でもOK。そのシステムに甘えさせてもらい駿二も
幾度となく予選会に参加をしたが、4096人という予選参加の募集枠に溢れる事数回、
どうにか参加出来ても1回戦、2回戦落ちを繰り返す事数回。死神としての特性が裏目に出てしまった
事も1度や2度ではなかった。
よほど変な使い方をしなければ100年や1000年単位で生活を支える事の出来る大金に群がった者は
東亜の全人口の何割単位という途方もない人数だ。そしてそれを何十回とくり返してきたという
のだから、この街の歴史には恐れ入る。そして、その大会で賞金を獲得するという事は
この街で生き残る事についてとても重要な意味を持っている事を、駿二は理解していた。
その賞金を一言で表すなら、ジャックポット。東亜の街のオンライン麻雀大会では基本的に
金を賭ける。敗者は振い落され、勝者は高額賞金に近づけるという極限までに分かりやすさを
追求したシステムの元、参加者は賞金目当てに次々と飛び込んでいく。
その際には賭け金とは別に数パーセントを手数料という名目で支払わなければならない。
税金と揶揄されたそのシステムではあるが、それは同時に夢への大きな架け橋ともなっていた。
ルールや賭け金の額毎に細かく分かれた大会。人気の高い物低い物、金額の大きい物小さい物、
様々な大会が東亜には存在し、そしてその全てに参加手数料が取られていた。
それらの手数料の一括還元と称し、街公認の大会が何の前触れもなく開催される。
1600万人超えとも称される東亜の人間たちが日々積み重ねてきた金の一括還元だ。
ちょっと上位に入賞するだけで目もくらむような額が口座に振り込まれる。
駿二もそれを狙い大会と名のつく物には暇さえあれば片っ端から参加してきた。
時に予選落ちし、時にチケットを受け取り、時に少額ながら賞金を手にして帰路に着く。
それの繰り返しが駿二の、いや、東亜に住む人間の多くにとっての日常だった。
駿二が予選を突破しそびれたその大会は話題、規模、賞金、その全てが当時としてはトップクラスの
規模を誇った大会だ。それだけの規模を誇っていながらオンライン中継をしていない決勝戦の観戦を
目当てに多くの人間が会場に赴こうとした。駿二もその1人。
ドアを開けたその瞬間だった。全く同じタイミングで全く同じドアの開く音が耳に届き
駿二は思わず小さく声を上げた。驚いて辺りを見渡すと、隣の部屋のドアに位置する場所に
1人の男が立っていた。年は同じぐらいの、明るめの茶髪が目に付く端正な顔立ちの男。
向こうもこちらも呆然と互いを見つめていた。それを約5秒繰り返した後男の方が口を開いた。
「もしかして、麻雀大会の観戦に出かけられるんですか?」
人とあまりコミュニケーションを取る事が得意ではない駿二はその問いに何も言わず頷いて答えた。
「偶然ですね。僕もです」
必要以上に爽やかな笑顔を振りまいて彼は話しかけてきた。だからなんだというのだ。
元々1人で出かけるつもりだった駿二は彼の事が早くも鬱陶しくなり始めていた。
その旨を伝え早々に離れるつもりだった。彼の次の言葉がなければ。
「どこかで見た顔だと思ったら思い出しました。もしかして、卓上の死神の黒瀬駿二さんですか?」
卓上の死神。その名前が出た瞬間駿二は太一にぶつからんばかりの勢いで豪快に振り向いた。
何故その名前を知っていると思った。駿二はよく趣味の一環であちこちのネット掲示板を見ていた。
その関係で自らの特異な戦い方が異常者扱いされ卓上の死神という異名を付けられた事は
当然承知の上。死神としての活動は基本オンラインだったが大会上位にりオフラインに行けば
その特徴的な戦い方はすぐに話題となる。強面と無愛想のダブルパンチが原因なのか、
それとも自らに立ちはだかる全てに敵意をむき出しにしたオーラが原因なのか
オフラインに出場する度駿二を恐れる書き込みで掲示板は溢れかえるのだった。
その事にコンプレックス等は特にはなかった。自分が生き残るためならこれぐらいがちょうどいい。
それぐらいの気持ちで日々を生きていたので掲示板の書き込みの数々は全く気にならなかった。
