8巡目
待ち合わせの駅にたどり着いたのは、時刻が11時を回ってからだった。
この時間帯の駅には決して珍しくない黒いスーツ姿の若い男。最初はその姿を探して
何度かきょろきょろ周囲を見渡したが馴染みの深いその顔はすぐに見つかった。
「2分オーバー」
「うっせえ。相変わらず細かいんだよ」
「遅刻して逆ギレとか社会人失格だ」
「はいはい、人気のエリートアナウンサーは言う事が違いますね」
待ち合わせ相手の生駒龍太の小言を軽く受け流し香川歩は彼の横に並んだ。いかにも真面目そうな
オーラに包まれた龍太とスーツを着れば夜の世界の男にしか見えない容姿の歩が並んで歩くのは
少し奇妙な光景だと思った。しかしこの街を生きる人間にとってはそれはどうでもよいらしく
今の所この事について言及を受けた事は一度もない。
歩き出す寸前、歩はふと近くの液晶ビジョンに目をやった。人身事故により電車の運転見合わせの
ニュース記事が表示されている。この駅に到着する電車に影響が出るようだった。
「なんだこれ」
「ああ、さっきここの駅のホームに人が落ちて電車に轢かれたらしいぞ。今日はここにもう
電車来ないんじゃないか」
昔ネットで1度だけ見た事がある電車に轢かれた人体の画像を思い出し歩は顔を顰めた。
これから食事だというのにそれにあまりそぐわない物を目にしてしまったようだった。
「酔っ払いだってさ。迷惑な話だよな」という彼の声もそっちのけになる。
周りを見ればその事を話題にしているグループがいくつかあるようだったが多くの者は
興味なしと言わんばかりに携帯電話を眺めたり雑談をしたりとそれぞれの行動を取っている。
現場を見てしまったのか気持ち悪そうにして項垂れている人間も見られた。
彼らにも、龍太にも、そして歩にも、その人を悼む気持ちはない。ここにいる全ての人間が、
彼は生きていると確信していた。それが、この街での日常だった。
この街における生死の境目は、全てが金というたった1つの基準によって決められていた。
金を失い生き残る事が不可能とみなされれば問答無用で肉体が消滅し、死という概念に至る。
逆に言えば、金さえあれば何があっても死ぬという事はない世界が、東亜という街であった。
電車に轢かれたぐらいではもちろん、通常考えうる人間が死に至る原因全てをもってしても
ここに限って言えばそれは生き続ける事と同義だ。地獄に堕ちればどんな拷問を受けても
即座に肉体が再生し、決められた期間の間苦しみを味わう事になる。いつか本でそんな知識を
得た時にそれは東亜のシステムと大して変わらないではないかと思った事を思い出した。
もちろん東亜の街は地獄ではない。しかし、期間が決まっているわけでもない
いつ終わるとも分からないこの生活を思うとこの街は実は地獄より恐ろしい所ではないのか、
そんな事を真剣に思う事も1度や2度ではなかった。だが、この街に住まう人間の多くはそんな事は
全く気にせず日常を謳歌している。まあ、いつ降りかかるか想像もつかない死に怯えて生きるなら
何百年単位であるであろう時間を楽しんで生きるのがこの街で暮らす人間として正しい生活
なのであろう。歩もこうして時折人の死について考える事はあっても、それ以上のラインに
踏み込む事は滅多にしない。
「どこでメシ食ってく?」
「普通に居酒屋でいいだろ」
気分を変えるために振った話題を龍太は随分素っ気なく返してくれた。仕事は真面目にこなす
一方でプライベートでは、特に関係の深い人間に対しては彼は基本こうだ。
逆に言えばその反応である程度彼との心の距離を察する事が出来るある意味でとてもわかりやすい
性格ではある。彼との付き合いがそれなりに長い歩にとってはすっかり慣れた反応だった。
2人並んで駅舎を出る。客待ちのタクシーの列や夜遊びらしき若者の集団をすり抜け近くの
適当な居酒屋に入り、そこでボックス席の空席が残っているかを龍太に確認してもらった。
