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普通の魔女と、グレーの家族  作者: ネコメガネ
第三章『温泉旅行』
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第25話『サクリファイス・オブリージュ』


 朝、布団の中で目を開けると、障子の向こうが明るくなっていた。


 隣では、エリスが掛け布団を抱えて眠っている。


 その向こうの布団からは、テュフォンの足だけが出ていた。


 起き上がって布団をかけ直すと、枕元のエキドナが頭を上げた。


「おはよう」


 小声で挨拶し、眼鏡をかける。


 窓際の椅子には、ロイドが座っていた。


 こちらに気づくと立ち上がり、少し声を落とす。


「おはようございます、ライラ様」


「おはよ。ポルフォルは、帰ってきた?」

 

「まだです。先ほど、間もなく戻ると連絡がありました」


 昨夜も、寝る前に一度、ロイドが連絡を受けていた。


 無事ではあるけれど、仕事が長引いているとか。


「せっかくの旅行なのに、大変ね……」


 座卓の端には、紫色の車の駒が置かれたままだった。


 顔を洗って部屋へ戻り、タオルを畳んでいると、襖の向こうから声がした。


「おはようございます。遅くなりましたわ」


 襖を開けたロイドの肩越しに、ポルフォルの顔が見えた。


 そのまま視線を下げて、手が止まる。


「……ちょっと。その格好、どうしたの?」


 ドレスの右袖が、ほとんどなくなっていた。


 裾の白いレースにも、黒い焦げ目がついている。


 ポルフォルは自分の服を見下ろすと、何でもないように裾を払った。


「少し、汚してしまって」


「汚したで済む状態じゃないでしょ。入って」


「ですが、畳が――」


 手にしていたタオルを、座布団の上へ広げる。


「これならいいでしょ」


 ポルフォルは口を閉じ、おとなしく腰を下ろした。


 ロイドがその横へ膝をつき、裂けた袖の下を覗き込む。


 右肘に巻かれた薄い布の隙間から、黒い亀裂が見えた。


「腕も、ケガしてるじゃない」


「軽微な損傷ですわ。指も動きますし、自己修復の範囲内ですもの。すぐに――」

 

「外装の下を確認します。少し、腕を伸ばしてください」


 ロイドに促され、ポルフォルが肘を伸ばした。


 途中で指先が震え、口元がわずかに引きつる。


「……すぐ治る、とは言い切れませんね」


 ロイドは鞄から道具入れを取り出すと、小さな端子を肘の内側へ接続した。


 私は二人のそばへ腰を下ろす。

 

「何をしてきたの?」


「申し訳ありませんが、任務に関わることを、一般の方へお話しするわけには――」


「おはよー……あれ、ポルフォル。帰ってたんだ」


 布団の方から、眠そうな声がした。


 髪をあちこちへ跳ねさせたエリスが、起き上がって鼻をひくつかせる。


「……血の匂い。吸血鬼かな?」

 

 ポルフォルの肩が、ぴくりと動いた。


「お、当たった?」


「な、どうして……」


「僕も吸血鬼だからね。匂いを嗅いだりすれば、なんとなく分かるよ」


 エリスは這うように座卓まで来ると、ポルフォルの鞄を指した。

 

「そこにも、入ってるでしょ」


 ロイドが顔を上げた。


 ポルフォルはしばらく迷ってから、左手で鞄を引き寄せる。


「……事件の概要だけでしたら、お話しできますわ」


 取り出された小さな透明の袋が、座卓へ置かれた。


 中には、焦げた布切れと、赤黒く汚れた石片が入っている。


 おにおこ町では、少し前から、観光客が血を奪われる被害が出ていたらしい。


 夜、人気のない道で声をかけられ、気がつくと道端に座り込んでいた。


 立ち上がろうとしても、めまいがして動けず、手や首には小さな傷が残っていた。


 そんな訴えが、何件も寄せられているという。


「命を落とした方は、今のところ確認されていませんわ。ですが、治療が必要になった方もいらっしゃいます」


 ポルフォルは、袋の中の石片へ目を落とした。


「近年、各地の観光地で、同様の事件が起きていますの。ギルドへの依頼で解決したものもありますが、この町の件は、まだ」


「それで、見回りに?」


「はい。被害の多い道を調べ、狙われやすそうな格好で歩いておりましたの」


 焼け残ったフリルを、左手でつまむ。


「現れたのは、サラマンダーの少女でした。ですが、血を操っていたことから、後天的な吸血鬼と見て間違いありませんわ」


「サラマンダーなのに、吸血鬼でもあるの?」


「僕みたいな純粋な吸血鬼もいれば、あとから変わった子もいるんだよね」


 エリスが私へ顔を向けた。


「人間とか、獣人とか、天使とか。ほかの種族から変わった子が、いわゆる眷属ってやつだね。まあ、元の種族の性質は残るから、サラマンダーなら火も使えるってわけ」


「血を操る精度は、純粋な吸血鬼ほどではありませんが……それでも、かなり厄介でしたわ」


 ポルフォルは、ロイドに支えられた右腕を見た。


「あと少しのところで、逃がしてしまいました。その後、周辺の捜索や現場の確認をしていたら、この時間に」

 

「だからって、一晩中は流石に……」


「騎士ですもの。これは、わたくしの責務です」


 ロイドが端子を外し、道具入れから細い補修材を取り出した。


 それを肘の内側へ、慎重に貼っていく。


「信号の乱れは、接続部の損傷によるものでした。ひとまず、これで改善するかと」


「ありがとう……早いですわね」


「私の機体には、診断機能もありますので」


「……そう……でしたわね」


 ポルフォルは一瞬だけ視線を揺らして、すぐに笑顔を浮かべて、右手を開いたり閉じたりした。


 確かめるように、滑らかに動く右手を見ていた。

 

