4巡目
香川歩はまだタロットをかき混ぜていた。不殺の皇帝、渋沢太一と二人きりという状況から
目をそらすように一心不乱に占いに集中するその姿が普段の彼と違う事に気づく者は東亜の街を
探して果たして何人いるだろうか。それほどに小さな小さな変化ではあったが、
歩の精神は乱れ始めていた。ようやくカードをまとめ、駿二の時と同様に上から3枚のカードを
選んで自らの眼前に並べた。一瞬、手が止まってしまう。2日間に渡る大会の疲れと、
緊張が出てしまったようだった。何もこんな所で出なくてもいいのに。そんな感情が頭を過ぎる。
体に鞭打ってこの状況を終わらせればいいだけの事なのに、なんだか途方もないような
事に挑んでいる感覚を覚えてしまった。しかし、そんな思いはあっさり太一に見抜かれてしまう。
「香川プロ、お疲れなんですか?良ければ少し休まれた方が…」
「後少しで終わりますからいいっすよ。お気遣いはありがたいですけど、趣味でやっている事なんで
別にそこまでの話じゃないっす」
気遣いはちっともありがたくなかった。むしろ自分の中の不安や恐怖心を覗かれているような
気分がするのであまり話しかけて欲しくはなかった。
正直、渋沢太一という人間とはあまり関わりたくはなかったのだ。人として嫌な部分があるとか、
太一自身が気に入らないとかそんな小中学生のような理由ではない。彼の存在が、不気味だった。
麻雀が強く、対戦相手には誰であろうと敬意を払い、強かった相手には素直にリスペクトする
態度を見せる。どんな時も真摯で真面目な態度を崩さず人当たりは完璧、ついでに容姿も完璧。
これが世間一般から見た渋沢太一という人間の評価であろう。これ自体については歩の評価とも
大体が一致している。だが、歩が恐怖を抱いているのはあまりに完璧過ぎるその人間性の裏にある、
強い攻撃性の数々だった。
駿二のようなテレビ越しでも分かるような物でも、かつて対決した確か異名を卓上の風紀委員と
言った吉津蓮とも違う、背筋を凍らせる物を彼からは感じたのだ。
駿二や蓮が炎や溶岩を思い起こさせる熱気の篭った物ならば、太一のそれは、氷や液体窒素を
思わせる冷たい物。太一がクールな男、という評価は嫌になるほど散々聞いている。
どう聞いてもプラス方面に向いているその評価は、同時に彼のとてつもない冷酷な面を映し出して
いる評価だと歩は感じたのだ。彼と関わればいずれ身の破滅を招く。大袈裟かもしれなかったが、
とにもかくにも自分は彼をそいう評価した。どうにかして彼の真意を知りたかった。
その手段というのが占いというのは自分でもほとほと呆れる方法ではあったが、
下手に動いて彼との間にしこりを残す、などという真似は出来ればしたくない。
不本意な事ではあったが、東亜という街で生きていく以上彼とは多かれ少なかれ関わり合いを
持たなければならないのだ。大多数の人間とは違う、大会の優勝、上位入賞の常連選手。
プロという存在はそういった人間と特別に関わりを強く持たねばならない物なのだ。
だから、今は趣味を用いて当たり障りのない範囲で雑談を交わし、2回3回と触れ合うチャンスを
作りつつ、可能性程度に彼の真意について探っておく。ない事を願いたいが、
いずれは彼と直接生死に関わる戦いを繰り広げる事になるかもしれないのだから。
1枚目、過去を意味するカードを捲った。先ほど占った駿二に関しては3枚すべてのカードが
ドンピシャの意味で出現しており、太一のカードに関しても歩は強い興味を持っていた。
駿二は顔には見せなかったが、占いは思いのほか的中していたようである。一見ポーカーフェイス
に見えた駿二だったが、内心動揺は相当な物だったようだ。プロになる前の職業の関係上、
特に同性のそういった感情を見抜くのは得意分野だった。しかし今の所太一からは何も伝わって
来ない。占いが終わる頃には何か分かるだろうか。そう思いながら見たカードの絵柄は、
歩の好奇心を大きくくすぐる物だった。
「これが、噂の皇帝のカードですか」
説明する前に太一が答えを言ってしまった。彼の言う通り、出てきたのは皇帝のカードだった。
これはタロット初心者には難しいカードの部類であったが、聡明な彼の事、大方カードの下にある
アルファベットで種類を推察したのであろう。
「今回は正位置なんですね。どういう意味を持つカードなのですか?」
「皇帝の正位置は、実力者とか、優秀な能力とかの意味っすよ。正に渋沢さんにぴったりの
カードです。実力を持っていて、お友達に恵まれて、全てをいい方向に導く事が出来ている、
