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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■11.奪還作戦
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震える身体を

 よくわからないまま、ダフネと名乗る侍女に介抱されていると、外からどたばたと走ってくる音が聞こえる。一瞬だけど、彼女の表情が険しくなったのに、あたしは気づいた。

 けれどそれは確認するまもなく消えて、ダフネはゆっくりと立ち上がる。

 彼女が扉の方を見た、その時だった。


「いるか!」


 部屋の中に飛び込んできたのは、リードだった。

 動きやすそうだけど王子様にはとても見えない軽装に、動きに合わせて揺れている首に巻かれた防寒具みたいな黒い布。たまに身につけてる見た目だけ立派なのじゃなく、ユリシスが持っているような実戦用の剣を抜き放ったまま、彼はあたしの前に現れる。

 その瞬間、あたしの中で何かがぱちんとはじけた。

 はじけた勢いのまま、あたしはダフネもディオンも押しのけるように、走った。軽く転びかけるようによろめきながらも、ただただ両方の足を動かして、あんなに動かなかったのが嘘みたいに距離を詰めて、驚いた様子の彼の身体に飛びかかるように抱きつく。

 少しふらつくリードは、それでもちゃんとあたしを受け止めた。

 背中ではなく首に手を回しつま先立ちになるあたしを、彼はしっかり抱きしめ返す。


「ハッカ……無事で、よかった」


 耳元で聞こえる声、そして荒い呼吸。汗ばんだ肌。微かに聞こえる、早鐘を打つ音、その全てが彼がここまで来るのに、どれだけ苦労をしたのかをじわりじわりと伝えた。

 あたしのために、ここまで走ってきてくれた。

 リードは、ちゃんとあたしを助けに来てくれたんだ。疑ったわけじゃない、でも、疑わなかったわけでもない。希望と期待と不安と疑念がぐちゃぐちゃで、怖くて仕方が無かった。

 クリスティーヌは、あたしから見ても綺麗な人。

 彼女は、リードといろんな意味で釣り合う。

 だから怖かった。

 一瞬想像した光景が、今、現実に行われているんじゃないかって。あたしは彼に、捨てられてしまったんじゃないかって。そうなったらどうなるのか、いろいろ考えて身体が冷えて。

 でも、そんなもの全部、こうしているだけで最初から無かったように消えていく。


「大丈夫だ、俺はちゃんとここにいる」


 言い、リードは背中を撫でてくれる。さっき、ディオンに同じようにされたけれど、あの時感じたものはない。触れられたところから、温かい安堵が全身へと染みるように広がる。

 あたしは、リードじゃなきゃダメだ。

 彼以外はダメなんだ。

 エルディクスがマツリじゃなきゃダメで、マツリも彼でなきゃダメなように。

 この場所じゃないと、いやだ。

 他は安心できない。

「大丈夫だ……」

 リードは剣を鞘に収め、あたしをぎゅうっと抱きしめてくれる。強すぎて少し苦しいぐらいの抱擁に、でもあたしはうっとりと目を細めた。苦しさすら、ウレシイ、という感情になる。

 ――この腕の中が、いい。

 彼だけが、いい。


「殿下。このたびは我が家の坊ちゃんが失礼を……」

 あたしを腕の中に収めたままのリードに、ダフネが深く頭を下げる。

 その姿は彼の、ディオンのお姉さんのように見えた。その傍らに立っていて、どこかバツが悪そうにも見えるというか、ふてくされたようなディオンの表情がそれをさらに強調する。

