第三章 【焦りと余裕】 ※再編集済み
刻は、2021年12月某日。
コロナウィルスはやや沈静化し、新宿の街並みは多少の活気を取り戻しつつあった。
そんな新宿の歓楽街、歌舞伎町。
ある日の夜、その淫靡な雰囲気に溶け込むように、一人の男が歩いていた。
高城の盟友、吉田である。
久々に歩くこの街には、かつてとは違う空気が流れていた。
仕事終わりに高城と歩いた夜道や、根拠もなく語った独立後の未来。
あの頃、この街は可能性に満ちているように感じていた。
しかし今、目の前に広がる歌舞伎町は、記憶の中の景色とは少し違っていた。
コロナで失われた活気と閉じた店。
そして変わった人の流れ。
街は少しずつ戻り始めている。
それでも、以前のような輝きとは何かが違う。
かつて希望を感じた煌びやかなネオンも、今の吉田には少し遠いものに見える。
吉田は何も言わず、その街を歩いていた。
行先は高城と夢を語り合っていたあのバーである。
吉田「こんばんは」
マスター「おお、吉田君久しぶり!」
久々に入った店内は気のせいか、やや古ぼけた雰囲気に見える。
以前は若々しく、はつらつとしていたマスターの顔も、疲れが見えた。
吉田「客足はどう?」
マスター「まだまだ厳しいよ...、疲れてしまったし正直店を閉めようかと思っている」
吉田「そんな...」
マスター「ああ、湿っぽい話してごめんね!いつものでいいよね?」
そう言いながらシェイカーを振るマスター。
吉田しかいない店内には僅かなシェイカーの音が響き渡る。
マスター「あいよ」
吉田「どうもです」
その青とも紫とも言えるカクテルは「ブルームーン」という名称である。
青紫色のカクテルを見つめる吉田。
以前、この店で高城と夢を語った夜も、同じ色を見た気がする。
その時はただ綺麗な色だと思った。
今はなぜか、少しだけ寂しく見えた。
黙々と酒を飲みタバコを吸う吉田。
そんな吉田に「なんだか元気が無いね、今日は高城君は一緒じゃないのかい?」とマスターは声を掛ける。
一瞬、間が空いた後「そんな事ないですよ!」と吉田は笑顔で返した。
「そう、それならいいんだけど...」
会話は時切れ、暫く静寂の刻が流れる店内。
その静寂さを破ったのは、マスターの一言だった。
「高城君との独立話、上手く行ってないんだろ?」
その言葉に吉田の笑顔が曇る。
「見ていれば分かる、2人の熱量はまるで違うよ」
「2人の仲が良いことと、2人で会社をやれることは別だからな」
吉田は「いや...そんな事は」と返すが、マスターは言葉を続ける。
「敵を作るのも、経営者に必要な事だよ」
無言になり、何も言葉を返せない吉田。
暫くの後、吉田はようやく口を開いた。
「もう一杯同じものを下さい」
「あいよ」
店内には変わらず、吉田以外は誰もいない。
僅かに響き渡るシェイカーの音。
本来であれば、贅沢な刻ともいえる環境である。
だが、今の吉田にとって、その静寂さはまるで無機質な新宿のコンクリートジャングルを思わせるかのようだった。
そんな思いを払拭するかの如く、吉田は酒とタバコを堪能するのであった。
2022年6月 某日
新宿の街並みは活気を取り戻しつつあり、世の中は落ち着きを見せていた。
そして、それは高城の独立計画の再開を告げる、静かな咆哮でもある。
遂に高城が待ち望んだ「適切な刻」が到来しつつあったのである。
だが、2人の独立計画は捗っていなかった。
以前と比べ、吉田の付き合いが格段と悪くなっていたのである。
本日も声を掛けたのだが、吉田は「予定がある」とそそくさと会社を後にした。
時間が余った高城は、その足で歌舞伎町のパチンコ店へ向かう。
高城は数字の変化を見るのが好きだった。
勝ち負けではなく、流れを見る。
どの台が、どのタイミングで、人の心理がどう動くのか。
それは不動産営業で培った感覚にも近かった。
高城はパチンコで「勝てそうな台」ではなく「流れがわずかに歪んでいる台」を選ぶ。
