12話 唇
「見てましたよ」
「何気なく見ていただけなんです。恥ずかしいな」
「そんなことないですよ。誰も責めないので存分に見ましょう」
「やめてください!」
オクトリに連れられて部屋に到着する。
「私を困らせて楽しむとか趣味が悪いです」
「……あなたを焚き付ければジェイドは余裕がなくなって困ります。それが楽しいわけです」
「ジェイドのこと好きなんですね」
「嫌いならここにはいませんよ」
私が部屋に入るとオクトリは去っていく。室内は豪華な飾り付けがされていた。大きなベッドに綺麗な時計と姿見がある。近づくと私は自分の頬に触れた。そうして自然とため息をつく。
「どうしたんだ?」
急に暗闇から声がして振り向くとジェイドが立っていた。
「あ、いや……こうして私の顔を見ていると不思議な気分になるんだ。私って誰なんだろうなって」
日本での記憶はあるがほとんど消えている。私は桜木海月という日本人の女性だが年齢はわからない。そして今の私とは大きく違った顔をしていたよう気がする。そのせいか鏡を見ると自分が何者かわからなくて不気味に思えてしまう。
「私もたまに考えることがある。前に私の名前がなかったことを言ったが、このジェイド・モルガナイトも実は偽りじゃないかと思っているんだ。私は見知らぬ人から突然名前を与えられた。幼い頃に親兄弟から名前を呼ばれてきたわけじゃない。未だに本気で自分のことを信じられないんだ」
背を向け鏡越しにジェイドを見つめる。彼の心情を察して弱気になってしまう。励まそうとした言葉はすべて表面的なものでしかなかった。
「……私だって少し怖いよ。どこかに私と同じ顔の人が大勢いるかもしれないのは嫌だ」
「それは私も同じだ」
「ジェイドの幼少期って聞いてもいい?」
「いいよ。そうだな……帝国で私は育った。その後は王国に送られた。そして名無しと呼ばれていた頃にオリタビア王国で私はジェイド・モルガナイトによく似ていることを聞いた。国を陥れる悪魔だと言われたこともあったな」
鏡越しの彼は泣きそうな表情はしていない。逆に私の目からは涙が流れている。自分の涙を拭くと彼の胸に飛び込んだ。突然の出来事に彼はバランスを崩して近くにあるふかふかのベッドに倒れてしまう。
「信じられないのなら私を見てよ! あなたの瞳に映る私はジェイドが好きになった証だ。紛れもない本物が桜木海月を愛してくれた!」
きっと自分を形作るのは数人だけでいい。私を好きでいてくれる人のおかげで今の自分がいる。
「泣いてくれるんだ」
「私が代わりに泣くの」
その一瞬彼の唇が頬に触れる。戸惑って呆然とする私を見て彼は笑う。
「油断しているせいだよ」
「今真剣な話しているんだけど」
「ありがとう」
私を強く抱きしめる彼の心臓の鼓動を聞きながら目を閉じる。
「こうしているとあなたが生きていることがわかる。与えられた命だとしても責められる理由はない。私も同じだから」
体温や心臓の鼓動に僅かな彼の匂いがする。近くで首筋を見ると傷跡が見えた。頬や額にもある。体の傷は分かりやすいが心は見えない。
「もっと嫌なこと吐き出してもいいんだよ」
ジェイドは静かに微笑む。
「私は別に誰も恨んではいない。王国から憎まれても仕方ないと思っている。帝国に利用されていても受け入れた。私には何もないんだ」
ジェイド・モルガナイトは彼の名前だが本人からすると歴史上の登場人物の人生を歩んでいる気分かもしれない。
「何もないわけじゃない。ジェイドが思い詰める必要はないの。限りある人生を大切にして。そうじゃないと悲しいよ」
私はまた涙が出てきた。彼の胸で泣いていると私の背中を撫でる手に気づく。
「大丈夫だよ。泣かないで」
嬉しそうに笑う彼に腹が立つ。
「……なんで私が慰められないといけないの!」
