Act.31 終焉のプロビデンス(神意)・3
「確かに、惑星が透けて行っている・・・」
そんな2人の遣り取りを他所に、メイン・ビジョンとウィンドウ越しの情景を見比べて、ミルシュカが一心に考え込む。
「このまま行けば、存在を感知できなくな──」
そこまで言って、ミルシュカがはっとした。
「ベアトリーチェ、重力ポテンシャルの低下は続いているのよね?」
「はい」
「──リサ・・・!」
短いベアトリーチェから返事すら皆まで聞かず、ミルシュカが打って返すように声を上げる。
「あの惑星ピュシス・プルシャ、多分だけど、トト先生たちが発現した結晶化現象、あれと同じ事が起きているのよ、あの惑星で・・・!」
「え・・・?」
「存在自体が潰えようとしているのよ、ピュシス・プルシャの」
「潰える・・・存在が・・・?」リサがユニットから身を乗り出し、後ろのミルシュカを振り向いた。「──けど結晶化はしていないわよ・・・?」
「このまま重力ポテンシャルを喪失するって言う事は、その存在が失せるって事と同義、そしてその存在がヒューマノイピクス(人間)の肉眼でないと感知できない、と言うのなら、あの結晶化と同じ状態になるって事なのよ・・・!」
少しばかり興奮気味に語るミルシュカを、リサがじっと見詰め返す。リサが何も口を挟んで来ないので、ミルシュカは再び言葉を継ぎ始めた。
「結晶化自体の事象は、ひょっとしたらヒューマノイピクス(人間)、いえ生命体だけに発現する事象で、ピュシスのような非生命体の惑星は、今見えている崩壊のような容相を呈するのかも知れない」
「存在しなくなる・・・惑星が・・・」
柳眉を顰めさせたリサが、薄くなっていると感じられる映像のピュシス・プルシャを見遣りながら、呟くように声を零す。
「このまま行けば間違いなく、機械的な観測装置や光学視認機材では、ピュシスの存在が検知不能になる──けれど、肉眼でだけは認知する事が可能な状態になる、わね」
「それってピュシスは、もう開発も不能になるって事よね・・・?」
「開発どころか、着地も無理でしょうね」
口を尖らせるリサに、ミルシュカが小さく嘆息しながら首を振る。
「それじゃあ多額の投資をした、アールスフェポリット社もヒゴ社も、単なる骨折り損の草臥れ儲け、って訳?」
「──アディ曰くの、“竹篦返し”ね」首を竦めたミルシュカが、皮肉めいた笑顔を浮かべた。「ピュシス・プルシャと言う聖地を、開発の名を借りて土足で踏み躙った事への」
「アディって、意外と真実を突くのね」
「不純異性交遊の落第生なのに?」
リサの言葉にミルシュカが、今度は奇矯しそうに肩を窄めて見せた。
「うん・・・!」リサが飛びっ切りの笑顔で応える。「ダッチ(場下)な女性には、丁度良い釣り合いなのよ、きっと」
「本当に首っ丈なのね、リサって」年上のミルシュカが、クスリと笑みを零す。「──ベアトリーチェ、貴女の観測予想では、ピュシスの重力ポテンシャルが、計測不能になる、限りなく0(ゼロ)になるまで、後どの位?」
「減少の度合いは増加傾向にあります。重力ポテンシャルは既に55パーセントまで下がっていて、このままでは19時間後には、光学的計測可能な閾値を下回ると推測します」
「19時間後」
薄れ行く白寒の惑星の映像に、ミルシュカがきっぱり言い切った。
「それがピュシス・プルシャの“ラグナロク(消滅が時)”ね。太陽嵐の第3波の少し前だわ」
「本当に、太陽嵐が惑星を吹き消してしまうみたい・・・」
リサがウィンドウ越しの、砕けつつあるピュシスに目を移す。既にクラック(裂け目)は、全球全部に隈無く生じていて、ちょんと突けば、苦もなく砕け散ってしまいそうだった。
「どうするの? リサ」
ミルシュカは哀れむような遠い目付きで、映像の中の消え行く惑星を見上げる。
「ネルガレーテは、惑星相手にどうしようもない、とは言っていたけれど・・・」
リサは嘆息するとベアトリーチェに、ネルガレーテを呼び出すように指示した。
* * *
「サンドラ・・・! サンドラ・ベネス!」
その声に、サンドラがうっすらと目を開けた。
「──あ・・・ああ・・・ボリス・・・」
目の前に、ハビタブル・オーバーオール(気密与圧服)のヘルメットのフェイス・シールドを上げたボリス・ペトロフスキーの、精悍な黒髭顔があった。
ランチデッキ・コントロール(備載艇甲板管制室)の窓越しに、気を失っているサンドラを発見したペトロフスキーは、部下を伴ってエアロック(気密隔室)の扉口へと回った。
エアロック(気密隔室)の扉は、まだ非常用バッテリーが生きていたのでスイッチで開けることが可能だった。ただエアロック(気密隔室)内には標準空気が残っていたため、ペトロフスキーたちがいるハンガー(格納庫)側との気圧差を感知した安全装置が働いて、直ぐには開かない。
