第十四話「名のある大妖怪」
一
事務所に戻ってから、燈夜は芦屋道雄を呼んだ。
芦屋はいつものように白衣姿で現れ、デスクに道具を広げながら話を聞き始めた。
「それで、どんな残滓でしたか」
「形が定まらない。猿のようで、蛇のようで、虎のようで、何でもないような。見ようとすると視線が滑る」
「ほうほう」
「木札が全く効かなかった。光を出した瞬間にかき消された」
「ほうほうほう!」
芦屋の目が輝き始めた。
「それは面白い! 通常の残滓なら木札に反応するはずですが、それが全くないということは相当格の高い存在ですね! どのくらいの大きさでしたか? 気配の密度は? 音はしましたか?」
「音はした。工場の壁と床が軋んだ」
「壁と床が!? それは相当な圧ですよ! いやあ、これは大物ですねえ! どんな妖怪の残滓なんでしょう! 私が今まで見てきた中でも最高レベルかもしれません!」
芦屋は興奮のあまり、デスクの上の道具を引っくり返した。
安倍葛乃は芦屋のテンションについていけず、燈夜を見た。燈夜は黙ってコーヒーを飲んでいた。
二
「それと」
燈夜が続けた。
「葛乃に向かって動いた残滓が、葛乃の前で止まった。そのまま葛乃の周りを渦巻くように動いた」
芦屋の動きが止まった。
「……葛乃くんの周りを」
「ああ。害は与えなかった。ただ、確かめるように動いていた」
芦屋は少し考え込んだ。それから、燈夜を見た。
「形が定まらない。木札が効かない。葛乃くんに反応した……」
芦屋の顔から、少しずつ笑みが消えていった。
「待ってください」
声のトーンが変わった。
「その存在、常世会が消そうとして暴走したと言いましたね」
「そうだ」
「いつの世も消えずに存在し続けている、と感じましたか」
「……ああ」
芦屋は白衣のポケットにスッと手を突っ込んだ。
「宇治神くん」
「なんですか」
「もしかして、それは……鵺ではないですか」
三
事務所に静寂が落ちた。
葛乃は芦屋を見た。芦屋の顔は、先ほどまでとは全く違っていた。興奮した奇人博士の顔ではなく、深刻な表情をした専門家の顔だった。
「鵺、というのは」
葛乃が聞くと、芦屋はゆっくりと答えた。
「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎。そう言われている妖怪です。源頼政に退治されたという伝説が有名ですが……実際には消えていない」
「消えていない?」
「現代人は鵺を知らない。忘れている。普通の妖怪なら、忘れられた時点で消えるはずです。しかし鵺は違う。なぜか消えずに、いつの世も存在し続けている」
「なぜ消えないんですか」
芦屋は少し間を置いた。
「それが……わからないんです。私も長年研究してきましたが、鵺が消えない理由だけは解明できていない」
葛乃は燈夜を見た。燈夜は何も言わなかった。ただ、芦屋を見ていた。
「鵺は、危険ですか」
「非常に。通常の木札では全く歯が立ちません。鵺は人間の畏れや信仰とは別の次元で存在している。それだけ格が違う」
芦屋は深く息を吐いた。
「しかも今回は残滓化している。鵺本体ではなく残滓ということは、常世会が消そうとして逆に暴走させた可能性が高い。残滓化した鵺は……正直、私も対処したことがない」
四
芦屋が葛乃を見た。
いつもとは違う目だった。ニヤニヤした奇人の目ではなく、何かを測るような、鋭い目だった。
「葛乃くん、一つ確認していいですか」
「はい」
「鵺の残滓に触れた時、どんな感覚でしたか」
葛乃は少し考えた。
「怖かったです。でも、害を感じなかった。引き寄せられるような、懐かしいような……うまく言葉にできないんですが」
「懐かしい」
芦屋は小さく呟いた。目が、僅かに揺れた。
燈夜が芦屋を見た。三峰静華も書類から顔を上げ、芦屋を見ていた。
「先生」
燈夜が静かに言った。
「何か、わかりましたか」
芦屋はしばらく黙っていた。それから、葛乃を見て、燈夜を見て、また葛乃を見た。
「……いえ」
芦屋は視線を外した。
「まだ、確信が持てません。もう少し調べさせてください」
葛乃には、芦屋が何かを言いかけて止めたように見えた。燈夜も三峰も、何も言わなかった。
その沈黙が、葛乃には少し怖かった。
五
芦屋は一晩かけて木札を作った。
翌朝、燈夜に渡しながら言った。
「これが私にできる最大限です。ただし……」
「ただし?」
「鵺の残滓を完全に消すことはできません。鎮めることが精一杯です。それも、葛乃くんの力が必要になるかもしれない」
「葛乃の力が」
「鵺が葛乃くんに反応した。それは偶然ではないはずです。詳しくはまだ言えませんが……葛乃くんがいることで、木札の効果が増す可能性があります」
燈夜は芦屋を見た。芦屋は視線を逸らした。
「先生」
「今は、これ以上は言えません。すみません」
燈夜は少し間を置いてから、木札を受け取った。
「わかりました」
六
夜、燈夜と葛乃の二人で廃工場に向かった。
只野人志は事務所での留守番を命じられた。
「え、今回は僕留守番ですか」
「連絡係を頼む」
「……わかりました」
只野は素直に頷いた。
廃工場に着くと、前回と同じ重い空気が漂っていた。葛乃は深呼吸した。燈夜が木札を構えた。
工場の奥に進む。
それは、まだそこにいた。
形のない、巨大な気配。前回より濃い。前回より重い。壁が軋む。床が震える。
燈夜が唱えた。
芦屋の新しい木札が光った。前回より強い光だった。
しかし鵺の残滓は、その光を受けて更に膨れ上がった。
光が押し返される。燈夜が後退する。もう一歩。また一歩。
「宇治神さん!」
葛乃が叫んだ。
燈夜が膝をついた。
木札の光が、消えかけていた。
第十四話 了
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次話もお楽しみに!
康公