「君が泣いて、怒って……そして笑ってくれるおかげで私は救われる」
彼は私が逃げられないように背中に腕を回す。不安になりながら見つめ合っていると彼の手が私の頭を撫でた。悶々としながら耳に届く優しげな声と慈愛に満ちた眼差しにこの上ない幸せを感じる。肩の力が抜けて目を閉じて眠りにつく。朝起きると私の隣には誰もいなかった。部屋から出ると使用人が朝の準備をしている。他の屋敷よりも使用人の数が少ないのか随分と忙しそうにしていた。
「お手伝いしましょうか?」
それを聞いた数人の使用人が慌てて近寄ってきた。
「やめてください!」
私は使用人達に向かって「やりたいんですよ」と言った。
首を縦に振らない使用人を見て私は腕をまくる。この世界だとやる機会はなかったが、日本では掃除や洗濯に料理と人並みにはやっていた気がする。
他の使用人と喋りながら一緒に食事を作っていく。レシピ通りに作ることは難しくなかった。話を聞いているとジェイドに持っていく料理らしい。私はそのうちの一つを作ることにした。ジャガイモと卵にキノコなどと一緒に他の野菜を入れて作る料理だった。普段は作り置きしておくが今回は熱々を食べさせようと皿に乗せた。使用人達と一緒にジェイドのところまで行くと彼は首を傾げる。
「クラゲ、起きていたのか。それにどうした?」
私が皿を持って彼のテーブルに置く。
「冷めないうちにどうぞ」
困惑していたが彼は素直に口に入れてくれた。
「美味しい。クラゲが作ったのか?」
「ええ、レシピを聞いて作ってみたの」
「料理も上手とは」
嬉しくなっていると急に私の腹が鳴り響く。
「一緒に食べようか」
頷き彼が食べている料理を私も口に入れる。口の中で様々な具材を味わう。味の確認をしなかったが上手にできていたようで安心する。
「半熟もいいな」
「ね! 私は卵なら半熟かなと思ってやってみたんだ!」
「どっちも好きだが、今日のは特別美味しく感じるよ」
オムレツのような料理だが炒めて卵を入れて焼くだけだ。使用人と手伝いながらやったが上手にできて本当に良かった。
そうして横に置いてある私が作っていない他の料理を食べると味の違いに驚く。動かなくなる私を見て彼が「そんなに黙ってどうした?」と呟く。
「……これすごく美味しいよ。困ったな……私の料理より美味しい。めちゃくちゃ恥ずかしい……」
そう私が言うと彼は笑い出した。
「私の使用人が作った料理が不味いわけないだろ。オリタビア王国で一番だよ。それは誰もが知っていることだ」
「そうだよね。毎日ジェイドの為に作っているんだもん。私が勝てるわけないか」
「そしてクラゲの料理は私だけが知っている。こんな感動は私しか味わえない幸福だ。私が美味しいとわかっていればいいことで他と比較する必要はない」
私が作った料理を食べ終わった彼を見て笑ってしまう。
「口元」
「あ」
卵の欠片を私が取ると彼はうつむく。
「……美味しかった。また作ってくれないか?」
「うん!」
食事を済ませて使用人が皿を片付け始めた。一品しか作ってないが私も皿を洗うのを手伝う。使用人達と喋りながら皿を洗っていると背後から突然オクトリが現れる。思わず悲鳴を上げそうになるが彼は気にする様子を見せない。
「それが終わったら着替えを済ませて、部屋で待っているように」
「は、はい……」
私は今更髪を整えていないことに気づく。服も着替えずに彼と一緒の朝食を取っていた。少しだけ落ち込んでいると使用人達が私を取り囲んでいる。首を傾げていると彼女達に連れられて、私が寝ていた部屋に戻されて使用人の服を着せられた。彼女達に渡された銀髪のウィッグと伊達眼鏡をつける。そうして他の使用人がいなくなるとオクトリが現れた。
「着替えたようですね」
「何故この服を私に?」
「ガーネット王国に行くという話でしたよね」