こういう時には彼の外に向ける人当たりの良い態度は便利な物だった。真面目そうな外見に釣り合う
人を問わず向ける紳士的な姿勢。彼の好感度が世代や男女を問わず高いのも大いに頷ける。
「2階のボックス席が、1つ空いてるってよ」
龍太が振り向きざまに言った。歩は考えを中断し案内のために控えている店員と龍太の後ろを
着いていく。様々な客層が入り乱れどんちゃん騒ぎをしている店内。ステレオタイプな夜の世界の
高級感など全くない場所だったが、気取らずに済むこういう空気はそれはそれで落ち着く物だ。
案内された2階の席は靴を脱ぐ仕様の小上がりの席だった。部屋は少々狭かったが食事をしたり
するには支障はない。2時間飲み放題のカウント開始と共に2人で適当な酒と食事を頼んだ。
店員が去り歩と龍太は2人きりになる。上着を脱いだり荷物を脇に置くのが終わり疲れを吐き出す
ように歩は大きく息を吐いた。それを見て龍太が小さく笑う。
「2日間お疲れさん」
「そっちこそ」
龍太の言葉にそう返し、歩はタバコを取り出した。人前で吸うという事は原則しないが
彼の場合は別だ。龍太自身はタバコを吸わないが誰かが目の前で吸う事に関して嫌な顔はしない。
タバコのマナーと他人の視線が厳しくなるこのご時勢でおおっぴらに吸う事が出来る
彼の前というのは貴重な空間だ。
「まさか、渋沢さんが優勝するなんて思わなかった」
不意に聞こえた龍太の言葉に歩は指にタバコを挟んだまま彼の方に顔を向けた。
「どうしてだよ」
「あの人、確かに上手いけどそれだけっつーか、派手な戦い方しないだろ。俺は黒瀬さんが
優勝すると思ってた」
口から「なんでまた」の言葉が漏れた。龍太のその言葉が歩には少し以外だった。
彼のスタイルは典型的と言ってもいいほどのデジタル打ちで、彼自身異常者や不合理な打ち方には
実況のドサクサに紛れて貶す一歩手前の言葉を浴びせる事も珍しくはない人間だ。
そんな彼が今大会指折りのオカルト体質持ちの黒瀬駿二を評価しており、反対にきっちりとした
打ち方が特徴的な渋沢太一をやや彼に劣ると見ていたのが少し以外だった。
麻雀の目的は多くの点数を獲得する事ではない。最下位を避けつつ自らの順位をどれだけ高める
かが重要であると歩は考えていた。もちろんウマやオカの割合や試合回数、何十人何百人が競い
足切りがあるトーナメントのような場合では環境次第でスタイルをその都度切り替える必要がある。
これはプロとして数多の試合に参加してきた身だからこそ分かる経験則だった。
順位点とトップ賞の点数によっては1回の半荘でベスト10が半分以上入れ替わる事も珍しくはないし、
たまたま1回トップを取っただけで足切りラインから逃れた事は何度もある。
歩から見ても、駿二と太一の打ち筋は正反対だ。
狂気を通り越し焦りや不安すら憶えているのではないかと錯覚する程にトバシという行為に
心血を注ぐ卓上の死神と、トビを出さない事が異常者の次元に達してしまった不殺の皇帝。
龍太の見解では実力は駿二の方が上だとの事だが、個人的に相手にしたくないのは太一だった。
駿二の場合その極端すぎるスタイル故かやや2位が少ない傾向にあり、トップか3位以下の
2択になっている事が多かった。これは駿二以外の第三者がトドメを刺してしまったケースや
スタートダッシュに失敗しそのまま沈んでしまったというのが時折あったからだ。
トビ率75%の中には駿二自身が点棒を全て失ったケースも含まれている。それは全体の中でも
1割程度の物だったが、簡単に無視出来る数字ではない。今日の大会でもその数字はしっかりと
現れていた。この少々ムラのあるスタイル含め、駿二の特性には結構な隙があるのだ。
トップを積極的に狙い過ぎるその性格も含め逆手に取れば、狙い撃ちも容易だろう。
対する太一は派手さはないものの手堅いスタイルで確実に上位を狙っていくタイプだ。
トビが出ないという特性上派手な和了は極めて稀で、精々満貫ハネ満が関の山。
