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普通の魔女と、グレーの家族  作者: ネコメガネ
第三章『温泉旅行』
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第21話『命のお湯を求めに』


 とある日の朝。


 二人掛けのソファから、右腕が床へぶら下がっていた。


「ライラー? 生きてるー?」


 仰向けに横たわる私の顔を、片手に鞄を持ったエリスが覗き込んできた。


 返事をするのも面倒で、視線だけを向ける。


「返事がない。ただの屍のようだ」


「……うっさいわね」


 ため息をついて、ひじ掛けに頭を載せ直した。


 右腕を引き上げ、腹の上で両手を重ねる。


「このまま火葬してちょうだい」


「死なないでー。死ぬには若すぎるよー」


 頬をつついてくるエリスの手を叩き落とす。


 その肩越しに、玄関へ向かうロイドとテュフォンの姿が見えた。


「ねえ、エリス」


「ん?」


「本って、ひとりでに増えるものなのね」


「え、何? 怪談?」


「エッセイよ」


 先週から、図書館では蔵書の棚卸しが続いていた。


 棚から本を下ろし、番号を確かめ、端末に入力して、また戻す。


 一通りの作業を終えて、さあ帰ろうというところで、館長の新刊が届いた。


 しかも、翌日も、翌々日も、さらにその次の日も。


 ようやく休日を迎えたというのに、目を閉じれば、積み上がった本の山が浮かんでくる。


「妖怪……蔵書増やし……」


 ぐったりとひじ掛けに頭を押しつけていると、買い物袋を手にしたロイドが、ソファの横へ来た。


「ライラ様。本日の買い物は、私たちだけで行ってまいります。こちらは気にせず、ゆっくりお休みください」


「ありがとー……」


「おやつも買ってきてあげるからね! 大盛焼き!」


「今泉焼き、ね」


 笑いながら身を起こすエリスの後ろから、テュフォンが顔を出した。


 白いワンピースの裾を揺らして、ソファの前で立ち止まる。


「ライラお姉ちゃん。お水、ここに置いておくね」


 テーブルの手前に、水の入ったコップが置かれた。


「助かるわ……」


 身を起こし、コップを手に取って一口飲む。


 ふぅ、と息を吐いて、テュフォンの頭に手を置いた。


 テュフォンの肩に巻き付いていたエキドナが、私の手に鼻を近づける。


「それじゃ、気をつけていってらっしゃい」


「うん、行ってきます」


「いってきまーっす!」


「行ってまいります」


 三人と一匹の背中を見送って、もう一度ひじ掛けに頭を置き直した。




 * * *




「ただいまー!」


 玄関の開く音に続いて、テュフォンの声が響いた。


 目を閉じたまま、テーブルの上に手を伸ばす。


 なかなか眼鏡が見つからず、諦めて目を開くと、やけに視界がはっきりしていた。


「……かけたままだった」


「ライラお姉ちゃん、見て!」


 ずれた眼鏡をかけ直したところで、テュフォンがリビングに飛び込んできた。


「おかえりー……なんかあった?」


「これ! 見て!」


 顔の前に、横長の封筒が差し出された。


 ……近すぎて見えない。


 身体を起こして受け取ると、テュフォンが待ちきれない様子で口を開く。


「福引きでね、当たったの!」


「福引き?」


「お店の前に、ぐるぐる回すやつがあって、エリスお姉ちゃんがやっていいよって」


「そしたら見事! 我らがテュフォンは大当たりを引いたのだよ!」


 リビングに入ってきたエリスが、買い物袋を両手に提げたまま、真っ平らな胸を張った。


 その拍子に、長ネギが一本、袋からこぼれ落ちる。


「エリス様。長ネギが落ちました」


「おっと、ごめんごめん」


 落ちたネギを、後ろにいたロイドが拾い上げた。


