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普通の魔女と、グレーの家族  作者: ネコメガネ
第三章『温泉旅行』
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第26話『廃坑見学?』


 旅館の裏手に回り、山へと続く石段を上っていく。


 エリスとポルフォルを先頭に、ロイド、私とテュフォンが続く形だ。


 心地よい風が吹いて、鮮やかな緑色の葉をつけた枝が頭上で揺れていた。


「硫黄の匂いがしてきたねぇ」


 エリスが足を止めて、すんすんと鼻を鳴らした。


「正しくは硫化水素の匂いですね。硫黄そのものは無臭です」


「ふむふむ。じゃあ、硫化水素の匂いがしてきたねぇ」


 エリスは同じ調子で返しながら、再び前を向いて歩き出した。


 温泉の匂いが薄れ、代わりに湿った土と落ち葉の匂いが強まった頃、ようやく石段の終わりが見えた。


 上りきった先は、山の中腹辺りにある広場だった。


 周囲は茂みに囲まれていて、山頂へ向かう細い山道が続いている。


 振り返ると、宿の瓦屋根と温泉の白い湯気が、木々の向こうに見えていた。


「こっち、かな」


 エリスが指したのは、近くの茂みだった。


 一箇所だけ、不自然に草が倒れている場所がある。


「……獣道ですわね。それも、かなり新しいものですわ」


「たぶん、このすぐ先にいると思う」


 ポルフォルとエリスは頷き合い、こちらを振り向いた。


「ここから先は、わたくしたちだけで行きますわ」


「みんなはここで待っててね。すぐ戻ってくる」


「……分かった。疲れていたし、ちょうどいいわ」


「ロイドは、ライラとテュフォンのこと、守ってあげてね」


「了解しました」


 ロイドの返事を聞いて、二人はガサガサと音を立てながら茂みの先へ進んでいった。


 背中を見送りながら、木漏れ日の下にある岩へ腰を下ろす。


「はぁー……」


 足を伸ばして空を仰いでいると、テュフォンが覗き込んできた。


「ライラお姉ちゃん、お疲れっぽい?」


「そりゃあね……山なんて、久々に登ったもの……」


 帰りもこの道を通るのか……なんて考えながら、額にへばりついた前髪を指でいじる。


 テュフォンの腕から伸びてきたエキドナが、私の膝の上でとぐろを巻いた。


「ライラ様。もしものときは、私が抱いて下山いたします」


「ありがとう……でも、そこまでしなくていいわ……」


 ハンカチで汗を拭きながら、獣道へ視線を移す。


 薄暗い木々の間で、風を受けた茂みが不気味に揺れていた。




 * * *




 ライラたちと別れたエリスとポルフォルは、草の倒れた跡を辿り、木々の間を進んでいた。


 枝を避け、張り出した根を飛び越えていくと、黄土色の岩壁が見えてきた。


「あ。あそこ見て」


 先頭のエリスが立ち止まり、ぽっかりと開いた暗い穴を指した。


 入り口には朽ちかけた木枠が立っており、錆びたレールが穴の奥へと伸びている。


「廃坑、ですわね」


「温泉の次は、廃坑見学……ってコト?」


「見学で済めばよいですが……」


 二人は横に並び、入り口からそっと中を覗き込んだ。


 光が届くぎりぎりのところで、二本の角を生やした少女が壁に寄りかかっていた。


 スマートフォンをいじる彼女の足元には、白い箱が三つ積まれている。


 細い尾が、箱の蓋の上でゆっくりと揺れていた。


「ずいぶん、くつろいでいますわね」


「あの箱……血の匂いがする。それも、いっぱい」


 エリスが鼻をすんすんと鳴らして、白い箱に目をやった。


「被害者から奪った血液でしょうか」


 ポルフォルが、腰の左右から短い柄を引き抜いた。


「ともあれ、ここで捕縛いたしましょうか」


 金属の擦れる音とともに、紅色と藍色の槍が伸びていく。


 かちり、と音が鳴ったところで、ポルフォルは穴の中へ足を踏み入れた。


 音に気づいた少女が、スマートフォンから顔を上げ、入り口に笑顔を向ける。


「やっと来た——」


「ごきげんよう。昨夜ぶりですわね」


 槍を構えたポルフォルと目が合い、少女はそのまま固まった。


「な、なんで、おま……はあ?」


 壁から背中を離し、ポルフォルの後ろに目を向ける。


 呑気に片手を挙げるエリスを見て、舌打ちをした。


「ちっ。今度は仲間まで連れてきやがって……二人で来るのは卑怯だろ!」


「ご安心を。お相手は、わたくし一人ですわ」


 ポルフォルは穂先を向けたまま、少しだけ顔を横に向けた。


「エリスさん。入り口をお願いします」


