第18話『蛇足』
「さて。予定してた内容は一通り終わったけど、まだ少し時間が余ってるわね」
コッホが壁の時計を見上げた。
窓から差し込む日差しは、先ほどよりもだいぶ傾いている。
机の上には、まだ片付けていない二体の人形が残っていた。
「何かやってみたいことはある?」
「んー……」
テュフォンは机の上へ両手を置き、少し考え込んだ。
その視線が、机に置かれたままの木製の人形をとらえた。
「これ、人形じゃないものでも動かせる?」
「もちろん。魔力さえ通れば、形は何だって……」
コッホが、何か思いついたように目を見開いた。
「そうそう。ちょうどいいものが——」
ばんっ、と勢いよく扉が開いた。
「おなかすいたー!」
エリスが、両手を上げながら入ってきた。
白いパーカーはところどころ裂け、髪もひどく乱れている。
その後ろから現れたメリンも、黄色い髪をぼさぼさにしていた。
片手に持った円盾には、大きな凹みがついている。
「いや~、いい運動したね~。流石エリスちゃ~ん。楽しかったよ~」
メリンが楽しそうに笑う。
エリスは空いていた椅子へ座るなり、机へ突っ伏した。
「ライラぁ。僕はもう動けない。栄養が足りないよ」
「さっきまで散々動いてたくせに?」
「動いたから足りないのー」
「ちょうどいい時間だし~、軽く何か食べる~?」
メリンが盾を壁際へ立てかけた。
「下に食堂があるんだ~。簡単なものくらいなら作れると思うよ~」
「食堂!」
エリスが復活した。
「行こう!」
そんなわけで。
本日の授業は、いったん休憩となった。
「……誰もいないんだけど」
食堂へ入ったエリスが、口を尖らせた。
広い部屋には、長机と椅子が規則正しく並んでいる。
壁際には料理を受け取るためのカウンターが伸び、その奥には厨房らしき部屋がある。
けれど、席についている人も、料理を作っている人もいなかった。
「営業時間、終わってるんじゃないの?」
「いや~。そもそもここ、ほとんど使われないんだよね~」
メリンが椅子を一脚引き出した。
「騎士団のみんな、基本的に食事しないから~。外部の人が来た時のために、形だけ残してある感じかな~」
「つまり、ご飯はない……ってコト?」
絶望したような顔で、エリスがカウンターへ手をついた。
その横を、ロイドがすっと通り抜けていく。
「ご安心ください。私がお作りします」
厨房へ入り、冷蔵庫を開けた。
「保存されている食材は、問題なく使用できそうです。少々お待ちください」
「ロイドー! そこにしびれるあこがれるぅ!」
ロイドは棚の奥からエプロンを取り出し、軍服の上から身につけた。
まな板を置き、冷蔵庫から卵、ハム、野菜を並べていく。
「私も手伝う」
テュフォンがカウンターの横から顔を出した。
「ありがとうございます。では、こちらの野菜を洗っていただけますか?」
「うん」
二人が並んで作業を始める。
私はその様子を眺めながら、エリスたちと席についた。
「おいひい……」
エリスが、口いっぱいにサンドイッチを頬張っていた。
ロイドが作ったのは、卵とハムを挟んだ温かいサンドイッチ。
その横には、小さなサラダと野菜のスープが添えられている。
「ロイドちゃん、こ~んな料理上手だったんだね~。んま~」
メリンもサンドイッチを一口かじり、楽しそうに頬を緩める。
エリスは既に二つ目へ手を伸ばしていた。
「ライラ。ミルク欲しい」
「自分で取ってきなさい」
「あったかいやつ」
「……はいはい」
「あ。あたしもお願い~。甘いの~」
「なんで二人分なのよ」
文句を言いつつ席を立つ。
ロイドが厨房の冷蔵庫から牛乳を取り出し、こちらへ渡してくれた。
二つのカップへ注ぎ、テーブルへ運んだ。
さて温めようと両手を伸ばしたところで、
「ライラお姉ちゃん」
「ん?」
隣から、テュフォンが覗き込んでいた。
「私が、やってみていい?」
伸ばしかけていた手を止める。
テュフォンの視線は、二つのカップへ向いていた。
「……やってみる?」
「うん」
エリスとメリンを見ると、二人も顔を見合わせた。
「僕はいいよ」
「もちろ~ん。よろしくね~」
テュフォンは一つ目のカップへ、そっと両手を添えた。
小さく息を吸う。
牛乳の表面が、わずかに揺れた。
やがて表面から、細い湯気が一本、二本と立ち始めた。
テュフォンは眉を寄せたまま、じっと牛乳を見つめていた。
「そのくらいで——」
声をかけた瞬間。
ぽこっ、と表面が盛り上がった。
続けて、ぽこぽこと泡が浮かび始める。
「テュフォン、止めて」
「う、うんっ」
ぱっと両手を離すと、カップの中では、牛乳がぐつぐつと煮えていた。
テュフォンが不安そうに、私の顔を見上げた。
「ちょっと温めすぎたわね」
「ごめんなさい……」
「でも、ちゃんと自分で止められたじゃない」
取っ手に指を触れると、かなり熱い。
というか、ほとんど沸騰していた。
一応角砂糖を一つ落とし、スプーンで混ぜる。
「初めてなら十分じゃない~? そ、れ、に~」
メリンが横からカップを取り上げた。
「あっ」
