第20話『千里の道も一歩から』
「ライラちゃん。今日はずいぶん機嫌が良さそうね?」
返却された本を棚へ戻していると、背後から声をかけられた。
「そう見えま——」
振り返った途端。
「むぐっ?!」
視界が塞がれた。
後頭部へ腕を回され、柔らかいものへ顔が沈み込む。
「サ、サラキアさん……っ。死ぬ……!」
「あら、ごめんなさい」
肩を押して、どうにか抜け出す。
ずれた眼鏡をかけ直すと、サラキアはいつものようににこにこ笑っていた。
「この間は浮かない顔してたでしょう? 今日はずっと楽しそうだから」
「今、仏の顔にされるところでしたが……」
「んもう、またイジワル言って」
抱えていた最後の一冊を棚へ差し込む。
「ええ。無事に解決しました」
「本当? よかったじゃない」
サラキアが胸の前で両手を合わせた。
「専門の先生に教えてもらえることになって。本人も、また魔術を使ってみる気になったみたいです」
「それなら安心ね」
「まあ……その練習中に、いろいろありましたけど」
「いろいろ?」
「ペットを飼うことになりまして」
「あら」
「蛇型のスライムです」
「あらあら」
「エキドナって言うんですけど」
「あらあらあら」
なぜか、サラキアの顔がどんどん明るくなっていく。
「奇遇ね。実は私も、ペットを飼ってるのよ」
「そうなんですか?」
「緑色のインコでね、マケマケっていうの」
ポケットからスマートフォンを取り出し、何度か画面を操作してこちらへ向ける。
「ほら」
写真の中に、手のひらに乗るくらいの小鳥がいた。
丸い身体に、小さなくちばし。
鮮やかな緑色の羽毛。
そして、腹の下から三本の細い足が伸びている。
「……足が三本生えてますけど」
「そうなの~。かわいいでしょう?」
「……インコなんですか?」
「インコよ?」
当然でしょう、とでも言いたげに首を傾げてから、サラキアが嬉しそうに画面を滑らせる。
止まり木で三本の足を器用に使っている写真。
毛布に潜って顔だけ出している写真。
餌入れへ頭を突っ込んでいる写真。
「この子、眠くなると真ん中の足だけ上げるの。動画もあるわよ」
再生された動画の中で、マケマケは止まり木に掴まったまま、真ん中の一本だけをゆっくり腹へ引き寄せていった。
「私も、エキドナの写真ありますよ」
「えー! 見せて見せて!」
自分のスマートフォンを取り出して、昨夜撮った写真を開いた。
ベッドの上で、とぐろを巻いている半透明の小さな蛇。
次の写真では、テュフォンの頭へ乗っている。
「まあ~! かわいい!」
「これ、頭から全然下りてくれなくて、最終的にテュフォンが不機嫌になってたんですけどね」
「ペットあるあるね。いいわぁ、今度マケマケとも会わせてみたいわ」
「……鳥と蛇ですけど、大丈夫ですかね」
「大丈夫。うちの子、強いからヘイキよ」
二人で写真を見比べていると、
「ああ、そういえば」
サラキアが思い出したように顔を上げた。
「館長が、大至急来いって呼んでたわよ」
スマートフォンから顔を上げる。
「……それ、いつ言われたんですか?」
「ええと……たしか、一時間前かしら?」
「もー、もっと早く言ってくださいよー!」
慌ててスマートフォンをしまう。
「あら。ペットの話が楽しくて、つい」
「続きは後で聞きますからー!」
「は~い。いってらっしゃい」
ひらひらと手を振るサラキアを残し、急いで館長室へ向かった。
「いやー、無事に解決したみたいだねぇ」
館長室へ入ると、グウィン館長はいつもの机に座っていた。
手元には何枚かの書類が広がり、その横に万年筆が一本置かれている。
「……やっぱり、もう知ってるんですね」
「コッホちゃんから報告を受けたからね。多少、予定外のことはあったみたいだけど、何事もなく済んでよかったよ」
「何事もなく……ではなかった気もしますけど」