 もちろん、リードはそんな謝罪で、納得するような人じゃない。

 あたしから身体を離すと、彼はダフネの前に立った。

 一瞬見えた瞳は、まるで燃え盛る火のように、険しくて強い。

「今回のこと、どう責任を取るつもりだ」

 彼が見ているのはダフネじゃなく、その向こうにいるディオンだ。リードが彼の元にたどり着く道筋の、ちょうど中間にダフネは立っている。まるで壁になるように。

 もしかすると、彼女はリードが剣を持っているから、あえて間にいるのかもしれない。

 確かに、あの様子を見れば問答無用で叩き切ると思われても仕方なさそうだ。冷静とはいえないかもしれないけれど、いくらリードでもそんな短慮なことはしない……と、思う。

 だけどそれは、彼のそばにいるからこそわかること。

 向こうからはそう思えないのかもしれない。


「伯爵様が、おそらく処断なさるはずです」

 リードの視線をまっすぐに受け、ダフネははっきりと答える。

「かの方のことは、わたくしよりも殿下の方がお詳しいと存じます」

「そう……だな。あの人は、そういう人だ」

 だけど、とリードは低い声で続け。

 うろたえたダフネを押しのけるようにして、前に進む。ダフネは一瞬、睨むような目をして身構えたが、さほどの抵抗はしなかった。不安そうに歪んだ目が、ディオンに向いた。

 二人は一定の距離を保ったまま、静かに睨み合う。

 リードはぐっと右手を握り、軽く構えるようにして。

「一発殴らせろ。それで伯爵に沙汰を任せてやる」

「……断ればどうなると?」

「そうだな。お前みたいなのでも伯爵にとっては大事な息子だ。お前じゃなく、あの人のためにせめてもの温情で、『病死』ってことにしてやるよ。首と胴体が分かれる病ってやつだな」

 ちゃき、と金属音が響く。

 リードが腰の剣に触れ、少し鞘から抜いた音だ。

 もし断ったら、彼はきっとその剣で、目の前の男の首を本当に刎ねるつもりだろう。首と胴体が分かれるなんて、そんな病があるわけない。さすがにそれを信じるほど、バカじゃない。

 でも、公にはそういう『処理』になるのだろう。


 ――王子が、花嫁を誘拐した貴族令息の首をはねた。


 庶民が喜びそうな話だし、リードをどうにかしたい連中も泣いて喜ぶに違いない。だから病死ということにする。たとえその遺体が、人の目に晒せない有り様になっていたとしても。

 だけど、これはどう転がってもリードにとって不利な要素になる。

 あたしが王妃だったり、王女だったりするなら、そこまでする意味はあるだろう。表だって反対の意を示す人は、まずいない。そうすることで生まれる不利益を、無視できないなら。

 だけどあたしは、悪く言えばいくらでも替えがきく存在。

 あたしこそ、どうとでも理由をつけて『消す』ことができる。いくら無鉄砲なリードであったとしても、すべての貴族がそうすることを望むなら、それを無視することはできない。


 だってリードは王子様だ。

 偉大な王の息子で、若いけど、国を背負って立とうとしている。


 仮にあたしが見捨てられたとしても、あたしは――あたしは、彼を憎むことだけは、しなかっただろう。彼がどれだけがんばっているか、あたしはちゃんと見て、知っているから。

 だけどリードは、あたしをここまで助けに来てくれた。

 不謹慎だと思いながら、少し嬉しい。

 ううん、すごく嬉しい。諦めたりしないで、よかった。どうして来たの、と思う部分もなくはないけれど、こんなことしてどうするのって思うけどごめん、やっぱり嬉しい。

 嬉しいと、思ってしまう。


「――それで、お前の決断は何だ」


 身の置き方を再度問われて、ディオンは静かに目を閉じた。

 殴るなら殴れ、ということらしい。ダフネが不安そうに見つめる中、リードは体をひねるようにして右腕をぐっと構え――一歩前に進む勢いも乗せるように彼の左頬を殴る。

 ディオンはよろめいて、そして棚にぶつかって床へ崩れ落ちた。

 意識を失ったりはしていないらしいけれど、見るからに赤くなった頬が少し痛々しい。

 もしかすると、口の中とか切れたかも。

「坊ちゃま……!」

 すぐさまダフネは彼に駆け寄り、その身体を抱き起こそうとする。彼のことは彼女に任せるつもりなのか、リードはあたしに落ちていた石版を渡すと、ひょいと抱き上げてきた。

 おぶるでもなく、抱えるでもない。

 横抱き、お伽話につきものの――お姫様抱っこ。


「帰るぞ」


 こくり、と頷く。

 内心では恥ずかしいやら何やらで、いたたまれない感じなんだけど仕方ない。

 いつの間にかサンダルはどこかにいったし、屋内はともかく屋外は歩けない状態だ。加えて足はまだ震えているから、サンダルがあろうともたぶんまともに歩けないと思う。

 あたしはおとなしく、彼にしがみついていた。

 しばらく木々の合間を進むと、セヴレスの屋敷が見える。あの家は離れのようなものだったのだろうか、距離はなかったらしい。リードが駆けつけられたのも、きっとそのおかげだ。