しかし、それを知る者が隣に住んでいるとなれば話は別だった。
場合によっては嫌でもコミュニケーションを取らなければならない人間に正体を知られた。
それが駿二の心に重くのしかかった。
会場に着くまでに彼とは多くの話をした。名を渋沢太一という事、トビを1度も出した事のない
という特徴から不殺の皇帝という異名が与えられている事、そして駿二のそのスタイルを知り、
同時に顔も知った時から1度は戦いたいと思っていた事。ほとんどが太一の方から一方的に
話していただけだったが駿二も珍しく自分の事を他人に語った。
すぐに会場にたどり着き、2人はまばらに残っていた席に着いた。太一は当然のように駿二の隣に
座ったがそれは気にならなかった。いい機会なのでと称して太一から申し出た連絡先交換まで
済ませた仲になった今、彼とはもう友人付き合いが始まるのだ。それを駿二は理解した。
何気なく調べた大会情報で、この大会には何人かが「生き残り」の最後のチャンスを賭けて
参加している事を知った。彼らはもしもこの大会で賞金が獲得出来なければ残金を失ったとみなされ
東亜にいる事は出来ない。それが東亜のシステムだという事は駿二も知っていたが
生き残れなかった者がどうなるかまでは知らなかった。不謹慎ながら、それを拝んでみたいという
気持ちも少々あった。
山のように存在する予選の試合を中継しているカメラ。駿二と太一は、いや、室内ほぼ全ての人間が
1つの試合に釘付けになっていた。1人の選手の誰に目にも見て焦りが分かるほどに緊迫した表情、
異常なまでに攻めに徹底したプレイスタイル、緊張を隠せていない声色。細身の若い男だった。
他人の感情に疎い駿二でも分かった。彼こそが、生き残りを賭けこの試合に臨んでいる者の1人だと。
局が進むたび、点数が動くたび、牌が切られるたびに野次にも近い周囲の囃し立てるような声が
耳につく。会話の内容は多くが彼の失態を面白がり、
そして敗退するのを望んでいるかのようなものだった。
もっと振り込めばいいのに、所詮は雑魚、弱いのに大会に出るからこうなる、
流石の駿二もその言葉の数々には眉を潜めるしかなかった。
「感じ悪いよな。なんだあいつら」
太一が怒りの感情を隠さず小さく駿二に囁いた。試合はちょうどその男がリーチ後に当たり牌を
掴み親の満貫に振り込んだ直後。群衆のガッツポーズや興奮するような声に混じって聞こえた
その言葉にどこかこそばゆい感覚を覚えた。
予選1回戦の半荘5回のうち3回が終了し、彼は現在最下位だった。攻めに徹底しすぎたその
姿勢がアダとなっている事はあきらかだ。かといって今更防御に転じても逆転の見込みは
ほぼありえない状況。彼は、この街から消え去る運命だと駿二は思った。
各試合で上位2名に入る事が出来れば次の試合に進む事を許されるこの大会のルールで
生き残りのためにどうにかして少しでも点棒を取り戻そうと奮闘する男。しかしその姿勢は
見事に空回りし、とうとう取り返しの付かない事態を招く。半荘4回目、とうとう試合途中で
トビが出た。トンだのは誰なのかは言わずもがな。半べそになった彼の表情は流石の駿二も
哀れみを覚えるほどだった。
「あの人、どうなっちまうのかな…」
小さくそうつぶやいた太一。その目は死に瀕している男を移すモニターに向けられ、
祈るように彼の戦いを眺めていた。今更もう遅い。駿二の心の中はそんな感情で大半が占められて
いたがほんの少し、太一の気持ちも理解出来ていた。しかし同時に、彼は優しすぎると思った。
これが東亜の街の掟と割り切る事を出来てさえいれば、苦しむ必要はない。
太一は祈り続け、駿二は淡々と試合の進行を眺める。群衆は相変わらず。心情としては彼らに
ほんのわずかに近い物があったが、最悪の事態を煽るようなその言動にはとてもではないが
賛同出来なかった。駿二の心にも怒りの感情が湧いていた。そして、試合は決着した。
件の男はこの半荘では2位につけ点数もわずかながらではあるがプラス。
しかし、それでどうにかならないまでに今までの負債の方が遥かに上回っていた。
