第26話『廃坑見学?』
旅館の裏手に回り、山へと続く石段を上っていく。
エリスとポルフォルを先頭に、ロイド、私とテュフォンが続く形だ。
心地よい風が吹いて、鮮やかな緑色の葉をつけた枝が頭上で揺れていた。
「硫黄の匂いがしてきたねぇ」
エリスが足を止めて、すんすんと鼻を鳴らした。
「正しくは硫化水素の匂いですね。硫黄そのものは無臭です」
「ふむふむ。じゃあ、硫化水素の匂いがしてきたねぇ」
エリスは同じ調子で返しながら、再び前を向いて歩き出した。
温泉の匂いが薄れ、代わりに湿った土と落ち葉の匂いが強まった頃、ようやく石段の終わりが見えた。
上りきった先は、山の中腹辺りにある広場だった。
周囲は茂みに囲まれていて、山頂へ向かう細い山道が続いている。
振り返ると、宿の瓦屋根と温泉の白い湯気が、木々の向こうに見えていた。
「こっち、かな」
エリスが指したのは、近くの茂みだった。
一箇所だけ、不自然に草が倒れている場所がある。
「……獣道ですわね。それも、かなり新しいものですわ」
「たぶん、このすぐ先にいると思う」
ポルフォルとエリスは頷き合い、こちらを振り向いた。
「ここから先は、わたくしたちだけで行きますわ」
「みんなはここで待っててね。すぐ戻ってくる」
「……分かった。疲れていたし、ちょうどいいわ」
「ロイドは、ライラとテュフォンのこと、守ってあげてね」
「了解しました」
ロイドの返事を聞いて、二人はガサガサと音を立てながら茂みの先へ進んでいった。
背中を見送りながら、木漏れ日の下にある岩へ腰を下ろす。
「はぁー……」
足を伸ばして空を仰いでいると、テュフォンが覗き込んできた。
「ライラお姉ちゃん、お疲れっぽい?」
「そりゃあね……山なんて、久々に登ったもの……」
帰りもこの道を通るのか……なんて考えながら、額にへばりついた前髪を指でいじる。
テュフォンの腕から伸びてきたエキドナが、私の膝の上でとぐろを巻いた。
「ライラ様。もしものときは、私が抱いて下山いたします」
「ありがとう……でも、そこまでしなくていいわ……」
ハンカチで汗を拭きながら、獣道へ視線を移す。
薄暗い木々の間で、風を受けた茂みが不気味に揺れていた。
* * *
ライラたちと別れたエリスとポルフォルは、草の倒れた跡を辿り、木々の間を進んでいた。
枝を避け、張り出した根を飛び越えていくと、黄土色の岩壁が見えてきた。
「あ。あそこ見て」
先頭のエリスが立ち止まり、ぽっかりと開いた暗い穴を指した。
入り口には朽ちかけた木枠が立っており、錆びたレールが穴の奥へと伸びている。
「廃坑、ですわね」
「温泉の次は、廃坑見学……ってコト?」
「見学で済めばよいですが……」
二人は横に並び、入り口からそっと中を覗き込んだ。
光が届くぎりぎりのところで、二本の角を生やした少女が壁に寄りかかっていた。
スマートフォンをいじる彼女の足元には、白い箱が三つ積まれている。
細い尾が、箱の蓋の上でゆっくりと揺れていた。
「ずいぶん、くつろいでいますわね」
「あの箱……血の匂いがする。それも、いっぱい」
エリスが鼻をすんすんと鳴らして、白い箱に目をやった。
「被害者から奪った血液でしょうか」
ポルフォルが、腰の左右から短い柄を引き抜いた。
「ともあれ、ここで捕縛いたしましょうか」
金属の擦れる音とともに、紅色と藍色の槍が伸びていく。
かちり、と音が鳴ったところで、ポルフォルは穴の中へ足を踏み入れた。
音に気づいた少女が、スマートフォンから顔を上げ、入り口に笑顔を向ける。
「やっと来た——」
「ごきげんよう。昨夜ぶりですわね」
槍を構えたポルフォルと目が合い、少女はそのまま固まった。
「な、なんで、おま……はあ?」
壁から背中を離し、ポルフォルの後ろに目を向ける。
呑気に片手を挙げるエリスを見て、舌打ちをした。
「ちっ。今度は仲間まで連れてきやがって……二人で来るのは卑怯だろ!」
「ご安心を。お相手は、わたくし一人ですわ」
ポルフォルは穂先を向けたまま、少しだけ顔を横に向けた。
「エリスさん。入り口をお願いします」
「はーい。任せといて」
エリスは入り口を塞ぐように立ち、その場で腕を組んだ。