「せっかくの休暇なのに……」

 

 私の言葉に、ポルフォルは腕を下ろした。


「違いますわ。人命がかかっているときに、休暇を理由に断る権利は、わたくしにはありません」


「そんなことは……」

 

「『ノブレス・オブリージュ』。力を持つ者が、その力を使う。高貴なる者として、当然の務めですわ」


 ポルフォルはまっすぐにこちらを見た。


「まだ、見習いですけどね」


 返す言葉を考えていると、布団の方でもぞもぞと動く気配がした。

 

「……ポルフォルお姉ちゃん?」


 テュフォンが起き上がっていた。


 眠そうに目をこすり、焦げたドレスを見て手を止める。


「ど、どうしたの? それ、痛くない?」


「あら、起こしてしまいましたわね。心配いりませんわ」


 ポルフォルは右手を持ち上げた。


「ほら、もう動きますもの」


 指先をゆっくり振ってみせたが、テュフォンの眉は下がったままだった。


 ロイドが、道具入れの蓋を閉じる。


「エリス様、一つお願いがあります」

 

「んー? ロイドのお願いって珍しいかも。なぁに?」


「ポルフォルに、力を貸していただけませんか」


 ポルフォルが、勢いよく隣を向いた。


「ロイド、何を――」


「私も協力します」


 ロイドは、ポルフォルへ向き直った。


「今回、正式な任務の割り当てはなかったはずです。休暇の申請を出したうえで、ご自分の判断で調査を始めたのでしょう」


「それは……」


「その申請は、休暇を取るためのものです。独断で調査を進めるためではありません」


 ロイドは目を逸らさず、続けた。


「私たちは、騎士であるのと同時に、まだ子供でもあります。無理をしては、いけません」

 

 ポルフォルが、膝へ視線を下ろす。


「……わたくしは、生まれたばかりのあなたと違って……」


 言いかけて、口を閉じた。


 右の指を左手で包み、しばらくそのままでいる。


 エリスが、大きくあくびをした。

 

「ふぁ……僕はいいよ。昨日、案内してくれたお礼も兼ねて」

 

「……感謝されたくて、やったわけではありませんわよ」

 

「まあまあ。感謝するかはともかくとして、このままじゃいつまでたっても一緒に遊べないからね」

 

 座卓の端にあった紫色の駒を、指先でポルフォルの前へ滑らせた。


 ポルフォルは、それをじっと見下ろす。

 

 私は空の湯呑みを取り、急須からお茶を注いだ。


「早く解決できるに越したことはないでしょ」


 湯呑みを、ポルフォルの手の近くへ置く。


「それで時間が余ったら、昨日の観光の続きをしましょうよ。案内役がいないと、どうせグダグダして、ろくに回れないだろうし」


 ポルフォルが湯呑みに手を伸ばした。


 しばらく両手で包んでいたが、やがて一口だけ飲み、静かに座卓へ戻す。


「……エリスさん」


「はいよ」


「わたくしに、お力を貸していただけますか」


「もーちのろーん」


 エリスが二本の指を立ててみせた。


「じゃあ、とりあえず朝ご飯にしよう! 三度の飯よりなんとやら!」


「エリス様。それは、ご飯よりも別のことが好きだという意味です」


 そんなやり取りをしながら、エリスとロイドが着替えようと席を立つ。


 二人を見て、ポルフォルは小さく笑った。


 膝から手を離し、立ち上がりかけたところで、袖のなくなった右腕へ目を落とす。


「わたくしも、着替えてまいりますわ」


「ええ、ゆっくりでいいわよ」


 出ていく背中を見送り、私も着替えに手を伸ばした。



 

 * * *

 



「んはー、空気が美味い!」


 朝食を終えて外へ出ると、エリスは旅館の前で大きく息を吸った。


 ポルフォルは昨日と同じニットに着替え、右肘を薄い保護材で覆っている。


 荷物は旅館に預け、手には例の袋を持っていた。

 

「で、どうやって探すの?」


「んー……まずは、その袋、開けてみて」


 エリスが中の石片へ顔を近づける。


 わずかに眉を上げ、それから目を閉じた。


 川から吹いてきた風に、髪の先が揺れる。


「……あっちかな」


 指した先は、旅館の裏に見える山だった。


「分かりますの?」


「近くにいるみたい。血の匂いなら、どんだけ離れてても……離れすぎると分かんないけど、これくらいなら分かるよ」


「高性能なのかよく分からないけど、助かるわね」


 ロイドは山を見上げ、腰の刀に手を添える。


「ライラ様とテュフォン様は、宿でお待ちになりますか?」


「……場所を探すところまでは、一緒に行くわ。危なくなったら、すぐ下がる」


「このメンバーなら、待っててもらうより、一緒にいる方が安全かもね」


 エリスが、いつもの調子で頷いた。

 

「道が狭いところは、先に確認してから進みましょう」


 ロイドはテュフォンの靴紐を確かめ、立ち上がった。


 テュフォンが私の手を握る。


 彼女の手首に巻きついていたエキドナも、山の方へ頭を持ち上げた。


「よろしくお願いします、エリスさん、ロイド」


 ポルフォルの声に、二人がそれぞれ頷き返した。

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