がっくりと肩を落としうなだれる男。全身が震えており、泣いているようにも見えた。
太一の方を見ると今度は彼の方が半べそになっていた。群衆は大喜びでそれを眺めている。
歓声を上げる者、ふざけきった態度を取る者、中には携帯電話でその様子を写真やムービーに
収める者までいた。その全員が、彼の脱落を心の底から喜んでいた。
「うわああああああああああ!!!」
いきなり耳をつんざくような絶叫が響き渡った。駿二と太一は何事かと慌てて画面に目をやった。
群衆の何人かが顔を顰める。更に何人かが「うるせえ」と声を上げるのが分かった。
男の体が少しずつ、消失し始めていた。全身が薄くなり、上げ続けている悲鳴のボリュームも
小さくなる。時間にして30秒程だったが、駿二にとってはそれがとてつもなく長く感じられた。
そうして男は消滅した。線香花火のように一瞬だけ光を放ち、それが最後となった。
その光景には駿二も唖然とするしかなかった。脱落者がどうなるのか見てみたい。
気が付けばそんな思いは吹き飛び、ただただそんな物を見たがっていた自分を責める気持ちしか
残らなかった。何事もなかったかのように平然とし、残りの試合を観戦したり興味をなくしたのか
次々と部屋を出て行く群衆達がより一層駿二の心をいたずらに刺激した。
思い出したかのように慌てて太一の方を見た。先ほどからすすり泣く声が聞こえていたから
やっぱりとは思ったが、太一は泣いていた。顔を覆いながら、理性が壊れてしまったかの
ように周りの怪訝な目も気にせず涙と共に感情を吐き出していた。
視線に耐え切れなくなったのは駿二の方だった。太一を引きずるようにして外に飛び出し
人気のない場所のベンチに太一を座らせようやく話す事が出来た。
「な、何なんだよあれ!」
半分涙声で鼻水まで垂らしているせいで聞き取りづらかったが太一はそう叫んだ。
「この街で死ぬってあんなになる事なのかよ!なんで、周りも平然としているのかわからねえ!
理解できねえよ!」
独り言なのか、駿二に向けて話している言葉なのかは分からなかった。しかし、駿二はそれが
彼の思いの全てだと言う事だけは分かった。その後も太一は時間にして15分少々泣き続け、
やっと落ち着いたと思ったら魂の抜け殻のようにベンチに横たわる始末。
思わず医務室に向かいかけた。その行動は太一の「そこまでじゃないよ」の言葉に制されたが。
「疲れた」とポツリと呟いた一言が妙に印象的だった。
その後は昼飯もそこそこに会場を出て、全てを忘れてしまいたいと言った太一の言葉に
従い街で気晴らしに遊ぶ事にした。会場を離れようとした時に2人でまだ多くの人々が戦い続け
更に多くの人間がそれを眺めているその場所に向けて手を合わせた。
この街における死の概念がどういうもので消えていった彼の魂がどうなったのかは分からなかったが
それでも最低限「死者」に対する弔いは済ませてやりたいと思った。
提案したのは太一だったがこれに関しては駿二も心の内は同じだった。
新手の現実逃避とも取れるぐらいに2人はよく遊んだ。交流を深めるのも兼ねて、とは太一の弁
だったがそれは駿二にとっても思いのほか楽しい時間だった。自分の心が先ほどの一件で
思いのほか沈んでいた事を知った。カラオケ、ゲーセン、買い物と時間を潰すうちに気がづけば
太陽が見えない時間帯になっていた。最後はこれでトドメだという太一の声と共に
彼の知り合いが経営するというバーに引きずり込まれていた。
「駿二、分かるか?人間どんなになっても心は忘れちゃいけないよ。誰が死んでもそれを
弔ってさあ、礼儀を尽くすのよ。なんでみんなそれが出来ないかなあ。最低限表向きだけでも
それ見せろっつーの。ああいう連中は自分に降りかかるとか想像出来ねえのかよ。
つーか降りかかってしまえ!」
明らかに早すぎるピッチで酒を煽り続けた太一はもう何度目になるのか分からない同じ内容の
説教を駿二にしていた。駿二は駿二でおそらく自己記録をぶっちぎりで更新するであろう量の
アルコールを摂取している。自分がどちらかと言えば下戸である事は過去の経験上理解は