 裏口から出てすぐのところ、男達を縛り上げるシアとユリシスがいる。

 二人ともそれなりに服が乱れ、激しく戦っていたのがわかった。ユリシスはともかく、まさかシアまで戦闘に参加してたとは思わなくて、ぼろけた彼女の姿に息を呑む。


 よかった、シアは無事だった。

 たぶん、ダフネが助けてくれたからなんだろう。あたし自身も救われたのに、彼女にお礼をいえなかったことを少し後悔する。これから会うことがなさそうだから、なおさらだ。

 彼女は、たぶんこれまでずっとディオンのそばにいたんだろう。これからも、それが許されるなら一緒にいるのかもしれない。なぜだか、そんな姿が当然のように思えてしまう。

 二人の間に主従以外の、どんな関係があるのかわからない。それ以外の何かがあるようにも見えたし、あたしにはそう見えただけで実際のところは何も無いのかもしれない。

 でも、彼女がいるならあの人は、ディオンは大丈夫な気がした。

 あたしが、こうして心配することではないけど。

「あ……」

 ぎゅい、と縄をきつく結んだシアが、こっちを向いた。

 一瞬その手が止まり、立ち上がったシアが、小さく跳ねるように震える。

「ハッカっ」

 駆け寄ってきたシアの手を、リードに抱きかかえられたまま握り返す。

 確かに震えるその手をいたわりたいけれど、その時間的余裕はちょっとないらしい。

「表に馬車が用意されている。そこで姫様を休ませてさしあげろ、リード」

「……伯爵は?」

「無事だ。夫人も抑えた。もう敵はいない」

 ユリシスは言い、どこか満足そうに微笑んだ。


「じゃあ、馬車にいるからな」

「あぁ」

 彼らに見送られる形で、あたしはリードに担がれたまま屋敷内を移動する。途中ナタリア達三人を見かけたが、三人とも私兵を抑えるのに必死でこっちに気づかない。

 エルディクスやマツリはいなかったけど、たぶん屋敷のどこかにいるだろう。リードがぽつぽつとしてくれた話では、二人が伯爵の確保に向かったというし、上の階にいるのだろうか。

 リードは周囲には目もくれず、まっすぐ外を目指して歩いていく。

 そしてあたしは、あの轟音の理由を知った。箱の中に押し込められたまま通過したので実物を見てはいないけれど、とても立派だったに違いない門が跡形なく吹っ飛んでいる。


 明らかにヒトの力ではできない。

 だけど、魔術ならきっと、たやすくやってのけることができる。

 マツリかエルディクスか――どっちにしろ、魔術ってすごくて怖いと改めて思った。



   ■  □  ■



 崩れた門の傍らに、そこそこに豪華な馬車が一つ。

 リードはそこにあたしを押し込むと、横に座って扉を閉じた。後処理については他の人に任せて、彼はここに一緒にいてくれるらしい。しぃんとした静寂と、少し乱れたリードの呼吸。

 ゆっくりあたしの頭を撫でる彼には、険しくない、優しい笑みが浮かんでいた。


「もう、大丈夫だからな。寝てもいいぞ。起きたらいつもの部屋だから」


 ――ぷちん、と何かが切れた音がする。


 頬を熱いものが流れていく。

 あたしは、彼にすがりついた。彼があの家に現れた時よりも強い安心感が、あたしの中で歓喜の声をあげる。外を離れ、二人っきりになって、いつものリードの声と笑顔が戻って。

 やっと、あの『悪夢』が終わったんだって……わかって。

 彼が言った通りではないけど、あたしの意識はゆっくりと遠ざかっていく。

 目が覚めたのは、薄暗い次の日の早朝。

 いつも通りの場所で、いつも通りにリードの腕の中だった。

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