「まーまー。終わりよければ、ってことで」
館長は笑いながら、机の上の書類を一枚めくった。
「あの、館長。ちょっと質問してもいいですか?」
「もちろん……と言いたいところだけど、その前にこっちから一つ、話しておきたいことがあってね」
紙の上を滑っていた万年筆が止まる。
「エキドナちゃんのことなんだけどね。コッホちゃんいわく、あの子があんなに簡単に生まれたのは、テュフォンちゃんの特異性によるものらしい」
「特異性?」
「普通なら、スライムへ魔力を入れた程度で魔力生物にはならない。テュフォンちゃんの魔力には、何か特別な性質があるんじゃないかってね」
館長は万年筆へ蓋をして、椅子の背へ身体を預けた。
「ただ、そこから先はコッホちゃんの専門外なんだって。あの子は工学屋だからねー。安全か危険か、どう制御すればいいかは分かっても、どうして生命みたいなものが生まれるのかは、また別の領域だ」
「つまり、原因は……」
「今のところ不明、だね」
あっさりと答えた。
「エキドナちゃん自体に危険な反応は確認されてないから、飼育する分には問題ないそうだよ。ただ、同じことがまた起きないとも限らない」
「……分かりました。気をつけます」
「うん。そうしてちょーだいな」
館長は万年筆の蓋を外した。
「さて。今度はライラちゃんの番。質問って?」
「……いくつかあるんですけど」
「どうぞどうぞ」
私は机の前の椅子へ座った。
「まず、コッホとはどんな関係で?」
「ああ」
館長は妙に楽しそうに口元を緩め、万年筆を指の間でくるりと回した。
「コッホは、私の直属の部下なんだ。つまり——」
胸元の白いエプロンを、指先でつまむ。
「私は、虹彩騎士団・加法部隊の部隊長。『白色』のグウィンなんだ」
いつもと変わらない笑顔で、そう名乗った。
「なるほど」
「……あれ?」
館長が瞬きをする。
「驚かないんだね?」
「まあ。外見的に、そんな気はしてましたし」
コッホやロイドと同じ、緑色の瞳。
それに、どう見ても子供にしか見えない姿は、私がここで働き始めた頃から少しも変わっていない。
「なーんだ。サプライズのつもりだったんだけどな」
館長は楽しそうに笑った。
「まいっか。じゃあ、ほかの質問を受け付けよう」
「どうして、そんなに何でも知ってるんですか?」
「何でも?」
「こないだ、うちで起きたこともそうですし。昔から、私が何も話してないことまで知ってることがありますよね」
「ふーむ……」
館長の指が、首から下げたカメラへ触れた。
丸いレンズが、天井の明かりを小さく反射する。
「まあ……私には、いろいろ見えるんだ」
今度は困ったように笑う。
「吸血鬼が血を操るように。魔女が魔力操作に長けているように。アンドロイドが電気をエネルギーにして生きられるように……私は、都市の記録を見ることができる。ただ、それだけだよ」
「……都市の記録って、具体的には何ですか?」
「何だろね?」
「……」
「あ。その顔」
館長が身を乗り出す。
「また胡散臭いとか思ってるでしょ」
「はい」
「うーん、正直者!」
「まあ、今さらですけど。十年以上の付き合いですし」
「ふふ。そうだね」
これ以上聞いても、まともな答えは返ってこなさそうだ。
私は椅子から立ち上がった。
「じゃあ、仕事に戻ります」
「うん。呼び止めて悪かったね」
「いえ」
扉へ向かいかけて、足を止めた。
「それと……あらためて、ありがとうございました」
振り返ると、館長がこちらを見ていた。
「コッホを紹介してくれたことも、テュフォンのことも。いろいろ手続きしてくれて、助かりました」
一度、頭を下げる。
顔を上げると、グウィン館長はやっぱり笑っていた。
「どういたしまして。これからも、よろしくね」
* * *
「……おー」
仕事を終えて家へ帰ると、輝くキッチンに出迎えられた。