「いただきま~す」
何のためらいもなく、口をつける。
「うん。ちょうどいい~」
「いやいやいや」
エリスが身を乗り出した。
「沸騰してたじゃん! 絶対熱いでしょ!」
「え~? ホントにちょうどいいよ~? エリスちゃんも飲んでごら~ん」
促されるまま、エリスも恐る恐るカップを受け取った。
口元へ近づけ——、
「あっつ!」
「そりゃそうでしょ」
慌ててテーブルへ戻すと、メリンは何事もなかったかのように手に取り、飲み干した。
「こっちは、少しぬるめでお願いね……」
エリスが、まだ冷たい自分のカップを指さした。
テュフォンは頷き、もう一度両手を添える。
今度は薄く湯気が立ったところで、私が声をかけるより先に魔力を止めた。
「これくらい?」
「うん、ありがと」
エリスはカップを持ち上げて、ふー、ふー、と息を吹きかけてから、そっと口をつけた。
「ちゃんとあったかい。おいしいよ」
テュフォンはカップを見つめ、少しだけ口元を緩めた。
「ライラちゃん、もう一杯お願いしてもいい~?」
「自分でやりなさい」
私が答えると、テュフォンが小さく笑った。
軽食を終え、二階の部屋へ戻ってきた。
メリンは壁際に立てかけていた盾を引き寄せ、エリスと一緒に後ろの席へ座った。
「さて。話の途中だったわね」
教壇の前で、コッホがジュラルミンケースを開く。
中から取り出したのは、透明な液体の入ったボトルと、いくつかの紙コップ、それから洗濯のりだった。
「……これ、もしかして」
「そう。スライム作りよ」
「随分かわいらしい教材だね~」
メリンが、頬杖をつきながら言った。
その隣では、エリスも興味深そうに机へ身を乗り出している。
「単純だけど、魔力操作の練習にはちょうどいいの。不定形だから、人形より自由に動かせるわ」
コッホから渡された材料を混ぜ、棒でしばらくかき回していると、液体は次第にまとまり、半透明の柔らかな塊になった。
「できた」
テュフォンが両手ですくい上げる。
指の隙間から、ぷるん、と細長く垂れた。
「じゃ、まずは好きに動かしてみなさい」
テュフォンがスライムを机へ置いて魔力を流すと、半透明の塊が震え、這い回り始めた。
「わっ」
伸びて、縮んで、跳ねる。
勢いはあるものの、形は崩れたまま、うまくまとまらない。
「動かすのは得意。でも、形を維持できてないわね。じゃあ次はライラ」
指名され、同じように手を添える。
粘土をこねる要領で魔力をまとめ、丸い胴体と、小さな頭を作ってみた。
「おお~」
エリスが拍手する。
そこには、妙に造形の整った小鳥が立っていた。
「……でも、動かないのよね」
羽を動かそうとすると、今度は形が崩れそうになる。
コッホが二つのスライムを見比べた。
「ここまでは予想通りね。それじゃあ、二人で一緒にやってみて」
「一緒に?」
「ライラが形を保って、テュフォンが動かす。それぞれ得意なことだけ担当するのよ」
テュフォンと顔を見合わせて、
「やってみよっか」
「うん」
二人で一つのスライムへ手を添えた。
私が胴体を丸く整え、テュフォンがそこから羽を伸ばす。
「もう少し、こっちを細くして」
「こう?」
「そうそう。で、こっちが尻尾で——」
するすると後ろへ伸びていく。
「……長くない?」
「あ」
羽だったはずの部分も細く伸び、胴体まで引っ張られていった。
そうして試行錯誤していくと……机の上には、立派な蛇が完成していた。
「小鳥は?」
「……蛇になったね」
顔を見合わせ、二人で笑った。
「まあ、最初から上手くはいかないわよね」
「次はちゃんと鳥にしよ」
「ええ」
魔力を止め、手を離した。
鎌首をもたげていた半透明の蛇は、机の上へぺたりと崩れる……はずだった。
「……あれ?」
蛇は、頭を持ち上げたままだった。
身体を左右へ揺らしながら、ゆっくりとこちらを向く。
「テュフォン、動かしてる?」
「ううん」
テュフォンの両手は、膝の上に置かれていた。
じゃあ、誰が動かしているのか。
なんて考える間もなく、甲高い金属音が目の前で鳴った。
「っ!」
黒い盾が、私の顔の前に割り込んでいた。
その表面へ、蛇が牙を突き立てている。
「ライラちゃん、下がって~」
メリンが私を庇うように、一歩前へ出た。
メリンが腕を振ると、蛇が盾から弾かれ、床へ叩きつけられた。
直後、その身体が膨らみ始め、細かった胴が私の身体ほどの太さに広がる。
長さも、机を一つ、二つと越えて伸びていった。
「エリス様」
「はいはーい」
ロイドが刀を抜き、エリスと同時にメリンの前へ出た。
メリンは盾を構えたまま、私とテュフォン、コッホを背後へ置く。
巨大な蛇が床を擦り、ゆっくりと頭を持ち上げた。
「まさか……魔力生物?」
コッホが目を見開く。
「嘘でしょ。どうして、こんな簡単に……」
袖口が、後ろへ引かれた。
見ると、テュフォンが私の服を握っていた。
小さな指に力が入り、布地に深い皺が寄っている。
琥珀色の瞳は、目の前の蛇から動かない。
その顔からは、さっきまでの笑顔が消えていた。