 二人はそのまま、キッチンへと歩いていった。


 手元の封筒に顔を戻すと、隣に座ったテュフォンが、期待のこもった目で覗き込んできた。


 封筒を開けてみると、中から厚みのある紙が出てきた。


「おにおこ温泉、宿泊ご優待券」


 赤や黄色に染まった木々に囲まれた旅館と、白い湯気の立ち上る広い露天風呂の写真が載っていた。


 温泉街として有名な『おにおこ町』の旅館に、格安で泊まれるらしい。


 裏面までざっと目を通し、券をテーブルに置いてから、スマートフォンを手繰り寄せた。


「たしか、今月は祝日が……」


 カレンダーアプリを立ち上げ、日付を指で追っていく。


「お、ライラが復活してる」


 キッチンから、エリスが顔を出した。


「有給の残り日数は……うん、平気そうね」


「何やら、予定を立てておられるようですね」


 ロイドも、エリスの後ろから顔を出す。


 私は一度スマートフォンの操作を止め、画面を皆に見せた。


「この旅館、予約するわ。みんな、この日空いてる?」


「もちろん、僕は空いてるよー」


「私も空いております。緊急の任務もありませんので、都合はつくかと」


「私も平気! コッホ先生には言っておくね」


 テュフォンの肩で、エキドナが小さく頭を下げた。


 全員の返事を聞き、そのまま旅館の予約画面を開く。


 日付と人数を入力して、予約完了の表示を閉じてから、スマートフォンをテーブルへ伏せた。


「ライラお姉ちゃん、行けそう?」


「ええ。当ててきてくれてありがとう。ファインプレーよ」


「えへへ」


 頭を撫でると、テュフォンは肩をすくめて笑った。


 そこに、エリスが紙袋を持ってやってきた。


「よし、じゃあ予約完了祝いに、おやつタイムにしよう!」


「晩ご飯もありますので、ほどほどにお願いしますね」


 紙袋から取り出された白い箱が、テーブルの上に置かれた。


 蓋を開けると、焼けた生地と甘いあんこの香りが漂ってくる。


 四人でテーブルを囲み、一人一つずつ今泉焼きを食べた。




 * * *




 増え続ける蔵書との戦いを経て、ついに、出発の朝が来た。


 キャリーバッグを車に運び込み、忘れ物がないことを確認して、家の鍵を閉める。


「エアコンは消したっけ?」


「大丈夫、さっき消したよ」


 エリスの返事を聞き、鍵を鞄にしまって運転席へ乗り込んだ。


 シートベルトを締め、後部座席を振り返る。


「テュフォン、シートベルトは締めた?」


「締めたよ!」


 テュフォンが、頭にエキドナを載せたまま、胸の前でベルトを引っ張って見せた。


 隣に座るロイドが、テュフォンのベルトのねじれを直し、それからエキドナへ手を差し出した。


「エキドナ様。そこだと落ちる可能性があります。私の腕にお越しください」


 エキドナが、その腕にするすると移るのを見届けて、


「エリス、そろそろ行くわよ」


「はいはーい!」


 車の周囲を確認したエリスが、助手席へ滑り込んできた。


 グローブボックスからお菓子の袋を取り出し、中から飴を一つ取り出す。


「ライラも食べる?」


「一個ね」


「ほい、あーん」


 差し出された飴を口で受け取り、エリスがシートベルトを締めたのを確かめる。


 それから、座席の位置とミラーの向きを調整して、エンジンをかけた。


「じゃ、出発するわね」


「レッツゴー!」


 エリスの掛け声に合わせ、ゆっくりと車を出した。




 * * *




 高速道路の両脇を、田畑の緑が流れていく。


 助手席では、エリスがスナック菓子の袋を膝に載せたまま、旅館の案内を広げていた。


「お風呂、いっぱいあるねー。岩の湯に、森の湯、それから海の湯……内陸なのに? あ、部屋にもついてるんだって!」


「部屋のお風呂は露天風呂らしいわよ」


 エリスはお菓子を一つつまんで、背もたれに深く寄り掛かった。


