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どうしよう。わたしは途方に暮れた。脳裏に浮かんだのは、やはりひとりだけだ。家にいるといいのだけれど。
わたしからの連絡を受けて、意外にも早く隼人はやってきた。事情を話すなり、笑われてしまった。
「春江さんも、空の上で笑ってるかもな」
「笑い事じゃないって」
「んー、でもさ、食べ物じゃないってわかったら、どっかその辺に捨てるんじゃないか?」
「そうだとは思うけど……」
「金目のものでもないし、他人から見れば、ただの日記だぞ。誰かが拾ってくれるって。それに、そう遠くにはいってないだろうよ」
どこまでも隼人は楽観的だ。
ノラネコにごきげん通帳を盗まれるなんて、確かに笑える出来事だ。ひょっとすると、おばあちゃんの差し金ってこともあり得る。そう思えるくらい、ちょっとおかしな事件だ。それでも、心のどこかで、できるならもう一度、あのノートを胸に抱きしめたいと願っていたのも事実だ。
「日高さんにも話しとく。あの人ならネコの縄張りとか散歩道とか、よく知っているだろうから。心配しないで図書館に行ってこいよ、今日、仕事あるんだろ?」
「お願いできる?」
「ああ、任せとけって」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「なあにが、お言葉に甘えてだよ。そんな柄じゃないだろ、おまえ」
「うっさいなあ、もう」
たまに下手に出ると、コレなんだから。
わたしは、あとのことを全部、隼人に任せて家を出た。
働いている間もごきげん通帳の行方が気になった。図書館の行き帰りも、ネコが通りそうな農道や鎮守様の森、商店街などに寄って探してみたが、見つからないまま一日が過ぎた。
翌日は金曜だったけれど、その日、図書館は静かだった。午後から急に雨が降りはじめたせいか、放課後にやってくる学生たちがいつもより少なかったのだ。わたしは返却カウンターの整理を終えてから、新着本を棚に入れる作業に移った。
背表紙を一冊ずつ確認しながら並べているとき、ふと、ある本が目にとまった。タイトルは『暮らしの記』。著者は昭和初期の随筆家で、日々の細々したことを書きとめた日記文学らしい。誰かが読んで返してくれたらしく、少しページがひらいている。なんだか気になって、ほんの数行だけ読むつもりで、わたしは立ったままページをめくった。
冬の朝に窓を拭いたこと。豆腐屋のラッパで目が覚めたこと。庭の南天の実が赤くなっていたこと。なんてことのない一日が、文字になって残っている。書いたひとは数十年前に亡くなっているのに、生き生きとした生活ぶりがこちらにまで伝わってくるようだった。おばあちゃんのごきげん通帳と似ているなって、ほほ笑ましかった。
随筆とただの日記、向こうは名の通った文豪で、こちらはただのおばあちゃんだ。でも、書こうとしていたことは同じだったのかもしれないなあって思った。
それは今日、自分がここに生きていたという、その証だ。日記という形式がずっと続いてきたのは、そういう理由があるためだったのだろうか。誰かに見せるためでも、後世に残すためでもなく、自分のために。
図書館には、誰かの一日が、何万冊も並んでいる。もしかして、わたしのごきげん通帳もいつか誰かに拾われ、誰かの目にとまり、どこかの街の図書館や書店の棚に並ぶことがあったりして。ネコに盗まれた今となっては、あながち冗談でもない話だ。
――なんて想像をつい、してしまった。
「藤原さん、そっちの棚もお願いできますか」
先輩のスタッフに声をかけられ、考えが中断された。ドキッ。やばい。わたしは素知らぬ顔で「はい」と返事をして、その本を棚に返した。
閉館時間になって仕事が終わり外に出ると、雨はすっかり上がっていた。湿った空気の中に、金木犀のにおいが混じっている。
今日のごきげんは、これにしよう。百年前のひとの日記と、金木犀。わたしは自転車をこぎながら考えた。