していたが今日に関してはそんな事はどうでもよくなっていた。酒でも飲まなければ
やっていられない。そんな酔っ払いオヤジの常套句が頭の中を占め、太一と二人
必要以上に飲み続けた。金の心配はするな!今日は俺のおごりだ!という太一の言葉に
何故か駿二の理性まで吹っ飛び高級クラブで豪遊する客よろしく次から次へと酒瓶を開け
壊れたように感情を吐き出した。結局閉店時間を迎えるまで飲み続け、
この状態で2人で帰るのは危険だから人を呼んだ方がいいというバーのマスターの勧めで太一が
近くに住んでいるという友人を呼びつけた。30分もしないうちに鬼のような形相をした男が
やってきて、不機嫌さを隠しもせずバカ野郎を連呼し引きずるようにして2人をタクシーに載せた。
太一は何故かその光景を見て鬼がいる鬼がいると笑い続けた。駿二もそれに便乗し、珍しく
大笑いした。その際に初対面であるはずのその男にげんこつを頂いた所までは憶えている。
そしてそれが駿二の最後の記憶だった。その男が後の友人の1人となる吉津蓮だという事を
知るのはしばらく経っての事。
駿二が意識を取り戻したのは太一の家のソファーの上だった。奇跡的なバランスで二日酔いという
事態を免れていた事を知った瞬間自分の上に毛布が掛けられている事に気がついた。
寝起きとは思えない程によく働く体を動かすとテーブルの上にある白い物体に目が行った。
色々入ったコンビニの袋の下にメモ用紙。そこには殴り書きで事の顛末や愚痴を多々、
そしてまだ酔いが続くようならこれを使えという文言が書かれていた。
袋の中身は二日酔い用の薬、500mlサイズの水のペットボトルが2本、
朝食用なのかおにぎりやサンドイッチ、レンジで温めるタイプの唐揚げが2人分入っていた。
それを見て駿二は端正な顔立ちをしていたが柄と口が悪く気が短いのかすぐに手を上げてきた
男をどうにか記憶から引っ張り出した。
風体はあんなだが根は優しい男なのかもしれない。非常識な時間帯に非常識な内容の電話。
本来なら床に放置されそれっきりでも文句は言えない立場だ。
それなのに初対面の自分まできちんとソファーに運び薬だ水だ挙句の果てには朝食だと
世話をしてくれた。
それらを手に太一を探してあちこちうろつく。彼は寝室らしき部屋のベッドの上に
横たわっていた。ヨダレを垂らしあられもない姿を晒しながらしばらくそうしていた太一だったが
駿二の気配に気づいたのかどうにか体を起こし近づいてきた。
「やっちゃった。完全な二日酔いだ」
まだ呂律の回らない声でそう言うとそのままトイレに行くと言ってよろよろと歩き出した。
駿二は心配になって声を掛けたが「大丈夫」と一言残して太一は消えていった。
5分程経って戻ってきた太一に駿二は袋とメモを手渡した。メモを読んで太一は苦笑する。
「蓮らしいや」
曰く、今回来てくれた吉津蓮という男は性格は短気で口と同時に手が出る事も珍しくない人間だが
性根は優しく困っている人間や弱者、自分が助けられる人は放置したりせずとことん世話を焼き
時にはそれが少々お節介が過ぎるぐらいの次元になる事もあるとかないとか。
そんな彼の性格が自分は好きでいい奴だと思っているという解説までおまけについてきた。
結局別れの挨拶もそこそこに駿二は自分の朝食を持って太一の部屋を後にした。
自宅のドアを潜った時には1日弱家を空けていただけなのに随分久しぶりに戻ってくる感覚だった。
最低限の衣服だけを脱ぎそのまま飛び込んだベッドで昨日1日の出来事を反芻する。
太一との出会い、そのまま2人で出掛けた麻雀大会、飛び交う野次、街から消えた男の姿、
それを見た太一の涙、会場を飛び出し繰り出した街で遊んだ事、そして最後のバー。
滅茶苦茶に乱れた自分たちや蓮の姿まで含めて全てがスライドショーのように再生された。
何百回と使った自宅のベッドが心地よい。暖かな朝の光と自らの体温で程よく温まった布団。
酒の抜けきらない感じと混じり合った不思議な感覚をそのままに駿二の意識は再度遠くなった。