牴牾しい数分を待ち、エアロック(気密隔室)内の大気が抜け、扉が開くと同時に中に飛び込む。さらにその先にあるエクイップメント・ロッカー(装備保管庫)室へのバルクヘッド(隔壁)を開こうとしたが、今度はスイッチを押しても開かなかった。
フラップハンドル(引き把手)に手を掛けて引いてみたが、ギシギシと何かに引っ掛かっている気配がして、すんなりとは開かなかった。仕方がないので、部下と力を合わせて扉を開けに掛かる。とは言ってもゼロ・グラビティ(無重力)環境下で、力を篭める、と言うのは案外と難しい。どうやら扉自体が変形しているようで、すんなりとスライドしない。辛うじて開いた隙間に足を突っ込み、其所から身体を捩じり込むようにして、少しずつ扉を開く。
隙間から覗いてみると、照明の落ちた室内はまるで台風にでも襲われたように、備品が其処彼処に散乱し、所狭しと浮かんでいる。サンドラが居る向こう側のランチデッキ・コントロール(備載艇甲板管制室)への気密シャッターも見えない有り様だった。
扉が開き始めると、エクイップメント・ロッカー(装備保管庫)室の方にも空気が残っているようで、空気が抜けたエアロック(気密隔室)側へゆっくりと空気が流れ込んで来た。さらに厄介なのは、散らばって浮いていたハビタブル・オーバーオール(気密与圧服)や、備品の類いが空気の流れに乗って寄って来る事だった。そんな集まって来る邪魔者を除けながら、かつかつ通れるだけ開けた隙間から、横に滑り込ませるようにして身体を強引に中に押し込んで潜り込む。
エクイップメント・ロッカー(装備保管庫)室に入って、扉が変形している訳が分かった。
このロッカー(装備保管庫)室で何かの爆発が起き、その煽りで吹き飛んだ備品の何かがエアロック(気密隔室)の扉にぶつかり、その衝撃で変形したのだ。
エクイップメント・ロッカー(装備保管庫)室には、左右両側にロッカーが有るのだが、左側、ハンガー(格納庫)とは反対側のロッカーが見事に吹き飛んでいて、床には大きな裂け目が出来ていた。爆発は下層から突き上げように起きたらしく、床基礎の鋼板が継ぎ目から捲り上がっているが、被覆の断熱材に焦げた跡はなく、しかも空気が抜けていない事から、一般的な爆発とは違うようだった。
まるでごみ捨て場のようなエクイップメント・ロッカー(装備保管庫)室内を、漂宙う備品を掻き分け掻き分け退かしながら、ランチデッキ・コントロール(備載艇甲板管制室)への気密シャッターに取り付く。壁際の開閉スイッチを押したが、此方も開かない。電源を喪失しているようなので、仕方なく手を掛けてまた人力で押し上げる。幸い、向こう側のコントロール(備載艇甲板管制室)も標準大気の大気圧が確保されているらしく、気密シャッターはすんなりと開いた。
ペトロフスキーはヘルメットのフェイス・シールドを開き、大気が確保されているのを確認すると、気を失って浮いているサンドラの元に漂宙いながら、従っている2人に指示を出し、ナースィラ・ハロゥ(福音の後光)のナビゲーション・ブリッジ(航行船橋)の様子を見て来るように言った。
「気が付いたか、サンドラ・・・!」
少しばかり心配そうにペトロフスキーが、血の気の薄いサンドラの顔を覗き込む。
「どこか怪我をしているのか・・・?」
「撃たれたみたい・・・」
照らして来るペトロフスキーの探照灯の光に目を眇めたサンドラが、似合わないペトロフスキーの心配顔に弱々しく笑みを溢す。
「レイガン(光線拳銃)で・・・」
「──撃たれた?」力なく漂宙うサンドラの全身を、眺め回すペトロフスキーの放つ光が照らし上げる。「何処だ・・・?」
「多分・・・左・・・脇腹・・・」サンドラが血の気の薄い顔で答える。「それに肩も・・・」
「見せてみろ、サンドラ」
そう声を掛けながらペトロフスキーが、自身のロンパス(気密与圧服)の右腕のグローブ部を外し始めた。ロンパス(気密与圧服)のグローブを着けたままでは、指が思うように細かく動かせないからだ。
「まだ・・・船内に、クルー(船員)がいるの・・・」
「分かってる。今、ブリッジ(航行船橋)へ見に行かせている」
ペトロフスキーは素手になった右手を伸ばし、サンドラの濃紺ブラウスの釦に指を掛けた。
「──少し服を脱がすぞ」
素手になっても不器用な手付きで、ペトロフスキーがぎこちなくブラウスの釦を外す。裾をそっと捲り上げ、サンドラの柔らかな脇腹に目を落とした。
「一言断るなんて、随分と紳士的なのね、ボリス」
「大丈夫だ。銃創自体は酷くない」
ペトロフスキーはサンドラの問い掛けを、態とらしく無視した。
「少し内臓に出血があるかも知れないが、レーザー弾だからそう深くもない」
