3話 指輪
すべてを委ねる決断は王子の時と何が違うのだろうか。
「気持ちはとても嬉しいけど、私はあなたのことを何も知らない。だからさっき私が言ったこと中止にしたい。私は王子と話をして真実を知りたい」
エイプリルの言葉で私は救われた。今もエイプリルには感謝しているが私は未だに王子のことを尊敬している。王子の口から本心を聞くまではエイプリルに甘えるわけにはいかない。
「そういうことなら仕方ない。マージ、指輪を持ってきてくれ」
店員が彼に指輪を渡す。それを指にはめると店員がナイフを手に彼に向かって突き刺した。力を込めて肌に刺したはずが弾かれて壁にナイフが突き刺さる。
「これは身を守る為のものだよ」
私の手を取ると彼は指輪を左手の人差し指に通した。先程まで彼の指に着けられていた指輪は私のサイズに合わせて変形していく。
「なんで私に?」
「プレゼントだよ」
「ありがとう。私もう一度王子と会ってくる! きっと事情があると思うの」
「行ってきな」
「うん、色々ありがとう!」
私は店を飛び出すと城に向かって走り出した。顔を隠しながら人混みを抜けて廃屋まで来ると昔を思い出す。この廃屋に来るまで乗り物で移動しながら苦労した記憶がある。特別な能力もない私がこの世界に放り出されて、初めて感じたのが空腹や手足の痛みで直後に現実を理解した。孤児だった私に住む家と教育を与えてくれた王子が婚約を申し込んだのは奇跡としか思えない。前世から家族のいない私には王子の言葉が救いになっていた。
『サクラギ・クラゲ? それが君の名前か? 変わった名前だな』
『私の……知り合いはね。私をサクラと呼ぶの……』
『それなら今日からお前はサクラだ』
入学時に私は王子から言われたことがあった。
『十二歳になった時に私から迎えに行く』
『それってどういう』
『家族になろうってことだよ、多分な』
学校に通うようになっても私は一人だった。
『サクラ、友達の一人もいないのかよ』
『すみません』
『そうそう。彼がスフェン・パール。私の友達だよ』
『よろしくお願いします。サクラギ・クラゲ』
『えっと』
『どうしました?』
『いえ、そうじゃなくて……私友達ってどう話せばいいかわからなくて』
『そんなの気持ちのままに話せばいいんですよ』
『そうだよ。サクラは気にしすぎなんだって』
婚約が成立した時は幸せだった。
『スフェン!』
『サクラか。そんなに慌てて……嬉しそうだね』
『だって! ようやく彼との婚約が決まったんですよ!』
『ああ……そういえば二人って婚約するって話でしたね。王子は他に何か言っていた?』
『父上から話があると言ってから彼とは会ってはいません』
『いや、婚約が決まったのならいいんだ』
十二歳の誕生日に私と王子は一緒になって笑い合う予定だった。
『婚約……決まったな』
『はい……えっと、体調が悪いのですか?』
『違う。すまない、一人にさせてくれないか?』
以後、王子は私と話すことを避けるようになる。話す機会はあっても彼の周囲には常に他の女性がいた。私はもう一度王子と会って話をしたかった。
防壁を見上げていると私は兵士達の声が聞こえて咄嗟に木陰に隠れる。婚約破棄をして今更どんな顔をして王子に会いに行くのかわからない。そんな私は話し声に耳を澄ます。
「そういえばジューン・ブライド第二王子の元婚約者。あのサクラギ・クラゲが自殺したんだとよ」
動揺した私が足音を立てると兵士が一瞬こちらを見た。木陰で息を殺す私の近くから先程の店員が飛び出す。見回りをしている彼らは「お、マージじゃないか。元気にしてたか?」と言って肩を叩く。
「体力が有り余って困ってるよ。じゃあ、俺はここで」
去っていくマージという男性の後ろ姿を兵士達が眺める。
「あいつ急に出てきて……なんだったんだ?」
「さあ? あ、悪い。聞いてなかった。自殺がどうのって」
「ジューン・ブライド第二王子の婚約者だった女性が自殺したんだってさ。婚約破棄で憔悴して倒れたらしいから、それが原因だろうな。可哀想に」
「ああ、我々庶民の希望がな……そこまで追いつめるなんて王子は何を考えているんだか」
「それが王子は事前に婚約破棄の話を伝えていたらしいんだ。庶民と王族じゃ婚約者になれないと言っていたのに聞いてくれなくて困っていたんだと」
