カヌレ・その2
辛党ですか?甘党ですか?
僕たちの住む町は「月見丘町」といい、小高い丘にある。丘を下れば湖につながっており、結構景色もいい。
この地で花園天皇が月見をしたことが、小丘の名前の由来となったらしい。
花園天皇といえば、かの後醍醐天皇の前の天皇。
約700年前のお月見とはどんなものだったのだろう。想像するだけでも雅な世界だ。
そして噂の百花荘とは、月見丘の中間くらいにある集合住宅だ。
それなりに古い集合住宅地で、一階こそテナントが入る仕様だけれど、二階から四階までの部屋は居住用となっており、普通と異なる点として、それぞれに花の名前が冠されている。
ひなぎく、チューリップ、アイリスなどなど。
12戸ある住まい全てだ。201号室〜とか無機質な呼び方ではない。
そんな大家の趣向から「百花荘」の呼び名がついたというわけだ。
今回写真のご依頼を頂いた洋菓子店……店名はまだ決まっていないらしい……は百花荘の一階テナントにあたる。
立地はいいのだが、コンビニや歯医者、薬局など幾らかの変遷を経ており、安定に欠けることで有名な場所だ。
店内は驚いたことに絶賛改装中で、床と壁はきちんと色が塗られていたが、青のビニールシートの上には什器が並び、一つ一つ刷毛で彩色途中だった。
椅子や机のたぐいがあるあたり、イートインも可能なのかもしれない。
やや広めのキッチンだけが完成、というところだろう。
(春のオープンに間に合うのかなぁ?)
疑問を飲み込んで声を出す。
「ええっと、商品と内装の撮影をご希望と伺いましたが……」
どう見ても出来上がってはいない部屋で、僕は少し困ったのが顔に出てしまったらしい。
「まずはイメージのお話だけでもできればと思いまして」
しれっと返される。
店主の名前は小楯花さん。切れ長の目は長いまつ毛に縁取られ、まとめた髪には清潔感が感じられる。
正統派美人さんという印象。それもきちんと大人としての自覚をお持ちのしっかりした雰囲気の女性だ。
歳の頃は25、26くらいだろうか。
「できれば下の名前でお呼びください。ややこしい家の事情が絡んでまして」
「では、花さんで」
家の事情は人によりものすごく複雑だったり、センシティブだったりするので立ち入らない。立ち入りたくない。
さばさばした口調の花さんだが、ひとりでここを切り盛りするのは難しいだろう。他にも運営者がいると見たが、特に口にはしなかった。
僕としては写真のヒアリングが出来るのはありがたいことだし、口出しすることではない。
花さんはキッチンの隅に丸椅子を二つ置いて座るよう促すと、香りの良いアールグレイを三人分淹れた。珍しい透明なガラスの、小ぶりのティーポットだ。茶葉のジャビングする様子が面白い。
あれ?三人分?僕は観察するのは得意だが察するのは遅いのだ。
「あの……花ちゃん、ペンキ……もう足りないかも」
いかにも気弱そうな眼鏡の男性が、いかにも縮こまってますという体でキッチンの入り口から顔を覗かせる。薄桃色のセーターは毛玉だらけな上ペンキの飛沫でどうにも汚らしく見える。
「今から花ちゃんは大事な打ち合わせ!隼は私の隣!」
隼と呼ばれた眼鏡の人は登場時の気弱な所作に反して、俊敏に丸椅子を増やして腰掛ける。
身長だけでいうなら、花さんの1.3倍くらいに見えたが、本人が縮こまっているのでどうも小さく見える。
もじゃもじゃした髪は陽に透けて綺麗な茶色だ。
頬にはペンキの撥ねた跡がついている。丸眼鏡がまるで似合っていない。
「こちらは私の元婚約者で物書きの仕事をしている大河隼です。今は改装を手伝っています。こちらも隼で構いません」
どこから突っ込めばいいかわからないので、ひとまず大きくうなづいた。僕はヒアリングを始めた。隙一つない語りをみせる花さんと、うなづきだけで主張する隼さんと。
その日はそれだけで終わり。長くお付き合いする現場になりそうだった。
*
その次に咲子さんの家におやつのお呼ばれに行ったときには大変な目にあった。
洋菓子、みた?
どんなのあった?
美味しかった?
ほうじ茶を淹れながら咲子さんは矢継ぎ早に質問してくる。
「いや、守秘義務があるから話せないよ」
質問が落ち着いた瞬間を狙って言うと、咲子さんは子どものように頬を膨らませる。
「でも、みることは出来るかも」
ぱあっと咲子さんが笑顔に変わる。
これは花さん公認なので大丈夫である。
単に人手が足りないので、もしよかったら空いている日にでも手伝いが欲しいとのことだった。
男手はもちろん、女性がいるとなお助かるとのことだった。女性には試食をお願いしたいという話だから咲子さんはちょうどうってつけなのだ。
「じゃあお仕事頑張らないとね!遊びのためには投資が必要ですもの」
ときにうっかり忘れそうになるが、咲子さんも現役の仕事人だ。若い頃より相当量は減ったらしいが今も翻訳の仕事を続けている。英語と仏語がメインらしく、評判も良いらしい。
その日のおやつはゆず茶に煎餅だった。たまには塩気のあるものもいいなぁとぼんやり齧っていた。