「はーい。任せといて」


 エリスは入り口を塞ぐように立ち、その場で腕を組んだ。


 少女はスマートフォンをポケットに押し込むと、右手の甲に歯を立てた。


「……っ、帰れ!」


 振り払った手から、赤い雫が散った。


 ポルフォルが、身をかがめてそれを避ける。


 地面に落ちた血液が燃え上がり、大きな炎の柱を作った。


 熱風に髪を揺らしながら、ポルフォルは一気に少女の懐へ踏み込んだ。


「ちょっ——!」


 少女が身体を回し、一拍遅れて尾が振られる。


 ポルフォルは藍色の柄でそれを受け止め、紅色の穂先で少女の左肩を浅く裂いた。


「いっ……!」


 右手で肩を押さえて後ずさる少女の腹に、ポルフォルの蹴りが刺さる。


 後ろへ弾かれた少女は、両足で踏みとどまり、血に濡れた右手を振り上げた。


 ポルフォルへ飛んだ赤い塊を、藍色の穂先が払いのける。


 岩壁で炎が弾け、その間に紅色の槍が少女の脇腹へ迫った。


 少女は身体をひねって避けたが、足元のレールに踵が引っかかった。


 バランスを崩して壁につこうとした手を、藍色の柄が払う。


「ちょっ、待っ——!」


 仰向けに倒れた少女を見下ろし、ポルフォルは紅色の槍をくるりと回した。


 そのまま、石突きで少女のみぞおちを突く。


「っ、か……!」


 少女が息を詰まらせて呻く中、ポルフォルは入り口のエリスへ顔を向けた。


「エリスさん、お願いしても?」


「はいよ」


 エリスが親指の腹を噛み切った。


 流れ出た血が細く伸び、赤い鎖へと形を変える。


 少女の両腕を胴へ縛りつけ、足首と尾にも巻きついた。


「血式『緋脈の鎖』」


「な……なんだ……これ……っ!」


 少女が身体をひねるが、鎖はびくともせず、その身体をさらに強く締めつけていく。


「この血式……まさか、高位の吸血鬼かよ……?!」


「まあねー」


 エリスは親指についた血を舐め取り、にっと笑った。


 ポルフォルは少女の拘束を確かめ、二本の槍を下ろす。


「ご協力、感謝いたしますわ」


「いいえー。じゃあ、こっちも見ておこうか」


 エリスは白い箱の前に屈むと、一番上の箱の蓋を開けた。


 中には、赤黒い液体の入った袋が、隙間なく詰め込まれていた。


「おおー……ずいぶん集めたねぇ」


「触んな!」


 縛られたままの少女が、声を荒らげた。


「そこに置いておけ。持っていくなよ……!」


「ダメです。すべて回収しますわ」


 ポルフォルは、二本の槍を縮めて腰に戻した。


 それから、少女のそばに屈み、身体の下に手を差し入れた。


「なっ、ちょっと! なにすんだよ!」


「暴れないでくださいまし」


 そのまま左肩へ担ぎ上げ、入り口へと向き直る。


「くそっ、降ろせよ! 自分で歩くから!」


「足を縛られてるのに、何を言ってるんですの」


「じゃあ解けよ!」


「解いたら逃げるおつもりでしょう? おとなしくしてなさいな」


 入り口に向かって歩き出し、途中でエリスに声をかける。


「箱はお任せしても?」


「おっけー。じゃ、ライラたちのところに戻ろっか」


「ええ。お待たせしてしまいますし」


 エリスは箱の蓋を閉じ直し、三つまとめて抱え上げた。


「待てって! 勝手に持ってくな!」


 少女の訴えは聞き入れられず、エリスを先頭に、二人は廃坑を出た。




 * * *




「お待たせー!」


 茂みの向こうから、エリスの声がした。


 膝の上で寝ていたエキドナが、驚いた様子で頭を上げた。


 私も顔を上げると、白い箱を三つ抱えたエリスが、頭に葉っぱをつけて現れた。


「お待たせしましたわ」


 その後ろから、見知らぬ少女を肩に担いだポルフォルが顔を出す。


「……ずいぶん荷物が増えたわね」


「犯人と、奪われた血液ですわ。無事に回収できました」


「何が無事だよっ! クソっ」


 担がれた少女が、縛られたままの足をバタバタと振った。


 膝の上のエキドナをテュフォンへ渡し、岩から立ち上がった。


 二人で、エリスたちに近寄る。


「ケガは……なさそうね。よかった」


「そっちも大丈夫そうだね? 護衛ありがとう、ロイド」


「いえ。お安い御用です」


 エリスが地面に箱を下ろして並べ、ポルフォルもその横に少女を座らせた。


 少女は私たちの顔を順に睨み回し、それから、隣に並べられた白い箱に目を向ける。


「……最悪」


 そう吐き捨てて、膝の間に顔を伏せた。




「さて、洗いざらい吐いてもらいますわよ」


 腕を組んだポルフォルが、少女を睨みつけていた。