かと言って高い手を狙う相手との相性が悪いのかと言えばそうではなく、どうにも彼の試合は
一部を除き全体的に場が安くなる傾向にあるようだった。
その例外は駿二をはじめとした異常者との戦い。流石の太一も異常者の力を抑えるのには
限界があるらしくトビを出さない範囲で異常者はその力を存分に発揮していた。
しかし、太一の本領はここからだった。そうして異常者によって荒らされた場を
今度は自分が支配する。最下位がいきなり好配牌になったり、早いスピードでの和了で首を繋げて
その試合に僅かに希望を与えるのだ。
しかし皇帝はそこから先を許す程甘い存在ではない。彼らは言わばダシにされた存在だ。
皇帝の情けを受ける代償として、その試合では最下位を約束されてしまうほとんど悪魔の契約と
言ってもいい扱いを受ける。死の淵に立つ事とそこからの帰還を繰り返すのだ。
1度10000点以下に沈んだ人間がそのまま試合が終わるまで最下位であり続ける確率実に69%。
これが太一の試合で起こっている出来事だった。
トップを狙うのではなく最下位を取らない。そうして自分がトップになる確率を確実に上げる。
歩が理想とするスタイルに近く、自分を見ているような気分になってしまう。
ある意味で死神以上に陰惨な戦い方を得意とするのが不殺の皇帝だった。
これが皇帝の戦い方なのか。そういう批難めいた言葉が出る事も珍しくはなかったが
そんな弱者の声など皇帝はどこ吹く風。意図して行なっているとも取れる発言を時折
インタビューでしている事すらあった。
いっそ殺してくれ。彼の試合の映像を見ると最下位の人間のそんな声が聞こえてきそうになる事が
時々ある。一種の拷問のようだった。そうして南4局まで消化された試合の中、
悠々と美味しい所を頂くのが渋沢太一という人間だった。
その戦い方に目立った隙はなく、迂闊に最下位をサポートすれば今度は自分の身に危害が及ぶ
可能性すらある。皇帝の手による庶民に相互監視を強要するようなシステムだとすら思う。
駿二が相手なら1対1で対応をすればよいが、太一の場合は場の全体に気を配らなければならない。
1人を警戒するのと場の全員に気を配るのでは使うエネルギーは段違いだ。
だからこそ、歩は駿二より太一を評価し、またその戦い方に恐れを抱いていた。
マシンガンで武装した人間とは違う、背後から狙撃される可能性の方が
いつどこで起こるか分からない分えもいわれぬ恐怖があるものだ。
もちろんどちらも恐ろしい物だが恐怖の質は全くの別物だ。
だが基本的に派手な戦いを好む東亜の人間はどうも駿二の方を評価する傾向にあるようだった。
龍太ですら結果を半ば無視して単純な戦い方だけで駿二のを見ているように思える。
結果が全てだというつもりはないが、今のところの単純な成績は太一の方が上なのに。
まさかこれも太一の支配の範囲内なのか。そんなありもしない妄想が頭の中を巡ってしまう。
「戦い方が派手だからって、結果が上になるとは限らないだろ。現に黒瀬さんは渋沢さんに
1度も勝ってないし。マスコミの扱いも渋沢さんの方が上じゃないか」
「男って生き物は、派手な戦いを好むものだ。お前も男の端くれならわかるだろ」
男という性別そのものを持ち出されてよく分からないくくり方をされてしまった。
確かに東亜の人口の大半を占める若い男性は高い手や役満のインフレが起きるような
派手な戦いを好む傾向がある。何かの冗談としか思えない高レートや数字のインフレは
東亜の人間の大好物だ。青天井やドラ2枚スタート、ウマやオカの数字の上昇など
麻雀のルールにおいてもそれは枚挙に暇がない。
『男って生き物は選ばれた俺とその他大勢って構図が大好きなんだよ』
何かの名言集の本に載っていたそんな言葉が蘇った。要はそんな激しい競争社会で振るいにかける
実力主義と、その中で戦い周りを蹴落として生き残る自分が好きだという事だろう。
