11話 好意
「少し恥ずかしいね」
心臓の鼓動まで聞こえそうなほど彼が私に近寄る。美しくて品のある彼が髪を揺らす。それを見て私は少し距離を取る。
「どうした?」
「やっぱり私女の子と付き合うより男の子がいいな」
言葉の意味を理解するのに時間はかからなかったようで彼は頷く。
「そうか……帰ったらいいんだな?」
「あ、いや」
動揺している私は彼が手に取ろうとしていた古い本を目にする。古書特有の香りはしなかった。頑丈に作られているのか鉄のような硬さだった。表紙には何も書かれていない。ページをめくるとほとんどの文字は読めなかった。
「これは何?」
「それはオリタビア王国の日常が書いてある。非常に貴重なものだ」
「ねえ? 読めない文字もあるんだけど」
「古い時代のものだから使われなくなった単語が多い。意味も今とは逆になっていることもある。ちょっとだけ難しいかな」
「読めるの?」
彼は古い本を手に取る。
「全部は読めないが当時の話が書いてあるのはわかる。これは日記だな。パール家の人間らしいが名前は書いていない」
「どんな話なの?」
「主に恋の話だ。横恋慕をしてしまったと白状する貴族が、意中の相手に求婚する内容で結局失恋したと書いてある。詳しい情報は本を見てもわからないが、この本を書いた人のは女性だな。その後に息子を生んだと書かれている」
「いつの時代だろ」
「少なくとも今のオリタビア王国ではないな。帝国の話が出てこない。それに年代表記が今と違う。メシストが王だとか書いてあるが、調べてもそんな人物は実在しなかった」
「戦争とかで色々失われたんでしょ」
「そうかもな」
「それで求婚した相手って誰なの?」
「メシストだよ」
「そういう小説じゃないの?」
「あり得るな。婚約者のいる女性が王に会いに行って告白するなんて変だよな。いや、創作なら告白を成功させるか」
「他は?」
「この女性が幸せな毎日を送っているだけで特別珍しいところはないはずだ。私にも読めない部分があるから仕方ないが……」
「そういう古い日記が貴重とされる時代がいつか来るのかな」
「どうかな」
その古い本を彼は机に置く。
「これは特別製で普通綺麗に残ることはない。この本の中身は平凡な日記なのに紙やインクに至るまで、今は存在しない特殊な技術が用いられている」
「そうは見えないけど」
「前に紅茶をこぼしたことがあったけど一切染みなかった。試しに力を入れて破ってみたが元に戻ったよ」
そんな貴重なものを試しに破ることは私ならできない。
「そんなものがあるとは思えないけど」
「それがあるんだよ。あの時君に渡した指輪と同じで一般的にはロストテクノロジーと呼ばれている。王国や帝国でも確認されているが作り方がわからないんだ」
「この指輪って結構貴重なものだったんだ」
「君には死んでほしくないからね」
自分の指輪に触れながら部屋の中を眺める。机と本に写真立てだけしかない。この部屋はベッドも置かれていない。
「ここはなんの部屋?」
「元々はジュライアの部屋だよ」
「そうなんだ。綺麗にしているんだね」
窓からは色とりどりの花々が咲いていた。私はジェイドを見て「ジェイドが来てから部屋のものとか捨てた?」と言った。
「机と本は当時のままだ。他は壊れていて捨てるしかなかった。写真立ても帝国から取り寄せたものだ。彼女のものは何もない……この部屋は普段鍵をかけてしまうから私も使わないんだ」
私は写真立てを持ってジュライアとジェイドを見比べる。
「私はスフェンとよく話をしていたけど、ジュライアのことは聞いたことがなかった。なんでスフェンは隠していたの?」
「聞かれたら言ったと思うよ。あいつはジュライアなことが好きらしいからな」
「本当かな」
「本人はそう言っているが詳しく聞いたことはない。容姿や口調は私と変わらないらしい。本当かは知らんが」
私達は部屋を出てスフェンがいる書斎に行く。
「お、ジュライアか。それにサクラも」
嬉しそうに出迎えるスフェンの態度に違和感を覚える。