真っ二つになっていたコンロは新品同然で、焦げていた壁は張り替えられ、煤一つ残っていない。
そして何より、無残に溶け崩れていた古いオーブンが、綺麗な姿で元の場所へ鎮座していた。
磨かれた金属の表面が、照明をきらりと反射する。
心なしか、以前より若々しく、誇らしげに見えた。
「コッホが本日、修復してくださいました」
ロイドがキッチンから顔を出す。
「内部の制御機能も、現行型と同等のものへ更新されています」
「そこまでしてくれたのね……」
「あ、ライラお姉ちゃん。おかえりなさい」
ソファに座っていたテュフォンが駆けてきた。
腕にはエキドナが巻きついている。
「ロイドちゃん。ライラお姉ちゃんも帰ってきたし、やってみてもいい?」
期待のこもった目でロイドを見上げ、オーブンの横に置かれた食パンを指さす。
「もちろんです」
私は鞄を置き、キッチンの端へ寄った。
エリスもソファからやって来て、私の肩越しに覗き込む。
テュフォンの腕にいたエキドナは、袖を伝って肩へ這い上がった。
「再挑戦頑張れー」
「では、始めましょう」
ロイドがオーブンの扉を開く。
テュフォンは食パンを網の上へ載せると、慎重に扉を閉じた。
「こちらへ魔力を流してください」
ロイドが示した入力部へ、テュフォンは指先を添えた。
淡い光が生まれ、目盛りが動き始める。
「よい調子です。そのまま、ゆっくりと」
光がわずかに揺れる。
テュフォンは小さく息を吐き、指先から余計な力を抜いた。
上下していた目盛りが、やがて一つの場所で止まる。
「できてる?」
「はい、問題ありません。その状態を保ってください」
テュフォンの顔が少し明るくなる。
「このまま、およそ二分ほど加熱しましょう」
「え、二分……」
ガラス扉の向こうで、ヒーターが赤く光っている。
テュフォンはしばらくそれを見つめた。
「それなら……」
「はい」
「もうちょっと強くしたら、早くできるよね」
「え」
魔力の入力部が、白く輝いた。
「テュフォン様、お待ちくだ——」
ロイドが止めるより早く、閃光がキッチンを灼いた。
「っ?!」
目の前が真っ白になり、反射的に顔を覆う。
隣では、エリスも「ぬわあっ?!」と妙な声を上げていた。
数秒遅れて、完了を知らせる電子音が鳴る。
「できた!」
テュフォンの嬉しそうな声が聞こえた。
「……ちょっと待って。今、目が……」
何度か瞬きをする。
視界の真ん中に残った白い光が、少しずつ薄れていく。
ようやくオーブンの輪郭が戻ってきたところで、扉の隙間から、黒い煙が立ち上っているのが見えた。
ロイドが無言で取っ手を掴む。
扉が開いた途端、溜まっていた黒煙が一気に噴き出した。
「けほっ……!」
手で煙を払いながら中を覗く。
金属製の網の上に、真っ黒な塊が載っていた。
ロイドがトングを差し入れ、それを慎重につまみ上げる。
食パンだった何かの端から、さらさらと灰が落ちていった。
「あ、あれ?」
テュフォンが首を傾げた。
「早くなると思ったのに……」
「テュフォン様」
ロイドは炭と化したパンを皿へ載せた。
「火力を上げれば、調理時間も同じ割合で短くなるわけではありません」
「……そうなの?」
「はい」
「ま、また失敗しちゃった……?」
テュフォンがおろおろと、皿とオーブンを見比べる。
その肩の上で、エキドナまで一緒になって首を傾げていた。
「……しょうがないわね」
私はリビングへ戻り、テーブルの端に置いたままになっていた料理の本を取り上げた。
表紙には、湯気の立つカップが描かれている。
その本を持って、キッチンへ戻った。
「魔術の使い方は、少しずつ分かってきたみたいだし」
本を開き、テュフォンの前へ置いた。
「今度は料理について、一から勉強しましょう」
テュフォンは、まだ黒煙の残るオーブンを見て。
それから、開かれた本へ目を落とす。
「——うん!」




