第十七話「宣戦布告」
一
「案件……じゃないんですけど、これ渡されて」
只野人志が、困惑した顔で一通の封筒を持って事務所に入ってきた。
「渡された?」
安倍葛乃が顔を上げた。只野は封筒を眺めながら、首を傾げていた。
「外で知らない人に呼び止められて、これを渡してくれって。宇治神さん宛てって言われたんですけど」
宇治神燈夜はデスクから立ち上がり、只野に近づいた。封筒を受け取る。何の変哲もない白い封筒だった。差出人の名前はない。
「どんな人物だった」
「えっと……普通の人でしたよ。特に怪しい感じはなくて」
燈夜は封筒を開けた。三峰静華が近づいてきた。
中から出てきたのは、一枚の便箋だった。丁寧な、しかしどこか歪んだ筆致で文字が綴られていた。
二
燈夜は文面に目を通した。
読み進めるにつれて、その表情が変わっていった。
「宇治神さん」
三峰が横から覗き込んだ。燈夜は無言で便箋を三峰に渡した。三峰も目を通し始めた。その顔が、次第に強張っていった。
葛乃は二人の様子を見て、不安になった。
「何が書いてあるんですか」
燈夜は少し間を置いてから、便箋を葛乃に渡した。
葛乃は文字を追った。
感謝の言葉から始まり、次第に批判に変わっていく文面。浄化、移送、鵺を取り逃がしたこと。それらが失態として書き連ねられている。
そして最後の一文。
我々は、新たなる武器を手にした。もはや貴殿らに頼る必要はない。この世に巣食う妖怪どもを、我々自身の手で、根絶やしにする。これ以上、我々の障害となるならば、容赦はしない。
差出人は、常世会。
葛乃の手が、僅かに震えた。
三
「これ、常世会って書いてありますけど……なんですか、それ」
只野が横から覗き込みながら聞いた。誰も答えなかった。只野は困った顔で、燈夜と三峰を交互に見た。
「あの、僕何かまずいものを受け取っちゃいました?」
「只野」
燈夜が言った。
「その封筒を渡した人物の特徴を、詳しく教えてくれ」
「え、えっと……普通の格好でしたよ。年齢は三十代くらいで、特に変わったところはなくて」
「顔は覚えているか」
「うーん、あんまり印象に残ってなくて……すみません」
燈夜は小さく息を吐いた。只野は申し訳なさそうに頭を掻いた。
葛乃はまだ便箋を見つめていた。
「常世会って、勾陳様の時の……」
「そうだ」
燈夜が答えた。
「やすらぎの家の裏にある組織だ」
「それが、私たちに宣戦布告してきたってことですか」
燈夜は答えなかった。三峰が便箋を受け取り、もう一度読み直した。
「新たなる武器、というのが気になります」
「木札に代わる何かか」
「わかりません。ただ、これまでよりも強気な文面です。何かしらの根拠があるはずです」
燈夜は窓の外を見た。夜の都市が広がっていた。
四
その夜、事務所に芦屋道雄が呼ばれた。便箋を見せられた芦屋の顔から、いつもの笑みが消えた。
「新たなる武器、ですか」
「先生の知見で、何か思い当たることはありますか」
芦屋はしばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「木札の技術は、私が長年かけて確立したものです。これに匹敵するものを他の誰かが作れるとは、正直考えにくい」
「では、全く別のものだと」
「かもしれません。あるいは……」
芦屋は言葉を濁した。燈夜が芦屋を見た。
「あるいは?」
「いえ、まだ憶測の域を出ません。もう少し、調べさせてください」
芦屋の表情には、いつもの好奇心に満ちた輝きはなかった。ただ、深刻な影だけがあった。
五
その夜、葛乃は一人で便箋の内容を思い返していた。
感謝から始まり、失望に変わり、決別と脅迫で終わる文面。常世会という組織の歪んだ思想が、行間から滲み出ているようだった。
妖怪を消すことこそが正義。それを疑わない者たちが、新たな武器を手に、これから何をしようとしているのか。
葛乃は窓の外を見た。
夜の街に、いつもと変わらない明かりが灯っていた。でもその向こうで、何かが動き始めている気配がした。
燈夜のデスクを見た。燈夜はまだ帰らず、便箋をもう一度読んでいた。その横顔に、これまで見たことのない緊張感があった。
只野は隅のデスクで静かに座っていた。いつもの営業スマイルはなかった。ただ、窓の外を見ていた。
葛乃はその横顔に、一瞬だけ違和感を覚えた。
でもすぐに、只野は葛乃の視線に気づいて、いつもの笑顔に戻った。
「なんか、大変なことになりましたね」
「……そうですね」
葛乃は曖昧に答えた。
事務所に、静かな緊張感が満ちていた。
常世会からの宣戦布告。
これから何かが、大きく動き出す。
葛乃はそれを、肌で感じていた。
第十七話 了
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次話もお楽しみに!
康公




