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第十二話「影の輪郭」

 三日目だった。

 宇治神燈夜うじがみとうやは喫茶店の窓際の席に座り、やすらぎの家のビルを見ていた。コーヒーはもう三杯目だ。店員が気を利かせて何も言わないのが、ありがたかった。

 この張り込みのことは、誰にも言っていない。

 三峰には常世会じょうせいかいの調査を続けると伝えてある。しかし具体的な行動については報告していない。独断だということはわかっていた。それでも、自分の目で確かめなければならないことがあった。

 燈夜は煙草を一本取り出し、火をつけた。

 やすらぎの家の裏口を、じっと見つめた。


 一日目は収穫がなかった。

 二日目も同じだった。裏口から出入りする人間はいたが、見覚えのある顔はなかった。

 しかし三日目の夕方、それは起きた。

 裏口のドアが開いた。出てきたのは、四十代と思しき男だった。

 燈夜は目を細めた。

 見覚えがある。北関東の集落で、やすらぎの家の関係者として接触してきた男だ。勾陳こうちん様の一件で逃げた幹部。ナンバープレートを控えたが、その後行方がわからなくなっていた人物だ。

 やはり、ここに繋がっていた。

 男は周囲を確認してから、路地の奥に向かって歩き始めた。燈夜はコーヒーカップを置き、立ち上がった。


 燈夜は距離を保ちながら、男の後をつけた。

 住宅街の路地を抜け、古い倉庫が並ぶエリアに入る。人通りが少なくなった。燈夜は物陰に身を潜めながら、男の動きを追った。

 男が足を止めた。

 倉庫の一つの前だった。古びた鉄扉の前に立ち、スマートフォンで何かを確認してから、扉を叩いた。

 内側から扉が開いた。

 出てきたのは、黒い服を着た人物だった。

 顔が、見えなかった。

 目元を完全に覆う黒いアイマスク。帽子を目深に被り、マフラーで口元まで隠している。真夏でもないのに、肌が一切露出していない。身長は平均的だったが、それ以外の特徴が何もわからなかった。

 燈夜は息を止めた。


 男が頭を下げた。

 覆面の人物は何も言わなかった。ただ静かに立っていた。その佇まいに、異様な存在感があった。圧力と言うより、空白のような感覚だった。そこだけ空気が違う。

 男が何かを報告しているらしかった。低い声で、早口に話している。燈夜には聞き取れない距離だった。

 覆面の人物は微動だにしなかった。

 報告が終わると、覆面の人物は僅かに頷いた。それだけだった。言葉は発していない。

 男がまた頭を下げ、来た道を戻り始めた。

 燈夜は物陰で息を潜めた。男が通り過ぎていく。

 覆面の人物は、しばらくその場に立っていた。

 それから、燈夜がいる方向を向いた。

 燈夜は動かなかった。物陰の暗がりの中で、息を殺した。

 覆面の人物の顔が見えない。アイマスクの奥に何があるのか、わからない。

 それでも燈夜は感じた。

 見られている。


 数秒が、数分のように感じた。

 覆面の人物は、そのまま倉庫の中に戻っていった。鉄扉が、静かに閉まった。

 燈夜は暗がりの中で、しばらく動かなかった。

 心臓が、普段より速く打っていた。自分でも気づかないうちに、手が上着の内ポケットの木札きふだに触れていた。

 あの人物は何者だ。

 やすらぎの家の幹部でもない。構成員でもない。あの存在感は、組織のトップのものだ。

 常世会のボスか。

 燈夜は倉庫を見た。錆びた鉄扉、薄汚れた外壁。何の変哲もない古い倉庫だった。しかしその中に、あの覆面の人物がいる。

 今すぐ踏み込むことはできない。単独だ。装備も十分ではない。何より、相手の力量がわからない。

 燈夜はきびすを返した。

 今日はここまでだ。


 事務所に戻ったのは、深夜近くだった。

 電気がついていた。三峰静華みつみねしずかが一人、デスクで書類を見ていた。

「遅かったですね」

「少し調べることがあった」

「どこへ行っていたんですか」

 燈夜は少し間を置いた。

「やすらぎの家の周辺だ」

 三峰はペンを置いた。燈夜を見た。

「独断ですね」

「そうだ」

「何か見つかりましたか」

 燈夜はデスクの椅子に座り、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。

「勾陳様の一件で逃げた幹部を確認した。やすらぎの家と繋がっていることは間違いない」

「それだけですか」

 燈夜は少し間を置いた。

「もう一人いた。顔が見えなかった。完全に覆面をしていた」

 三峰の目が、僅かに動いた。

「覆面」

「ああ。幹部がそいつに報告していた。おそらく……常世会のボスだ」

 三峰はしばらく黙っていた。

「顔は」

「わからなかった。ただ」

 燈夜はコーヒーカップを手に取った。

「こちらの存在に気づいていたかもしれない」

 三峰の表情が、僅かに硬くなった。

「……単独での行動は控えてください、宇治神さん」

「わかっている」

「わかっているとは思えませんが」

 燈夜は答えなかった。コーヒーを一口飲んだ。

 事務所に静寂が落ちた。

 覆面の人物の、空白のような存在感が、まだ頭の中に残っていた。


第十二話 了

ここまで読んでいただきありがとうございます!

面白いと思っていただけたら、感想・ブックマーク・評価をいただけると励みになります。

次話もお楽しみに!


 康公こうこう

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