龍太もご多分に漏れず大人しそうなナリをしてスタイルもガチガチのデジタル打ちのくせに妙に
数字のインフレを好む。そんな東亜の人間から見れば手堅い戦い方で上位を狙い打つ太一よりも、
多少ムラがあれどインパクトのある派手な戦い方をする駿二の方が魅力的なのだろう。
自分も男の端くれではあるがそんな考え方は正直理解不能だ。散々数字だけを見るような真似を
しておいて素直に太一を見ない辺りも妙な意図を感じてしまう。その事について言及をした。
「嫉妬じゃねーの」
答えはあまりに単純な物だった。ここまで単純だとこれ以上思考を巡らせるのもバカらしく
思えてくる。同時にひどく納得の出来る答えでもあった。同性にその手の感情を抱かない
自分から見てもモデルの仕事の1つや2つ来てもおかしくはない程魅力的だと思えるルックスに
メディア露出で見せる人格者っぷりと申し分ない麻雀の実力、それに伴う結果。
それ故か特に女性からの人気や知名度はそこらのプロをも凌ぐ始末だ。
そして大会入賞の常連で生活の心配も当分しなくてよしと来ている。
これだけ揃えばまあやっかみの感情が出てしまってもやむなしか。
対する駿二の方も要素要素を見れば決して極端に劣る方ではなかったが、
その全てが太一に1歩及んでいない。そんな所にナンバー1になれない人間が共感を覚えているのか、
ネット上での評判は駿二の方が上であるように思えた。
そんな事を考えているうちに次から次へと食事や酒が運ばれてくる。よほど腹でも空いていたのか
龍太は早々に頭を飲み会モードに切り替えジョッキを持ち上げていた。
歩もそれに続く。1つの仕事の終わりを祝しての、男2人だけのささやかな乾杯だった。
2人が周囲の客に違和感なく溶け込むのには15分とかからなかった。使用人か小間使いのように
店員をこき使い、龍太は早くも3杯目の酒を頼む。いつもに比べて妙にペースが早かった。
何か嫌な事から逃れようとする人間の飲み方のようだ、と思う。思い当たる節は先ほどの事故。
昼間は時間に追われる社会を生きる身、口ではああ言ったが彼なりにショックを受けている
のかもしれない。
「そんなに飛ばして大丈夫なのかよ」
「明日は1日休みですよーだ。だから潰れても大丈夫って訳よ」
さっきまでの紳士的な態度はどこへやら、龍太は方膝をつき姿勢を乱して唐揚げを口に運んでいた。
こういう飲み方をする人間は決まって最後は1人で帰れないレベルで泥酔すると相場が決まっている。
酔っ払いの介抱はある程度回数をこなした経験があり、龍太が酔うとどうなるかも熟知している
歩だったが見ていていい気分のするものでは決してない。
そんな時だった。ふいに龍太が立ち上がり「電話」とだけ言って立ち上がった。
その際にわずかにふらついてバランスを崩しそうになる。歩も慌てて立ち上がり体を支えようと
したが龍太は何事もなかったかのようにして立ち去っていった。
足取りは若干怪しかったが本格的な千鳥足というラインではない。心配は不要と判断した。
ついでに皿の上に載った唐揚げの最後の1個を失敬する。
2~3分程で彼は戻ってきた。状態は相変わらず酔っ払いに近かったがその顔にはわずかに
仕事の男のオーラが戻っている。プライベートのこんな時間にまで仕事に追われる彼の
スケジュール。極端過ぎるまでのキャラの変貌は、仕事に追われる日常の憂さ晴らしでもあるのか。
そんな歩の気持ちをよそに彼はすでに若干おぼつかなくなった口調で話しかけてきた。
「なあ、お前タロットに詳しいんだろ?」
その言葉はあまりに唐突だった。普段は歩が呆れる程にオカルトの類を全否定し、目の前の光景
ですらこれは確率の偏りだと言って聞かない彼から発せられたあまりに似合わないその単語。
最近歩が趣味でタロットを始めたと言った時もまた変な物に凝りだしたと鼻で笑った彼が
一体どんな心境の変化を起こしたのだろうか。まさか龍太もタロットを始めるつもりなのか。
そう思いながら彼の問いに答えた。
