↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの日空が裂けた  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/59

小さな見舞い客

 第38話

 小さな見舞い客


 一平の病室に、北斗がやって来た。


 その隣には、金色がかった髪を後ろで結んだ女の子がいる。

 ジェシカだった。


「お父さん、連れてきた」


 北斗は少し誇らしげに言った。


 ジェシカは緊張した顔で、けれどきちんと一平に向かって頭を下げた。


「Hello, Mr. Akita. I’m Jessica.」

(こんにちは、秋田さん。ジェシカです)


 一平は酸素マスク越しに、かすかに目を細めた。


「……北斗の……友達か」


「Yes. He teaches me very dangerous Japanese.」

(はい。北斗が、かなり危険な日本語を教えてくれます)


 北斗が慌てる。


「危険じゃないよ!」


 ジェシカは真顔で続けた。


「なんでやねん」


 一平の口元が、ほんの少し動いた。


「……発音……ええな」


 ジェシカはぱっと明るくなった。


「Thank you! Also… おばちゃんに、知らんけど、ちゃいまんがな」


 北斗が吹き出した。


「一気に出すなって!」


 一平は痛みで大きく笑えなかったが、目だけが笑っていた。


「……北斗……何を教えとるんや……」


「実用日本語」


「……絶対……違う……」


 病室に、小さな笑いが生まれた。


 ジェシカは少し表情を落ち着けると、静かに話し始めた。


「My mom was near the attack too.」

(私のお母さんも、あの事件の近くにいました)


 北斗が横で、黙って聞いている。


「She was working nearby. The explosion hurt her badly. Her right knee was broken.」

(近くで仕事をしていて、爆発に巻き込まれて、大けがをしました。右膝を骨折したんです)


 一平の目が、わずかに揺れた。


「……お母さんも……」


 ジェシカは頷いた。


「She’s in this hospital. My dad works, and my sister Jenny and I help at home. We help take care of Mom too.」

(この病院に入院しています。お父さんが仕事をしながら、姉のジェニーと私も家でいろいろ手伝って、お母さんの看病もしています)


 子どもの声だった。

 けれど、その言葉の中には、あの日から急に背負わされた重さがあった。


「After this, I’m going to visit her.」

(このあと、お母さんのお見舞いに行きます)


 一平は、ゆっくり息を吸った。


 肺が痛む。

 それでも、言葉を出した。


「……お母さんに……伝えてくれるか」


 ジェシカが顔を上げる。


「はい」


「……一緒に……頑張ろうって」


 ジェシカの目に、涙が浮かんだ。


「I will.」

(伝えます)


 北斗は父の左手をそっと握った。


「お父さん、ジェシカのお母さんも頑張ってるんだよ」


「……そうか」


「だから、お父さんも頑張って」


 一平は、北斗の手をほんの少しだけ握り返した。


「……頑張る」


 ジェシカは涙を拭って、もう一度真顔に戻った。


「Mr. Akita. One more Japanese.」

(秋田さん。日本語、もう一つ)


 北斗が嫌な予感の顔をする。


「何?」


 ジェシカは胸を張って言った。


「ぼちぼちでんな」


 一平は今度こそ、痛みをこらえながら小さく笑った。


「……それは……誰に教わった……」


 北斗が目をそらす。


「……ちょっとだけ」


「北斗……おまえ……商人にする気か……」


 ジェシカは意味を完全に分かっていないまま、にこっと笑った。


 病室の外では、まだ悲しみが続いている。

 この病院の中にも、帰れない人、歩けなくなった人、待ち続ける家族がいる。


 けれど、その一室にだけ、小さな笑いが灯った。


 それは事件を消す笑いではない。

 痛みをなかったことにする笑いでもない。


 それでも、生きている人間が、もう一度息をするための笑いだった。


 ジェシカは帰り際、病室のドアの前で振り返った。


「Mr. Akita. Please get better. Hokuto needs you.」

(秋田さん、よくなってください。北斗にはあなたが必要です)


 一平は静かに頷いた。


「……ありがとう」


 北斗はジェシカと並んで病室を出る。


 廊下を歩きながら、ジェシカが小さく言った。


「Your dad smiled.」

(お父さん、笑ったね)


 北斗は目を赤くしながら、でも少し誇らしげに笑った。


「うん。笑った」


 その笑顔は、まだ弱かった。

 けれど確かに、前へ進むための小さな一歩だった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。