完璧なリーダーじゃないっすか」
そこまで大げさな物ではありませんよ、と彼は小さく笑っていた。照れたようにはにかみ、
子供のような視線を向けて占いの続きを求めるその姿に歩は太一に対する印象をほんの少し改める。
あの攻撃性さは、彼が自分なりにこの街を生きていくために作った仮面なのでは
ないのかと。少なくとも、今の言葉は真実に思えた。
そして捲った現在のカード。その中身を見た瞬間歩の口から失笑が漏れる。ここまでドンピシャな
カードが連続で出てくれば少し自分の占いの腕に自信が持ててしまう。歩は決して自信過剰な
タイプでもなく、確率の偏りがあればそれを疑うタイプでもあったが今回に関しては一旦そんな
考えは放置。現在の太一を象徴すると言っても過言ではない意味を持つカードがそこにはあった。
「これは一体…」
「これまた渋沢さんにピッタリなカードっすね。これは世界っていって完璧とか最高とか、
そういう意味では申し分なしの最強のカードっす」
そう言って歩は太一の顔を見た。太一は慌ただしくブンブンと細かく何度も首を横に振っていた。
3秒程経ってその行為をようやくやめた時にはほとんど呆れたような苦笑いの顔になっていた。
「大袈裟ですよ。僕はそんな完璧な人間ではありません。先ほどの過去の意味もそうですけど、
僕は香川プロの言うとおりこれをただの娯楽として割り切らせていただきます。占い1つでそんな
結果が出たからって僕が完璧な人間とは限りませんよね?香川プロもそれはお分かりでしょう?」
「まあ、そうしてもらえると嬉しいっすけど。俺ももとより本気で渋沢さんの事を知ろうなんて、
そんな大それた事は考えていないっすよ」
口ではそう言ったが、本心ではこれがいよいよ娯楽として割り切れる次元を超え始めた事を歩は
感じていた。占いなんて解釈次第ではどうにでもなるものだ。ましてや今回は素人が相手、
適当な事を言ってお茶を濁したり最悪嘘を伝えてしまうという事も可能だった。
だが、それはその場しのぎの手段だと歩は理解していた。ネット全盛のこのご時勢、タロットの
意味も検索1つで数分と掛からず調べる事が出来る。もしこの場で嘘をついた事が太一にバレれば、
それこそ余計なしこりを生んでしまう。なまじ彼に近い意味のカードが連続して出ているだけに、
割り切れる次元の導火線が短くなっていた。
ここまで来れば、後は未来のカードに賭けるしかなかった。例えば恋人のカードが出れば
渋沢さんは恋をしているんですねとでも言えばいいだけだし、魔術師、法王辺りなら
ありのままを伝えればよい。逆位置が出たとしてもありのままを伝え、これはやっぱり娯楽だと
言えばいいだけだった。彼も笑って済ませてくれるというのはやや希望的観測だったが。
歩は心の底から祈りを込めてカードに手を掛けた。
最悪のカードが出てしまった。駿二を占った時と同じ、死神のカードがテーブルの上に出現した。
向きも駿二の時と同じように正位置。どこぞのアナウンサーなら確率の偏りだ、正しいなんて
限らないと言って一笑に付しただろうが、今の歩にはそんな余裕はとてもではないがなかった。
「僕にも、死神としての明るい未来が開けてるって事ですかね」
太一がいつもと変わらない笑顔で、穏やかな口調で言ったその言葉が余計に冷たく感じた。
よりによってこれを引き当てるか。想定していなかった訳ではなかったがその中でも最悪の結果
が出てしまった事に歩は平常心の限界を感じていた。
「ですからこれは娯楽として…」
「ええ、分かってますよ。過去の意味も現在の意味も僕に合っているカードとは正直思えません
でしたし、むしろ娯楽としては最高の終わり方じゃないですかこれ。駿二と二人で笑い話に
してやります」
娯楽としては最高の終わり方。それは彼なりの皮肉だったのかもしれない。
しかしその言葉にどこに向かっているとも分からない刃を歩は感じていた。
早々にタロットを仕舞い、この一件を終わりにしたかった。
「今日はもうお疲れでしょう。俺ももう帰りますんで、渋沢さんも…」
歩の言葉はそこで止まった。太一が見る者によってはその感情を読み取れる、不気味なまでに
満面の笑みを浮かべていた。今度は何だ。流石に歩も訝しげな表情を隠しはしなかった。
「どうしたんですか、ニヤニヤして」
「と、言いたい所ですが、香川プロにはやはり占い師としての素質があるようです。
死神のカード、僕には結構当てはまっていると思うんですよね」
そう言った太一の顔は、真顔に戻っていた。