「詳しいっつーか、知識はあるよ。何なんだよ急に」
「皇帝とか死神以外に、どんなカードあるのかも分かるんだろ?」
歩は小さく頷いた。すぐに頭の中に大アルカナ22種類を思い浮かべる。普段から持ち歩いている
カードだけに歩はその全てを番号ごと完璧に記憶していた。意味を含めてそれらを即答する事は
アルコールの回ったこの状態であっても造作もない事だった。しかしそれをするためには
龍太の話の内容をもう少しはっきりさせてからの方が良かった。
ただでさえ酔っ払っている彼。このまま話をした所でまともな話の内容になるかは疑問だったが。
「どんなカードがあるか知りたいって事か?」
「そっ」
詳細を詳しく知るためにもう少し探りを入れてみた。なんでもテレビの企画の一環で
タロットにゆかりのある人間だけを集めて一勝負行うとか。どういう経緯でそんな企画が
立ち上がったのかは定かではないがとにかくそれに白羽の矢が立ったのが今の所3名。
タロットのアルカナの一種である異名が付けられ最近マスコミ間の注目度も高い
渋沢太一、黒瀬駿二、そしてタロットを趣味にしていると公言した歩。もう1人集まれば
麻雀を行える4人に達する事が出来る。そういうわけでタロットの知識がある歩と親しい間柄にある
龍太に心当たりがないかと電話があったという事だった。
先ほどのアルカナ表に記憶の中の知り合いリストをぶつけて見る。そんな時だった。
突然フロアの廊下の方から「おおっ!」と沢山の歓声が上がる。酔っ払いが多数混じっているせいか
歓声というには粗野な声も多かったがそれは気にしない。
「なんだあ!?」と龍太が個室の仕切りを開けてそれを覗き込んだ。歩もそれに続く。
小上がりのオープン席が並ぶフロアの中央に吊るされたテレビ。多くの人間がそれに注目していた。
どうやら歓声はそこから発せられたようだ。画面では時刻はもう日付が変わるカウントダウンに
突入する頃だというのに生中継で麻雀の試合が放送されていた。大物手の和了と共に試合が終了し、
今は解説が試合の流れを大まかに説明する段階に入っている。
「数多の強豪を蹴散らし頂点に立ったのは亜空間の魔術師、伊吹醍醐プロ!卓上の重戦車の砲撃と
鮮血の魔女の毒牙を躱しての鮮やかな優勝です!今日も変幻自在な魔術が卓上に冴え渡った!」
心当たりが、ありまくりだった。いや、この心当たりはあえて脳内から消去していたのだ。
額に手を当てがっくりと肩を落とす。それに気づいた龍太の「どうした?」という声も
耳に入らなかった。
4人目のメンバーはあっさり決定した。翌日にでも醍醐に仕事の依頼をするそうだ。
これが歩と醍醐が顔見知りである事を知り、タロットに魔術師のカードがある事を知った龍太が
すぐに企画の立案者に電話をかけた後、随分と上機嫌になりながら話した事の顛末だった。
いっそ嘘を言えばよかっただろうかと歩は後悔した。必要に応じて嘘をつき、都合の悪い事には
のらりくらりと言い逃れをしたりと馬鹿正直な生き方は決してしてこなかった。
嘘も方便を合言葉に知らぬ存ぜぬを貫き通した事柄は数える事が億劫になる程多数。
そんな人生を送ってきた歩がふと放った真実がこれだった。醍醐に対する歩の反応を見た龍太が
2人の関係に首を突っ込み始め、他人の恋愛事情を必要以上に詳しく知りたがる人間のように
やれどんな関係だやれ連絡先は知っているのかなどしつこいぐらいに聞いてくる。
根負けした歩が渋々2人の間柄を話し、それを聞いた龍太が携帯電話を持ってすっ飛んでいったのだ。
ついでに歩に酒のお代わりを頼むよう言い残していきながら。
ようやく全てが一段落した今、龍太はサワーを口に運んでいた。歩はフライドポテトを食べながら
伊吹醍醐という人間についての記憶を洗う。
伊吹醍醐。歩と同じ連盟に所属しているプロ雀士。打ち筋は鳴きを多用する典型的な鳴き麻雀。
流れを掴んで自らの物にするスタイルを基本とし、派手さはないもののここぞという時には