「前から聞きたかったことがある。何故私達をかくまっているの?」
スフェンは扉が閉まるのを見て椅子に座る。
「……サクラはおまけだよ。友達なのは間違いないが、そんな理由で王国に逆らうわけない。ジュライアは……私が殺したようなものだからね」
私の知るスフェンよりも大人な感じがした。
「知らなかった……教えてくれたら良かったのに」
「言えるわけないだろ。一年前に私が『本当の家族でもないのに』と言った後にジュライアが飛び降りた」
スフェンが窓の先の城を指差す。この窓から城は美しく輝いている。
「多少強引に目撃者を消したが苦労した」
「相談は……できなかったんだよね」
「ああ……彼女を殺してしまった私がジェイドに頼んでいる。それだけじゃ駄目か?」
「駄目じゃないけどさ……それじゃ一年前まで生きていたんだ。それなのにみんなを騙せるとかすごいよ」
それしか私は言えない。
スフェンはため息をつく。
「褒められるようなことはしていない」
重い空気が流れる。
「私はジュライアと血は繋がっていない。養子としか聞かされていない。父も母も亡くなって彼女を知るのほ私以外にいないんだ。そうじゃないとジェイドをかくまうことはできないからね」
「感謝していいのかな」
ジェイドは複雑そうに呟くと近くにある椅子に座る。
「そういえば旧ガーネット王国には行くのか?」
「今回はちょっと、休みたい気分だ」
「サクラがいるからか。エイプリル・フールとして行くわけにはいかないもんな」
「え、私なんて気にしなくてもいいのに」
「気にするだろ。君は私の屋敷から逃げ出して、その後に死んだことになっている。使用人は私の味方だが万能じゃない。もしものことがあれば君を守れるか心配なんだ」
「それなら私も連れて行けばいい。外の世界も知りたかったし」
困ったように笑う彼はスフェンを見て頷く。
「なるほどね。それなら前に言っていた王国から出ることも叶うわけか。スフェンも何かあった場合に備えてくれよ」
「わかったよ。まったく……」
「ねえ、旧ガーネット王国で何をするの?」
「あの土地にある農産物をオリタビア王国に持って行くだけだ。この国では何も作れないからね。昔は自国で作っていたが別で作らせたほうが安く済む。後はあぶれた奴を王国軍で雇うこともあったかな」
「エイプリル・フールという恐ろしい奴がいるならオリタビア王国には誰も逆らわないからね。まあ……こんなのジェイドの善意で成り立つ不安定なものだ。パール家としては複雑な気分さ」
ジェイドはため息をつくと天井を見上げる。
「ここで私がオリタビア王国を見捨てると困るのは民だ。フェイブ・ブライドは何も困らない。奴は私の性格を知っているんだ」
「ジェイドの優しさを知って利用しようなんて卑怯だよ。そんなこと知ったら……私は帝国まで逃げようなんて言えなくなる」
「ありがとう、クラゲ」
「別に感謝されるようなことは言っていない。私はジェイドの役に立ちたいの。そのぐらいしかできない」
「気持ちだけで十分だよ」
満足していない私をなだめる彼の表情は常に変化する。真剣な時もあれば笑顔でこちらを見つめることも多い。つい間抜けな表情で彼を見ていると窓の外が少しだけ暗くなってきた。夜まで待って私はジェイドの住む屋敷に向かう。手を繋ぎながら扉を開けると彼は「オクトリ、彼女を部屋まで頼む」と言って手を伸ばすと急に一枚の紙が出現する。
「はい。わかりました」
暗闇から突然黒髪の使用人が姿を現す。以前挨拶をした使用人の中にいた気がする。名前までは聞いていなかった。
紙に書かれている内容を読んでジェイドを見ているとオクトリが「行きましょうか」と言った。
「あ、はい」
遠く離れていくジェイドを見ながら歩いているとオクトリが突然小さく笑い始めた。
「何か変ですか?」
「いいえ、後ろばかり見て危ないなと思って……ジェイドはあなたに好かれているようで私も嬉しい気持ちなんですよ」
私は前を向いて歩き出した。
「……そんな見てました?」