理由は説明できないが、その違和感だけは確かに分かる。
玉を打ち出す瞬間、高城はほんの一瞬だけタイミングを遅らせた。
意図的というより、流れに合わせるような感覚だった。
その直後、隣の台の客が席を立ち、店員が通りかかり、わずかな空気の乱れが生まれる。
そのズレが連鎖し、高城の台に「戻ってくる」。
結果として当たりが入り、派手にランプが点く。
高城はそれを見て「今日は流れが悪くない」と呟き、勝ち負けには特に関心を持たない。
「刻の流れを読む」
この地道な積み重ねが、後に「大きな成功」を掴むのだ。
2022年6月 某日 20時頃
西新宿、高層ビル最上階のレストラン。
窓際の席からは、東京の街並みが一望できた。
学生時代、同じように夢を語り合った2人。
だが今、目の前に広がる景色を手に入れているのは阿部の方だった。
「最近どうなんだ?」
ワインを片手に、何気なく聞く阿部。
吉田は独立の話をする。
資金の問題、高城との計画、会社への不満。
一通り話を聞いた阿部は、少し笑った。
「相変わらずだな、お前」
「何年経った?」
「……」
答えられない。
「いい人ってのと、一緒に仕事ができるかってのは別問題だぜ」
阿部はそう言いながら、店員に追加注文をする。
その動作にも迷いがない。
吉田はふと気付く。
昔の阿部は、自分と同じように将来への不安を口にしていた。
だが今は違う。
何を頼むか、誰と話すか、どこに時間を使うか。
その全てに余裕があった。
阿部は夜景を見ながら口にする。
「自分が欲しいのは、誰かと一緒に独立する事か、それとも、自分の人生を動かすことなのか」
「もう一度考えてみたらどうだ?」
押し黙り、グラスを握る手に力が入る吉田。
「ま、一緒に夢を語れる存在がいるのは羨ましいけどな」
阿部の言葉は吉田の耳に入らなかった。
目の前に広がっているのは、確かに自分が手に入れたい光景である。
しかし、今の吉田にはそれがどこか白昼夢の様なものに感じられた。
2022年6月 某日 22時頃
阿部と別れた吉田は、西新宿の歩道に立っていた。
目の前には都庁の巨大な光が浮かんでいる。
その姿は、まるで自分が目指している未来の象徴のようにも見えた。
だが、同時に今の自分との距離を突き付けられているようでもあった。
吉田はタバコに火をつける。
吐き出した煙は、都庁の明かりと夜空の満月に溶けていく。
「自分の人生を動かす……か」
ふと言葉が出るが、それは直ぐに不安と恐怖にかき消される。
だが、親友阿部の言葉は確かに吉田に届いていた。
それが答えなのかは分からない。
ただ、その言葉だけが煙のように消えず、胸に残っていた。
同時刻―。
一方の高城は、歌舞伎町でタバコを吹かしていた。
その日の勝負は惨敗である。
財布の中身は軽くなり、独立資金という現実を考えれば決して褒められた行動ではない。
それでも高城の表情は不思議と晴れていた。
「あの台、最後の最後で見せ場作ったな」
誰に言うでもなく呟き笑う。
勝ち負けよりも、その瞬間に熱くなれること。
それが高城にとっての息抜きだった。
周囲から見れば無駄な時間。
しかし高城にとっては、頭の中を整理するための必要な刻でもあった。
高城は歌舞伎町の路地裏にある小さな居酒屋に向かう。
店内は決して綺麗とは言えない。
焼き鳥の煙が染みついた壁、少しベタついたカウンター、常連客の笑い声。
しかし、高城にとってはそれが心地よかった。
「また負けたのかよ」
店主が笑いながら声を掛ける。
「いや、今日は負けじゃない。楽しんだから勝ち」
「意味分からねえよ」
くだらない会話に店内の常連たちが笑う。
そんなやりとりに「恋しさと せつなさと 心強さと」を感じる高城。
時代は、まだ高城に追いついてはいなかった。
だが、その緩やかな流れは高城の調整力と共に新たな「転換期」を迎つつあった。
刻は「分水嶺の兆し」を見せていたのである。