「はー……いいねいいねぇ。ご飯食べて、お風呂入って、ゲームして……楽しみだなー!」


「エリスお姉ちゃん、私も紙見たい」


「はいよー。ちなみに、僕たちが泊まるのはこの部屋ね」


 エリスが部屋の写真を指しながら、後ろへ案内を渡した。


 テュフォンが両手で受け取ると、ロイドとエキドナも少し身体を寄せて覗き込む。


「ロイドちゃん。これ、お風呂が外にあるの?」


「はい。露天風呂ですので」


「へぇー、外で入るんだ……」


 身を伸ばしたエキドナを、テュフォンの指がやさしく撫でる。


「エキドナちゃんも、入れるかな?」


「ペットの同伴は可能とのことですが、一度確認した方がよさそうですね」


 後ろの様子をミラー越しに窺うと、テュフォンが片手をあげた。


「ライラお姉ちゃん。あと、どれくらいかかりそう?」


「まだ結構あるわよ。何かあった?」


「トイレ、行きたい」


「おっけー。次、パーキングエリアに寄るわね」


 道路に視線を戻すと、少し先に緑色の看板が見えていた。


 左のウインカーを出し、緩くハンドルを切って、本線を離れた。




 * * *




 車を停めると、ロイドが先に降りた。


 テュフォン側のドアを開け、手を差し伸べる。


 その手を取って、テュフォンも車から降りた。


「ちょっと待っててね」


「いってらっしゃい。ゆっくりでいいわよ」


 二人は手をつないで、建物へ歩いていく。


 エキドナは、ロイドの腕からテュフォンの肩へ移って、こちらに顔を向けていた。


 私も車から降りて、背中に両手を当てて伸びをする。


 助手席から降りたエリスは、売店の方へ顔を向けていた。


「ねえ、ライラ。買い物してきていい?」


「まだ何か食べる気?」


「こんな美味しそうな匂いがするんだもん、食べなきゃ損でしょ!」


 座席から財布を引っ張り出し、そのまま小走りで売店へ向かっていった。


 遠ざかる背中を見送りながら、近くのベンチに腰を下ろす。


 足を伸ばして、駐車場を眺めた。


 まばらに停まった乗用車の向こうに、大型バスが一台見えた。


 キャリーバッグを持った乗客が、長い列を作っている。


「ライラー、お待たせ」


 玉こんにゃくの串を持ったエリスが、売店から戻ってきた。


「はい、ライラの分。からしもあるよ」


「ん、ありがと」


「どういためましてー。んまー」


 串を受け取ると、醤油の香りが鼻腔をくすぐった。


 煮汁をたっぷり吸い込んだこんにゃくは、濃い飴色をしている。


 からしをつけてかじりつくと、ぴりっとした辛さとともに、醤油と甘い出汁が口の中に広がった。


「うん、美味しい」


「でっしょー」


 既に食べ終えたエリスが、空の竹串を手に隣へ腰を下ろした。


 停留所のバスが扉を閉めて、発車していくのを眺めながら、二つ目の玉を口に運んだ。


「……じゅるり」


 涎をすする音がして、隣に目を向けると、エリスが残った玉をじっと見つめていた。


「……食べる?」


「えっ、いいの?!」


「まあ、満腹になって、運転中に眠くなったら困るし」


「やったー、ありがとう!」


 差し出した串は、すぐに受け取られた。


 駐車場に視線を戻し、先ほどの大型バスが道路の先へ消えていくのを見届けたところで——、


「やーっちまいましたわーっ!」


 甲高い悲鳴が、駐車場に響き渡った。


 エリスが、玉こんにゃくを咥えたまま、動きを止める。


「……何事?」


 顔を向けると、バス乗り場の脇に、紫の半袖ニットとアイボリーのフレアスカートを着た少女が立ち尽くしていた。


 カールのかかった紫色の髪に手を添え、走り去ったバスの方を見つめたまま、大きく口を開けていた。

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