少女はスマートフォンをポケットに押し込むと、右手の甲に歯を立てた。
「……っ、帰れ!」
振り払った手から、赤い雫が散った。
ポルフォルが、身をかがめてそれを避ける。
地面に落ちた血液が燃え上がり、大きな炎の柱を作った。
熱風に髪を揺らしながら、ポルフォルは一気に少女の懐へ踏み込んだ。
「ちょっ——!」
少女が身体を回し、一拍遅れて尾が振られる。
ポルフォルは藍色の柄でそれを受け止め、紅色の穂先で少女の左肩を浅く裂いた。
「いっ……!」
右手で肩を押さえて後ずさる少女の腹に、ポルフォルの蹴りが刺さる。
後ろへ弾かれた少女は、両足で踏みとどまり、血に濡れた右手を振り上げた。
ポルフォルへ飛んだ赤い塊を、藍色の穂先が払いのける。
岩壁で炎が弾け、その間に紅色の槍が少女の脇腹へ迫った。
少女は身体をひねって避けたが、足元のレールに踵が引っかかった。
バランスを崩して壁につこうとした手を、藍色の柄が払う。
「ちょっ、待っ——!」
仰向けに倒れた少女を見下ろし、ポルフォルは紅色の槍をくるりと回した。
そのまま、石突きで少女のみぞおちを突く。
「っ、か……!」
少女が息を詰まらせて呻く中、ポルフォルは入り口のエリスへ顔を向けた。
「エリスさん、お願いしても?」
「はいよ」
エリスが親指の腹を噛み切った。
流れ出た血が細く伸び、赤い鎖へと形を変える。
少女の両腕を胴へ縛りつけ、足首と尾にも巻きついた。
「血式『緋脈の鎖』」
「な……なんだ……これ……っ!」
少女が身体をひねるが、鎖はびくともせず、その身体をさらに強く締めつけていく。
「この血式……まさか、高位の吸血鬼かよ……?!」
「まあねー」
エリスは親指についた血を舐め取り、にっと笑った。
ポルフォルは少女の拘束を確かめ、二本の槍を下ろす。
「ご協力、感謝いたしますわ」
「いいえー。じゃあ、こっちも見ておこうか」
エリスは白い箱の前に屈むと、一番上の箱の蓋を開けた。
中には、赤黒い液体の入った袋が、隙間なく詰め込まれていた。
「おおー……ずいぶん集めたねぇ」
「触んな!」
縛られたままの少女が、声を荒らげた。
「そこに置いておけ。持っていくなよ……!」
「ダメです。すべて回収しますわ」
ポルフォルは、二本の槍を縮めて腰に戻した。
それから、少女のそばに屈み、身体の下に手を差し入れた。
「なっ、ちょっと! なにすんだよ!」
「暴れないでくださいまし」
そのまま左肩へ担ぎ上げ、入り口へと向き直る。
「くそっ、降ろせよ! 自分で歩くから!」
「足を縛られてるのに、何を言ってるんですの」
「じゃあ解けよ!」
「解いたら逃げるおつもりでしょう? おとなしくしてなさいな」
入り口に向かって歩き出し、途中でエリスに声をかける。
「箱はお任せしても?」
「おっけー。じゃ、ライラたちのところに戻ろっか」
「ええ。お待たせしてしまいますし」
エリスは箱の蓋を閉じ直し、三つまとめて抱え上げた。
「待てって! 勝手に持ってくな!」
少女の訴えは聞き入れられず、エリスを先頭に、二人は廃坑を出た。
* * *
「お待たせー!」
茂みの向こうから、エリスの声がした。
膝の上で寝ていたエキドナが、驚いた様子で頭を上げた。
私も顔を上げると、白い箱を三つ抱えたエリスが、頭に葉っぱをつけて現れた。
「お待たせしましたわ」
その後ろから、見知らぬ少女を肩に担いだポルフォルが顔を出す。
「……ずいぶん荷物が増えたわね」
「犯人と、奪われた血液ですわ。無事に回収できました」
「何が無事だよっ! クソっ」
担がれた少女が、縛られたままの足をバタバタと振った。
膝の上のエキドナをテュフォンへ渡し、岩から立ち上がった。
二人で、エリスたちに近寄る。
「ケガは……なさそうね。よかった」
「そっちも大丈夫そうだね? 護衛ありがとう、ロイド」
「いえ。お安い御用です」
エリスが地面に箱を下ろして並べ、ポルフォルもその横に少女を座らせた。
少女は私たちの顔を順に睨み回し、それから、隣に並べられた白い箱に目を向ける。
「……最悪」
そう吐き捨てて、膝の間に顔を伏せた。
「さて、洗いざらい吐いてもらいますわよ」
腕を組んだポルフォルが、少女を睨みつけていた。
「まず、あなたの名前は?」