婚約を申し込んできたのは王子で私は頷いただけだ。それに王子は『父上は納得してくれないかもしれないが、君なら絶対私の婚約者に相応しい』と言ってくれていた。
「悲しい結末だ」
離れていく兵士達を見ながら困惑していた。
私が自殺したことになっている。これは王子に会って確かめる必要がある。そして会う為には考えるしかない。今この場で死んだはずの私が見つかったら混乱が起きると思う。兵士の話とエイプリルの話が真実なら捕まった場合私は殺される可能性がある。末端の兵士まで話が広がっているということは王族含めて、すべての人間に知れ渡っていると考えていいだろう。
「……もう、やるしかない」
辺りが暗くなると兵士の動きを見ながら防壁に沿って歩く。遠くの松明を持った兵士を見ながら隠れ家に入る。暗闇の中を手探りでカビだらけの棚を見つけると足元にある床に乗ってみた。遠くで小さな音が聞こえると棚を掴んで横に移動させる。軽く力を入れるだけで棚が動き始めた。
「変わってないね」
七歳の頃王子と一緒に遊んだ場所だ。木造の家は埃とカビだらけで入るのも躊躇するほどだったが、実際に触れてみると埃やカビも精巧に作られた偽物でしかなかった。以前は私と王子が一緒に乗っていたが、今は私一人だけで重さは足りている。
「今更戻るわけにもいかない……」
棚から現れたのは地下へと続く階段で私は石壁に手を当てながら歩き始めた。迷路のように入り組んだ地下通路で右手を石壁に触れながら進む。途中壁面にある大きさの異なる石壁を押すと別の道が現れた。先を急ごうと足を動かした瞬間、突然首に何かが当たって転んでしまう。
「いっ ん? 痛くない……」
指輪のおかげか後頭部が地面と衝突したのに痛みはない。起き上がって歩こうとすると目の前に誰かがいる。
「なるほどね。情報通りか」
聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
「何を!」
「さよなら」
暗闇の中現れた二人の女性が言い争いをしている様子を眺めていると、急にもう一人の声が聞こえなくなる。
「あの……あなた達は?」
「悪かったね。私はセラン・アリー」
「その声どこかで聞いたような」
「待って明るくするから」
彼女が松明をつけると急に私の足元に死体が現れた。突然の出来事に声すら上げられずに黙っていると彼女は私に松明を持たせる。その間彼女は地面に転がる死体の持ち物を漁っていた。
「少し待ってね」
顔まで覆っている黒い服装で何者か判断できない。
「あの……え」
彼女に声をかけようとして自分の服を見ると血が付着していた。服の血や地面を流れる血に動揺して呼吸ができなくなって倒れそうになる。
「どうしたの?」
「いえ……なんでもないです」
心配そうに呟く女性から離れて呼吸を整える。彼女は私に向き直ると「王子様と会いたいんでしょ」と言って立ち上がった。
「はい……そうですが」
「ちょっと離れて」
私の手を取って彼女は歩き始める。彼女は死体から少し離れると懐から小瓶を取り出す。蓋を開けて死体に投げると私の松明に触れる。
「持ってくれて、ありがとね」
松明を手に取ると死体に投げつけた。勢いよく燃え盛る死体から目を逸らす。
「急ごうか」
「待ってください……この人は」
「……気にしなくていいよ。あれはサクラギ・クラゲということにする。あなたは今からサフィア。そう名乗って。エイプリルから大体は聞いているの。あなたの手助けをしてくれって」
状況が理解できなかった。
「私には話が」
「仕方ないか。よく聞いてね。私はオリタビア王国の諜報機関に所属する隊員なの。そしてセテロレビ帝国に所属する隊員でもある。つまりは二重スパイ。私の役目としてはあなたの手助けなの。そこにいるサフィアの死体を偽装すれば安全に王子と接触できるはず」
「……同僚を殺して何も思わないの?」
「随分と優しい世界に生きていたんだね。そりゃ多少可哀想だとは思う。でも、それだけだよ。サフィアだって立場が違えば私を同じように殺していた」
私の行動で人が死ぬのかと思うと怖くなってきた。エイプリルを信じられなかったのは事実だが、ここまで聞けば私の命が狙われているのは疑いようがない。




