第二章 【時代のうねり】
刻は2019年12月某日。
年末も近づいたある日、強制参加の飲み会が終わった高城と吉田は新宿歌舞伎町を歩いていた。
夜になっても眠らない街、歌舞伎町。
人の欲望と期待が混ざり合う、東京でも特殊な熱を持った街である。
高級店の看板、煌びやかなネオン、足早に歩くスーツ姿の男達。
金と欲望が渦巻く街。
来年の東京五輪開催の影響か、街はより盛り上がりを見せているようだ。
かつての高城にはただ騒がしいだけの場所だった。
しかし今は違う。
この街で人生を変えようとする人間達の熱量が、どこか自分の背中を押しているように感じていた。
しばしの刻が経った後、2人はあるバーで酒を飲み、独立に向けての調整を重ねていた。
そのバーは雰囲気の良いオーセンチックバー。
初老のベテランマスターの腕と人柄も良い。
話し合いには持って来いの場と判断した高城は、独立計画の調整の場として吉田と足繁く通っていたのだ。
夢を語り合う刻は過ぎ、計画は徐々に現実的な論点へと移っていた。
そこで立ちはだかったのが独立の最大の壁──「不動産業の許認可問題」である。
不動産業の許認可とは営業に必要な免許であり、取得までには概ね3〜4ヶ月を要する。
その間は実質的に収益が立たず、事務所費用や生活費を含めれば数百万円規模の資金が必要となる。
吉田には一定の蓄えがあったが、高城にはほとんど余裕が無い。
2人の合算でも、その期間を乗り切るには心許ない状況だった。
後世に評されるだけの調整力を持ちながら、高城には決定的な綻びがあった。
それが「資金管理の脆さ」である。
その生活は安定とは程遠く、ギャンブルや酒に加え、家族への仕送りといった支出も重なっていた。
人情味の裏返しとしての行動だったが、結果的には蓄えを削る要因となっていた。
一方で吉田は、会社に依存しない生き方を早い段階から模索していた。
副業、投資、取引先との関係構築など、収入源を分散させる発想を持っている。
だがその姿勢は、高城の価値観とは噛み合わなかった。
所属する以上は組織に全力を尽くすべきであり、外部的な動きは本筋ではない──それが高城の考えである。
吉田はより現実的で直線的だった。
その思考は単なる効率論ではなく、会社に対する明確な感情とも結びついている。
過去の積み重ねから、吉田は会社組織そのものに強い不信を抱いていた。
そのため問題の整理においても、常に「法的な構造」を基点に置いている。
「時間を短くするなら、会社のルールや働き方の矛盾を整理して、正しい手順で進めた方がいい」
「会社を訴えれば、未払い残業やパワハラの分も含めて金は取れるし、交渉の主導権も握れる」
吉田の提案は一貫して、そうした現実と法的合理性に基づいていた。
しかし高城は、それを理解しつつも受け入れきれなかった。
理屈として成立していても、その進め方にはあまりに速度と圧がありすぎると感じていたのである。
こうして両者の認識は徐々にずれ始める。
議論は深まる前に流れ、結論に至る前に雑談へと吸い込まれていった。
2019年12月某日 22時頃。
案の上、本日も結論は出ず、バーのマスターを巻き込みくだらない話で盛り上がる高城と吉田。
そんな2人にマスターは「2人は仲良くていいな、俺は共同経営で上手くいった試しがないから羨ましい」と冗談半分で話しかける。
それに対し「当然ですよ!」と雄弁な態度で返す高城。
吉田は一瞬マスターの発言に神妙な面持ちをしたが、直ぐに「当然です!」と高城に続く。
そのやり取りに、大きな笑いが響く店内。
この店にはもう一つ高城が気に入っている理由がある。
常連客との距離感である。
仕事終わりに一人で飲みに来る会社員。
近所の経営者。
競馬新聞を片手に酒を飲む老人。
年齢も職業も違う人間たちが、同じカウンターでくだらない話をする。
そんな「肩書きの無い場所」を、高城は好んでいた。
その日も、カウンター席では数名の常連客が競馬の話で盛り上がっている。
「今週の本命は固いだろ」
「いや、そういう時ほど荒れるんだよ」
そんな会話を聞きながら、高城はグラスを片手に口を挟む。
「いや、今回は人気馬が危ないと思いますよ」
突然会話に入ってきた高城に、常連客は笑う。
「また始まったよ、高城さんの予想」
「この前も絶対来るって言って外してたじゃないですか」
店内に笑い声が響く。
吉田は呆れたように高城を見る。
「隼人さん、そんな分析する暇があるなら貯金してくださいよ」
「何言ってるんだ、分析と調整は大事だろ」
「その分析力と調整力を独立資金の管理に使ってください」
「それとこれは別問題だ」
即答する高城に、吉田は思わず笑う。
マスターもグラスを磨きながら口元を緩める。
高城は幸せだった。
今迄の「かりそめの平穏な暮らし」から脱却をしつつあるこの現状に充実感を感じていた。
だが、刻の流れは残酷であった。
この数ヶ月後、日本のみならず世界を巻き込む「危機的状況」が到来する。
その大きな時代のうねりは、新宿の片隅で夢を語り合う2人の間近に迫っていたのである……
2020年4月。
日本政府より緊急事態宣言が発令され、街の空気は一変した。
新型コロナウイルスの世界的拡大が、その日常を静かに断ち切っていた。
それまで夜遅くまで光っていたネオンは間引かれ、歌舞伎町の通りからは人影が消えていく。
昼でも薄暗く、開いたままの店のシャッターが並び、風の音だけがやけに響いた。
人と車の流れが途切れた新宿は、同じ場所とは思えないほど静まり返っていた。
当然の如く、その余波は高城と吉田にも影響を与えていた。
この異様な停滞の中では、流石の高城であっても、独立に向けた調整をいったん「時代の流れに委ねる」以外に術はなかった。
だが、そんな中でも吉田はドライで強引だった。
「今がチャンスだ」
「審査は緩くなり、物件も安く出ている」
「この状況なら好条件で拠点を押さえられる可能性が高い」
「会社を訴えれば、金も時間も一気に短縮できる」
「失敗しても融資は通りやすい」
等々、高城に何度も語るのである。
そんな吉田の戯言に辟易する高城。
その度に
「落ち着け」
「まだ流れが悪い」
「時代の分水嶺はここじゃ無い」
と返すのが常となっていた。
吉田は「適切な刻の流れ」を読み取る力が決定的に不足していたのである。
刻を見誤り、勝手な暴走をする吉田に対し、高城は落ち着いていた。
その目は、時代の遥か先を見据えていたのである……




