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あの日空が裂けた  作者: リンダ


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向き合えない記憶・続き

第41話


向き合えない記憶・続き


数日後、一平の病室に、小さな来客があった。


廊下の方から、松葉杖の音が聞こえてくる。


こつん。

こつん。


その音に、北斗が顔を上げた。


「お父さん、来た」


病室のドアがゆっくり開く。

最初に入ってきたのはジェシカだった。

その隣に、少し背の高い少女がいる。ジェシカの姉、ジェニーだった。


そして二人に支えられるようにして、母親が姿を見せた。


右足にはギブス。

脇には松葉杖。

顔色はまだ万全ではなかったが、それでも彼女は一平を見ると、深く息を吸って微笑んだ。


「Hello, Mr. Akita. I’m Jessica and Jenny’s mother, Laura Morgan.」

(こんにちは、秋田さん。ジェシカとジェニーの母、ローラ・モーガンです)


さくらがすぐに椅子を引く。


「どうぞ、座ってください」


ローラはゆっくり腰を下ろした。

ジェシカとジェニーが左右から手を添える。

北斗も、まるで自分の役目のように松葉杖を支えた。


ローラはそれを見て、柔らかく笑った。


「Hokuto is very helpful.」

(北斗くん、とても助かるわ)


北斗は少し照れた。


「いや、まあ……」


ジェシカがすかさず言う。


「ちゃいまんがな」

(That’s not it.)

(違いますがな)


北斗が吹き出した。


「そこで使うの変!」


一平の口元が、わずかに緩んだ。


ローラは一平に向き直る。


「My daughter talks about Hokuto all the time. Thank you for being kind to her.」

(娘はいつも北斗くんの話をしています。娘に優しくしてくださって、ありがとうございます)


一平は、ゆっくり息を整えてから答えた。


「……こちらこそ……北斗が、お世話になってます」


ローラは首を振った。


「I think they’re helping each other.」

(あの子たちは、互いに助け合っているのだと思います)


その言葉に、病室の空気が少し静かになった。


ジェシカも、北斗も、あの日以降、子どもでありながら大きな不安を抱えていた。

でも、二人は一緒に笑っていた。

変な日本語を使い、教室でふざけ、怖い気持ちをごまかすのではなく、ほんの少しずつ外へ出していた。


ローラは自分の右足を見下ろした。


「I was lucky.」

(私は幸運でした)


その声は、明るくしようとしていた。

だが、奥に震えがある。


「I was close enough to be hurt, but far enough to live.」

(けがをするほど近くにいて、でも生き残れるほどには遠くにいました)


一平は、その言葉を聞いて目を伏せた。


それは、彼自身にも重なる言葉だった。


近すぎた。

でも、ほんの少しだけ遠かった。

だから生きている。


ローラは続けた。


「Sometimes I feel grateful. Sometimes I feel guilty.」

(感謝する時もあります。でも、罪悪感を覚える時もあります)


さくらが静かに頷いた。


「分かります」


ローラはさくらを見た。


「You too?」

(あなたも?)


「はい。夫が生きていてくれてよかった。でも……亡くなった方がたくさんいて、そのご家族がいて……喜ぶことさえ、時々怖くなります」


ローラは深く頷いた。


「Exactly.」

(まさにそれです)


病室の中に、言葉にならない共感が広がった。


被害の形は違う。

一平は重傷。

ローラは右足の骨折。

帰らなかった人もいる。


でも、傷ついた家族を持つ者同士でしか分からない揺れがあった。


ジェニーが静かに言う。


「Mom tries to do too much.」

(お母さん、無理しすぎるんです)


ローラが苦笑する。


「Jenny.」

(ジェニー)


「It’s true.」

(本当でしょ)


北斗が思わず言った。


「うちのお母さんも倒れた」


ローラが驚いた顔でさくらを見る。


さくらは少し照れたように、でも隠さず言った。


「過労と睡眠不足で……子どもたちに心配をかけました」


ジェニーが真面目な顔で言う。


「Grown-ups are really bad at resting.」

(大人って、本当に休むのが下手ですね)


一平がかすかに笑った。


「……耳が痛いな」


さくらも、ローラも、思わず笑った。


その瞬間、ジェシカが胸を張った。


「This is when I say Japanese.」

(ここで日本語を言うところですね)


北斗が嫌な予感で振り返る。


「何を?」


ジェシカは一平の方を向いて、はっきり言った。


「なんでやねん」


病室に、小さな笑いが広がる。


続けて、ジェシカはローラに向かって言った。


「おばちゃん」


ローラが目を丸くする。


「What did she call me?」

(今、何て呼んだの?)


北斗が慌てて説明する。


「えっと、日本語で……お母さん世代の女性に、親しみを込めて言うこともあるけど、使い方注意の言葉」


ジェニーが吹き出した。


「Jessica, did you just casually call Mom an auntie?」

(ジェシカ、今お母さんを普通に“おばちゃん”って呼んだの?)


ジェシカは真剣に頷く。


「Yes. Useful Japanese.」

(うん。実用日本語)


一平が、痛みに気をつけながら小さく肩を震わせた。


「……北斗……責任重大やぞ……」


北斗は頭を抱える。


「ちゃんと説明したはずなんだけど」


ジェシカはさらに畳みかける。


「知らんけど」


今度はさくらまで笑った。


ローラも意味を聞いて、少し遅れて笑った。


「I like that one.」

(それ、いいわね)


ジェニーが言う。


「Mom, you’re not allowed to use that in meetings.」

(お母さん、会議でそれ使っちゃだめだからね)


「知らんけど」


ローラが真似して言った。


病室に、久しぶりに声を出す笑いが広がった。


一平は大きく笑えない。

それでも、その笑いの中にいて、胸の奥が少しだけ温かくなった。


傷は消えていない。

痛みも消えていない。

失われた人たちが戻るわけでもない。


それでも、今この瞬間だけは、病室に笑いがあった。


ローラは笑いが落ち着いたあと、一平に言った。


「We don’t know what our lives will look like from now on.」

(これからの生活がどうなるのか、私たちには分かりません)


一平は静かに頷いた。


「But I hope our families can stay connected.」

(でも、私たちの家族同士がつながっていられたらと思います)


さくらが答える。


「私も、そう思います」


ジェシカと北斗は顔を見合わせた。


ジェニーが二人を見て言う。


「Looks like you two started an international support group.」

(二人で国際支援グループ始めたみたいね)


北斗が少し得意げに言う。


「名前つける?」


ジェシカが即答した。


「なんでやねんクラブ」


北斗が吹き出す。


「それはだめ!」


ジェニーが笑う。


「I vote yes.」

(私は賛成)


ローラも微笑んだ。


病室の外では、まだ悲しみが続いている。

廊下では誰かが泣き、医師たちは忙しく歩き、テレビでは戦争と復旧のニュースが流れている。


でも、この病室では、傷ついた家族同士が少しだけ寄り添っていた。


一平は、北斗とジェシカを見る。


そして、かすれた声で言った。


「……ええ友達やな」


北斗は頷いた。


「うん」


ジェシカも、少し照れたように笑った。


その笑顔は、事件の前とまったく同じではない。

きっと、もう同じには戻れない。


でも、同じではない笑顔でも、人は笑える。


そのことを、この日の病室は教えてくれた。

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