ミスはしない手堅さも見せる。強者同士の争いの間をすり抜け最後に美味しい所を
持っていくいわゆる漁夫の利を得意とする人間でもあった。そのスタイルはたとえ異常者相手でも
変わりはせず、時には上手く逃げ回り、時にはその力を逆手に取り自らのスタイルに組み込んで
しまうしなやかさも持った男だ。柔よく剛を制す。言葉にするならそんな所だろうか。
亜空間の魔術師という異名もそこから付いた物だった。鳴きで生じた時空の歪みの中であろうと
好き勝手生きる彼にこれほどピッタリな名前もない。多くの人間がそれに納得していた。
そんな彼は現実でも好き勝手に生きていた。連盟でも指折りの女好きとして名が通っており、
しかもタイプを選ばないと来ている。この連盟に所属する女性プロはまず醍醐に声を掛けられる
事が最初の登竜門。そんな噂が実しやかに囁かれている始末だった。そして本人も否定していない。
その反面男に対する態度は決して良いとは言えず、どことなく傲慢な態度が見え隠れしていた。
あまりに露骨なので女性の側からすら逆に心の中で女性を馬鹿にしているのではないかと
囁かれた事もある。おかけで一部男性と更に限られた女性からはすこぶる評判がよろしくなかった。
女性に優しくあるその姿勢が逆に女性を遠ざけているというのは良く出来た皮肉だったが面白いので
本人にこの事は伝えていない。
彼は太一とは違った意味であまり積極的には関わりたくはないタイプだ。
歩が直接被害を被る事は少なかったが半ば苦情めいた愚痴を聞かされたり人目を構わず女性を
口説きまわるその姿を見るとあまりよろしくない気分になってくる。
男性への態度の悪さがセットで付いてくるのもその一因だろうか。龍太のように万人に等しく
接するのではなく相手によって態度を変える。人として褒められた物ではない。
「嫌な展開になった、って顔してるぞ」
ふいに聞こえた龍太の声で歩の思考は現実に戻った。酒のせいか疲れのせいか少々気が抜け、
思考もぼんやりとし始めている。龍太のような勘の鈍い人間ですら見抜ける程に、
今の歩は感情が露骨に出ているようだった。
「まあな」
「お前昔っからそうだよなー。普段あの人とそんな仲悪い訳じゃないのに、なんつーかオーラが
なんで刺々しいわけよ?試合ではそういうのやめろよ。視聴者にまでオーラ振りまくの」
そんな事は百も承知だ。曲がりなりにもプロとしてメディアへの露出はそれなりにこなしてきた身、
カメラの前での相応しい態度などとっくの昔に心得ている。
仕事に私情を挟まないを徹底し、個人的感情はなるべく押し殺して言われた事だけをやる。
それが東亜を生きるにあたりもっとも賢い振る舞い方だというのを歩は理解していた。
それに従って生きてきた今、歩の評判は決して良い訳ではないが直接耳に入る範囲で
悪い評判はほとんど聞かない。要は可もなく不可もなく。
例外として、解説の仕事の時は時折個人的感情が少々混ざる。龍太のように極端に現実を見ない
人間相手や解説のプロ同士で見解が食い違った時には多少感情的になる面があった。
解説という立場上少々の意地の張り合い程度は仕事の範囲内。向こうもそれは理解しているのか
この事に関しては立場関係なくお咎めがあった事はただの1度もない。
これもまた例外として龍太とは今回のような酒の席で何かしらの議論を交わす事はあるが
あまり身のある話に発展した事はない。
「この話はもうやめ。酒の席であいつの話なんてもう聞きたくねえ」
そう言って歩は懐から携帯電話を取り出した。口ではこう言ったが、アルコールの影響が
思っていたよりあるのか歩自身も思考が少々おぼつかない。普段ならそれとなく話題を変えるなど
朝飯前の事だったが、今回に関しては文明の利器の力を借りる必要があるようだった。
ブックマークしている大手ブログサイト。ほとんどリアルタイムで更新される数多のブログには
歩の興味を大きくくすぐり、なおかつちょうど今タイムリーな話題が次から次へと飛び込んでいた。