「まず、あなたの名前は?」


 少女が膝から顔を上げた。


 ふてくされたように、ポルフォルを睨み返す。


「……イクシオン」


「イクシオンさん、ですわね。では――」


「何歳? 趣味は? てか君、いい身体してるねー。何かスポーツやってる?」


 エリスが、ポルフォルの肩越しに顔を出した。


 イクシオンが眉を寄せ、口を開く。


「十七。手品とか、そこそこ。てか何だよこの質問」


「ちょっと、エリスさん。申し訳ありませんが、先に事件のお話をさせてくださいませ」


「あはは、ごめんごめん。場の空気を和らげようと思ってね」


 二人からため息をつかれ、エリスはすぐに引き下がった。


 ポルフォルは咳払いをして、イクシオンに向き直った。


「この町で観光客の方々を襲っていたのは、あなたですわね」


「……だったら?」


「なぜ、そんなことを?」


「そりゃ、血を集めるためだよ。見れば分かるだろ」


 イクシオンは顎で白い箱を示した。


「その血を、飲まずに箱へ詰めていたのは、なぜですの?」


「そういう役目だから」


 即答したイクシオンの目を見て、ポルフォルは口をつぐんだ。


 白い箱に一歩近づき、その蓋に手を添える。


「役目……というのは、どのような?」


 イクシオンは口を閉じ、旅館へ下りる石段の方に顔をそむけた。


「何のために、何をするつもりですの?」


「……」


 イクシオンは何も答えず、ただ石段の方を向いている。


「黙っていられますと、こちらも――」


「ポルフォル」


 ロイドの声が、ポルフォルの言葉を遮った。


「敵襲です」


 ロイドが白い鞘から刀を引き抜き、切っ先を石段の方へ向けた。


「ライラ、テュフォン。僕たちの後ろに」


 テュフォンの手が、私の服を掴む。


 エリスに促されるまま、テュフォンを抱き寄せて広場の端へ下がった。


 ポルフォルも腰から引き抜いた柄を伸ばし、二本の槍を構えていた。


 こつ、こつ、と石段から靴音が響いた。


「血液を受け取りに来たのですが……ずいぶんと賑やかですね」


 一人の男が、ゆっくりと石段を上ってきた。


 黒いスーツに、磨かれた革靴。


 整えられた黒髪の下には、顔全体を覆う真っ白な仮面があった。


 その表面には起伏も、目や口の穴もない。


「カロンお父様!」


 イクシオンの弾んだ声が、広場に響いた。


 先ほどまで悔しげに歪んでいた表情は、勝利を確信したかのような笑顔に変わっていた。


 男が、白い仮面をイクシオンに向けた。


「イクシオン。無事だったようで、何よりです」


 穏やかに告げ、イクシオンに向かって歩き出した。


「それ以上、近づかないでください」


 男の前に、刀を構えたロイドが立ちふさがった。


 その横に、二本の槍を男へ向けたポルフォルが並ぶ。


 エリスは、私たちの前に立ったまま、何も言わずに男を睨みつけていた。


 男は、大げさにため息をついて、首を振った。


「……娘との再会を、邪魔しないでいただけますか?」


 そう言って、右腕を振り抜いた。


「——っ!」


 目の前にいたエリスが地面を蹴り、ポルフォルとロイドの間へ飛び込んだ。


 両腕を伸ばし、二人を左右へ突き飛ばす。


「……っ?! 何を――」


 瞬間、赤い線が走り、鈍い音が響いた。


 地面に倒れた二人は、身体を丸めて転がり、すぐに立ち上がった。


 前を向いて武器を構え直したところで、二人の動きが止まる。


「ぐっ……げほっ……!」


 エリスの胸元に、太い血の杭が突き刺さっていた。


 赤く透き通った先端が、背中から突き出している。


「エリス……?!」


 白いパーカーが真っ赤に染まり、口からも大量の血がこぼれていた。


 思わず駆け寄ろうとして、


「下がっていてください!」


 男へ刀を向けたまま、ロイドが私の前へ割り込んできた。


 エリスが胸元へ両手を伸ばし、赤い杭を掴んだ。


「く……ぅ……」


 びちゃりと濡れた音を立てながら、エリスが杭を引き抜いた。


 それを足元へ放り投げると、真っ赤に染まったパーカーの下で、胸の傷がふさがっていく。


「申し訳ありません……! おかげで、助かりましたわ」


 エリスは答えず、袖で口元をぬぐった。


「……プルート」


 赤い瞳が、白い仮面を睨みつけている。


 起伏のない白い面に、木漏れ日が揺れた。


 それまでと変わらない、穏やかな声が返ってきた。


「お久しぶりですね。ジーナ様」

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