少女が膝から顔を上げた。
ふてくされたように、ポルフォルを睨み返す。
「……イクシオン」
「イクシオンさん、ですわね。では――」
「何歳? 趣味は? てか君、いい身体してるねー。何かスポーツやってる?」
エリスが、ポルフォルの肩越しに顔を出した。
イクシオンが眉を寄せ、口を開く。
「十七。手品とか、そこそこ。てか何だよこの質問」
「ちょっと、エリスさん。申し訳ありませんが、先に事件のお話をさせてくださいませ」
「あはは、ごめんごめん。場の空気を和らげようと思ってね」
二人からため息をつかれ、エリスはすぐに引き下がった。
ポルフォルは咳払いをして、イクシオンに向き直った。
「この町で観光客の方々を襲っていたのは、あなたですわね」
「……だったら?」
「なぜ、そんなことを?」
「そりゃ、血を集めるためだよ。見れば分かるだろ」
イクシオンは顎で白い箱を示した。
「その血を、飲まずに箱へ詰めていたのは、なぜですの?」
「そういう役目だから」
即答したイクシオンの目を見て、ポルフォルは口をつぐんだ。
白い箱に一歩近づき、その蓋に手を添える。
「役目……というのは、どのような?」
イクシオンは口を閉じ、旅館へ下りる石段の方に顔をそむけた。
「何のために、何をするつもりですの?」
「……」
イクシオンは何も答えず、ただ石段の方を向いている。
「黙っていられますと、こちらも――」
「ポルフォル」
ロイドの声が、ポルフォルの言葉を遮った。
「敵襲です」
ロイドが白い鞘から刀を引き抜き、切っ先を石段の方へ向けた。
「ライラ、テュフォン。僕たちの後ろに」
テュフォンの手が、私の服を掴む。
エリスに促されるまま、テュフォンを抱き寄せて広場の端へ下がった。
ポルフォルも腰から引き抜いた柄を伸ばし、二本の槍を構えていた。
こつ、こつ、と石段から靴音が響いた。
「血液を受け取りに来たのですが……ずいぶんと賑やかですね」
一人の男が、ゆっくりと石段を上ってきた。
黒いスーツに、磨かれた革靴。
整えられた黒髪の下には、顔全体を覆う真っ白な仮面があった。
その表面には起伏も、目や口の穴もない。
「カロンお父様!」
イクシオンの弾んだ声が、広場に響いた。
先ほどまで悔しげに歪んでいた表情は、勝利を確信したかのような笑顔に変わっていた。
男が、白い仮面をイクシオンに向けた。
「イクシオン。無事だったようで、何よりです」
穏やかに告げ、イクシオンに向かって歩き出した。
「それ以上、近づかないでください」
男の前に、刀を構えたロイドが立ちふさがった。
その横に、二本の槍を男へ向けたポルフォルが並ぶ。
エリスは、私たちの前に立ったまま、何も言わずに男を睨みつけていた。
男は、大げさにため息をついて、首を振った。
「……娘との再会を、邪魔しないでいただけますか?」
そう言って、右腕を振り抜いた。
「——っ!」
目の前にいたエリスが地面を蹴り、ポルフォルとロイドの間へ飛び込んだ。
両腕を伸ばし、二人を左右へ突き飛ばす。
「……っ?! 何を――」
瞬間、赤い線が走り、鈍い音が響いた。
地面に倒れた二人は、身体を丸めて転がり、すぐに立ち上がった。
前を向いて武器を構え直したところで、二人の動きが止まる。
「ぐっ……げほっ……!」
エリスの胸元に、太い血の杭が突き刺さっていた。
赤く透き通った先端が、背中から突き出している。
「エリス……?!」
白いパーカーが真っ赤に染まり、口からも大量の血がこぼれていた。
思わず駆け寄ろうとして、
「下がっていてください!」
男へ刀を向けたまま、ロイドが私の前へ割り込んできた。
エリスが胸元へ両手を伸ばし、赤い杭を掴んだ。
「く……ぅ……」
びちゃりと濡れた音を立てながら、エリスが杭を引き抜いた。
それを足元へ放り投げると、真っ赤に染まったパーカーの下で、胸の傷がふさがっていく。
「申し訳ありません……! おかげで、助かりましたわ」
エリスは答えず、袖で口元をぬぐった。
「……プルート」
赤い瞳が、白い仮面を睨みつけている。
起伏のない白い面に、木漏れ日が揺れた。
それまでと変わらない、穏やかな声が返ってきた。
「お久しぶりですね。ジーナ様」