先ほど全てを終えたプロトーナメント。多くの人間が興味を持っていたその試合は注目度も
高かったのか、もうすでに決勝戦を含め全て試合の牌譜がアップロードされていた。
ブログ経由でいくつかの試合を見てみる。それらは歩と龍太の激論のきっかけになる物だった。
「見てみろ、これ」
突然携帯電話に夢中になりだした歩をぼんやりと眺めていた龍太にそれを手渡した。
歩の経験上、この出来事は話題への突破口となるはずだった。
「これがどうかしたのか?」
「何かおかしい所を見つけてみましょう」
あえて自分から答えは言わず彼に考えさせる。生真面目な彼の事、それなりに自分で考えた後
結論を出してくるはずだ。その時間は歩にとってのアドバンテージとなる。
「強いて言うなら全てがおかしい」
1分後、そう言って龍太は携帯の画面を歩に突きつけた。それが何かの決めポーズのようで
おかしかったがそれは口にしない。
「へえ、なんで」
「まず赤ドラが特定の1人に集中するなんてありえない。後決勝戦でだけそれが毎回違う人に
行くとかどう考えてもおかしい。つーか山村プロ自体がおかしい。赤ドラ平均3.2枚だっけ?
ありえねえから」
「40点」
「なんでだよ!」
「まず現実を受け入れていないので半減、そして後半俺の個人的感情でマイナス10点」
龍太から携帯電話を取り返す。彼は相当にご立腹のようだった。
「赤ドラ3.2枚が現実ってか?トビ75パーの人間が決勝でいきなり誰も飛ばせないのも現実ってか?
どうなってるんだよこの街は!お前の頭も!」
「誰がなんと言おうと、現実は現実なの。そんなに文句があるなら、お前が直接戦ってみろ」
何故か関係のない人間に矛先が向いたり最後に個人攻撃があったりしたがそれは聞かなかった
事にしておく。分かっていた事だったが酒が入っても確率の名のもとにオカルトを否定する性格は
健在のようだった。
そもそも醍醐の事を忘れるために話題を変えたのにこの話にも彼の影がちらついている。
それが少し不愉快だった。歩の酒のペースも上がる。龍太はまだ喚くようにしてクダを巻いていた。
「現実現実ってうるせえよ!俺が見てきた光景が現実だ!」
もはや訳が分からない。そもそもその台詞は現実を見ている人間の吐く事ではないではないか。
開き直りのつもりか。そう言いたいのを堪えるのが必死だった。
こうなってしまえば迂闊に彼の話に割って入る事はもう自殺行為だ。ひたすら喋り続ける事を
エネルギーが尽きるまで繰り返す、そんな彼に付き合うのももう慣れた事だった。
太一との出来事の愚痴を聞いてもらうという本来の目的はすっかりそっちのけになっていたが
そんな事はもうどうでもいい。どの道龍太に話した所で自業自得の一言で済まされるか
占いなんてオカルトめいた物に振り回されるなと説教されて終わりだろうから。
昼間の姿など欠片もなくなったアナウンサーを横目に歩は食事を続けた。
結局、龍太が完全に酔いつぶれるまで時間はかからなかった。段々と話の内容が飛び散らかり
そのピークが過ぎた後は急に大人しくなり、眠気を堪えるためか目を擦ったり屈伸運動を
繰り返したりをし始めた頃にはいよいよ残り時間もカウントダウンを迎える。
そんな時だった。歩の携帯にメールが着信する。相手は先ほどプロトーナメントを終えた
鮮血の魔女、山村茜。女性らしく絵文字顔文字が乱舞したこれから飲みに行かないかという誘い。
しかし、歩自身はともかく龍太をこれ以上連れて歩く訳にはいかない。
一旦、彼を送り届けてからがよいだろう。そう思って返信したメールには以外な答えが返ってきた。
私も一緒に行くから駅前で待ち合わせしようとの事。面倒見のいい彼女らしいと思う。
同時に、また彼女に貸しが出来てしまったとも思った。
しかし断る理由などなかったのでそれに了承の返事を出し、時間終了だと声を掛けてきた店員と共に
3人で1階に降りた。