レーザー銃弾射創は、フィジクス・ブレット(弾体)被弾のような運動エネルギーによる挫滅がないため、酷い裂傷が起きない。皮膚下に入り込んでの組織裂傷や内臓損傷、骨の破砕も比較的軽度だ。1秒間に数十射されるため射創は熱傷に類似し、皮膚表面に水疱が出来たり壊死を起こし、パルス効果で痺れるような強い痛みや灼熱感を感じる。今回のサンドラのレーザー射創は、銃撃が低出力だったらしく、内臓への直接の被弾は無いと思われた。
「何故撃たれたのか、誰に撃たれたのか、訊かないの?」
見詰め返してくるサンドラと目が合ったが、ペトロフスキーは無言でサンドラの肩口の傷を見ようと左腕を持ち上げた。途端、痛いッ、とサンドラが思わず顔を顰めた。
「サンドラ・ベネス、あんたが生きてれば、それで良い」
ぼそりと言い返したペトロフスキーが、宙に浮かぶサンドラの右腰に手を回し、サンドラの身体を起こすようにして、そっと4分の1回転させた。濃紺のブラウスが開けて、淡いブルーのブラジャが丸見えになった。
「──爆発が起きた時、肩口に何かが打つかって来たのよ」
痛みを堪えるように眉根を寄せるサンドラの、左肩甲骨の辺りが青黒く変色していた。ペトロフスキーは、直接触るのを躊躇った。
「酷い内出血を起こしている。肩を骨折しているかも知れねぇな」
そう声を掛けながらペトロフスキーは、サンドラの右半身のブラウスを脱がし、それから優しく丁寧に骨折している半身側の左腕からブラウスを抜き取った。
「──身動きできない女性を裸にして楽しい?」
溜め息交じりのサンドラが観念したように、それでもまだ強がる風にペトロフスキーを振り返った。
「好い女性ってのは──」
サンドラの身体を戻すように4分の1回転させたペトロフスキーが、サンドラの顔を被さるように覗き込む。剥かれたブラウスが宙に漂宙い、淡いブルーの双丘も露に、バイオレットの髪も嬌しく靡くサンドラは、まるで情事を終えた後のように実に婀娜っぽかった。
「──黙って男性に唇を塞がれるもんだ」
ゆっくりと顔を近付けたペトロフスキーが、ヘルメットがサンドラに当たらないように気を遣いながら、そっと唇を重ね合わせた。
「獣」
唇が離れ、束の間見詰め合っていたサンドラが、ぼそっと言葉を溢した。
「──ちょっと待ってろ、俺のディック・フェイス(可愛げの無い女)」
にっと笑いながらそう言い残したペトロフスキーが、圧搾空気スラスターを少しだけ噴かし、隣のエクイップメント・ロッカー(装備保管庫)室へ飛び込んだ。サンドラは動く右手を起こし、今し方までペトロフスキーと重ね合っていた自身の唇にそっと指を当てると、心底ほっとしたように深く長い息を吐き出した。ペトロフスキーが2分もしないうちに、ファースト・トリートメント(応急処置)・キットと折り畳まれたスワドル(搬送用気密与圧包袋)を抱えて戻って来た。
「ボリス、1つ聞いて良い?」
脇に浮かんでキット容器を開くペトロフスキーに、サンドラがぼそりと言った。
「──貴方は、自分の生き方に後悔していない?」
「後悔?」
ペトロフスキーは荒っぽい手付きで、ドレッシング(創傷処置)剤とトラウマ(外傷)トリートメント・シートをほじくり出す。ちょっと痛いが、我慢しろ、と言ってから、発泡性フォーム容器の先を傷口に突っ込み、ドレッシング剤を注入する。内臓損傷に伴う大量出血用の使い切りドレッシング(創傷処置)剤だ。
「──今はしていないな」ペトロフスキーは小さく首を竦めると、別のチューブからエネルギー被弾用の抗化膿軟膏剤を搾り出す。「と言うか、後悔するのを止めたんだ、疾くの昔に」
「後悔を止めた・・・?」
「その時、その一瞬の判断を最善と心得て生きるようにしたのさ。それ以外の選択はあり得ない、と」
たっぷりと搾り出した抗化膿ドレッシング剤を、サンドラの負傷肌面に遠慮なく塗り込む。
「ボリス、貴方って、力強い決断力の持ち主なのね」じんじんと焼けるような痛みに、サンドラが少しばかり顔を顰める。「だけど、随分と刹那的な生き方だわ」
「そうか?」塗り終わったペトロフスキーが、トリートメント・シートを引き寄せた。「けど俺は、あんたみたいな生き方も嫌いじゃない」
「不道徳で悪辣な生き方よ」
「そうだな。だがそのお陰で、あんたと知り合いになれた。まあ俺にとっちゃあ、ケ・セラ・セラ(塞翁が馬)、ってところだが」
ペトロフスキーは薄い保護フィルムを剥ぎ、サンドラが負った傷面に、シートをそっと貼り付ける。
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written by サザン 初人 plot featuring アキ・ミッドフォレスト




